勝負をしましょうか
王城の大広間は光で満ちていた。
天井から吊るされた無数のシャンデリアが、きらきらと煌めきながら貴族たちの笑い声を反射する。
音楽隊が弦を鳴らし、香水とワインの香りが空気を満たしていた。
レティシアはグラスを手に取りながら、優雅に会釈を繰り返す。
誰が見ても完璧な貴族令嬢――かつて泣き腫らした面影などどこにもない。
彼女の所作は一つひとつが研ぎ澄まされていた。
手首の角度、歩幅、言葉遣い、笑みの深さ。
一週間の努力は見事に実を結び、貴族たちの視線が次々と集まる。
「レティシア嬢、随分とお綺麗になられましたね」
「まぁ、あの悲劇の令嬢がこんなにも…」
耳に届く噂話に、レティシアはにっこりと笑うだけだった。
すべて、エマのおかげ――。
だが、心の奥では別の思考が揺れていた。
……どうして、あの二人はあんなに寄り添っているの?
視線の先、ホール中央。
皇子と聖女が、まるで絵画のように並んでいた。
皇子が聖女の腰に手を添え、耳元で何かを囁く。
聖女は微笑みながら、まるで自分が王妃でもあるかのように堂々とした態度で。
べったりじゃない……
レティシアは軽く息を吐き、手にしていたグラスをテーブルに置いた。
その音が、自分の中で何かを決意させる合図のように響いた。
レティシアはまっすぐ皇子のもとへ歩み寄る。
会場のざわめきがわずかに静まる。
「殿下。私をエスコートしていただけますか?」
皇子は一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから穏やかな笑みを浮かべて立ち上がった。
「………そうだね、いいよ。ほら、手を―――」
その時、隣にいた聖女が小さく呟いた。
「先に……私ではなかったのですか?」
再び空気が張り詰める。
会場の音楽がゆるやかに弱まり、誰もが二人の方に視線を向けた。
聖女の瞳は静かに、けれど鋭く光っていた。
「貴方は本当の愛を知らないのね。それなのに…愛を気取って楽しいかしら?」
その声は柔らかく、しかし棘のように刺さる。
だが、レティシアも怯まなかった。
「貴方こそ分かっていないのでは?そうやって人から奪って、何が本当の愛ですか」
静かな会話に、ざわりと人々の息が重なる。
「愛は……奪うものじゃない。信じるものです」
「綺麗事ね。信じるだけで守れるなら、誰も涙なんて流さないわ」
聖女の瞳の奥に、一瞬だけ苦しげな影が走った。
けれどレティシアはその表情を見逃さず、ほんの少し唇を吊り上げた。
「では――こういうのはどうでしょう?」
静かに手袋を外し、白い指を掲げる。
「皇子と一緒に踊って、より美しく踊れた方が皇子の横に座る。公平にするため、審判は……そうですね、どこかの貴族の侍女に頼みましょうか」
ポン、と軽く手を叩いた。
聖女はわずかに目を細め、ゆっくりと頷いた。
「良いじゃない。負ける覚悟ができているのなら、かかってきなさい」
その笑みは氷のように冷たく、それでいて燃えるように美しかった。
ホール全体が息を飲む。
次の瞬間、音楽隊が再び弦を鳴らした。
――決闘の始まり。
華やかな旋律の裏で、どす黒い空気が渦を巻いていた。
その様子を、二階の回廊からエマはじっと見つめていた。
目の前の光景が、まるで芝居のように映る。
レティシアは堂々としている。
あれほど泣いていた少女が、いまや聖女と対等に渡り合っている。
よくここまで……この姿見てるとやっぱり悪役令嬢になるのが
エマは胸の内で小さく呟き、手すりを軽く叩いた。
その時だった。
視線を感じた。
城の中庭の方から、何かがこちらをじっと見ている。
エマは反射的に目を向ける。
月明かりの下、庭園の柵の向こう――白髪の大柄な男。
鋭い銀の瞳が、確かにこちらを捉えていた。
……なんで、ここに……?
息を詰める。
まさか、盗賊たちを操っていた“あの男”?
けれど、彼はこちらの顔を知らないはず。
こちらだって知らないわけだから…いや、大丈夫。
落ち着け、見てるだけ……気づいていない、はず
そう自分に言い聞かせながらも、背筋に冷たいものが走る。
白髪の男はじっと睨みつけるだけだった。
ホールでは、二人の舞踏が静かに始まる。
ダンスは一人ずつ。
レティシアは皇子と、聖女は別に踊る。
レティシアは力強く、しかし優雅に旋回する。
スカートの刺繍が光を受けて揺れ、床に映る影が絡み合う。
聖女の白いドレスもまた光を反射して、まるで月光の中の幻影のようだった。
エマは目を離さず、二階から冷静に観察する。
白髪の男……油断はできない
手すりを握る指にわずかな力を込め、緊張を保つ。
夜は深まり、舞踏会の音楽は高まる。
だが、レティシアの瞳は一切揺るがない。
精一杯の集中と自信を胸に、彼女は優雅に舞い続ける。
光と影が交錯するホール。
静かに、しかし確実に運命が動いていた。
その勝敗は、まだ誰も知らない。




