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悪役令嬢だって悪くない  作者: めめんちょもり
この不条理を変えてみせる
26/55

お嬢様先に行っていてください

王都へと続く石畳の道を、馬車がゆっくりと進む。

先ほどまでの血と鉄の匂いは、いつの間にか夜風に流され、代わりに街の香が鼻をかすめた。

「……すみません、服を汚してしまって」

そう言うとレティシアはただ首を横に振った。

「いいの……助けてくれてありがとう。私、エマが居なかったら……」

「お気になさらず。それが私の務めです」

短く答えて、エマは視線を窓の外に向ける。

この穏やかな光の中に、さっきまでの死の気配があったことなど、誰も信じはしないだろう。

けれど、エマの手にはまだわずかに血の温もりが残っていた。


王都の外壁が見え始めたのは、夕陽が街の塔を黄金に染めたころだった。

大通りの向こう、王城の尖塔がゆらめく光に照らされ、まるで夜を拒むようにそびえている。

正門前で馬車が止まると、エマは手際よく扉を開き、レティシアに手を差し出した。

「ここからはレティシア様お一人で。私は少し裏へ回ります」

「え……でも――」

「安心してください。すぐに戻ります」

微笑んで頭を下げると、エマは裏手の通用口へと駆けた。


王城の裏口では、すでに数人の侍女が慌ただしく動いていた。

「お願いです、洗濯か、無理なら代わりの黒の舞踏会用ドレスを」

「そんなに急に!?」

「血が付いてしまって……時間がありません」

侍女たちは顔を見合わせ、慌てて衣装部屋へと走った。

「一着だけ未使用のものがあります!サイズも多分……」

「助かります」

エマは短く礼を言い、そのまま奥の部屋に入り、手早く着替えた。

鏡に映るのは、先ほどの自分とはまるで別人のように冷ややかで、そして艶やかだった。

黒のドレスが光を吸い込み、その目元だけを鋭く際立たせる。

剣の代わりにドレスを纏った暗器のようだ、とエマは小さく息を吐いた。


――玄関へ戻らなければ。

そう思って廊下を駆け出したその時。

角を曲がった瞬間、足が止まる。

白い光を帯びた聖女が、壁に寄りかかってこちらを見ていた。

笑っていないのに、微笑んでいるような顔。

「……通してもらえますか」

エマは立ち止まらず、その横をすり抜けようとした。


「―――イグニスバーン」

背後から落ちる声。呪文のようでいて、どこか馴染みある響き。

エマはほんの一瞬だけ振り返りそうになったが、すぐに顔を戻した。

「……人違いかと思われます。私は魔法適性がほとんどありませんので」

「ふぅん。じゃあ今はそういうことにしておくわ」

聖女は壁から離れ、こちらに歩み寄る。

「ただね――あれだけのことをやったの。もう一度同じことをしたら、すぐにバレて首と胴体は即“おじゃん”よ」

その言葉に、エマは一瞬だけ目を瞬かせた。

おじゃん……?この世界にもそんな言葉があるんだ……

「……心に留めておきます」

それだけ言って、軽く会釈し、小走りで廊下を後にした。


聖女はその背を見送る。

「ねぇ、あなたは誰のために剣を抜いたの?」

小さく呟く声が廊下に落ちたが、もう誰の耳にも届かない。


エマが再び玄関に着くと、夜の帳が王城を包み始めていた。

大理石の階段の上、黄金のシャンデリアの下に、彼が居た。

――皇子。

整った顔立ち、涼やかな瞳。その口元には計算された笑み。

そして彼は、まっすぐにレティシアのもとへと歩いていく。

周囲の貴族たちが静かに息を飲む。


「レティシア嬢、今宵はお美しい」

伸ばされた手。だが、レティシアはわずかにその手を避けた。

ほんの数センチ。それでも、見ていた者にははっきりと分かる距離。

「光栄ですわ、殿下」

完璧な笑顔。けれどその瞳の奥に、警戒の色が滲んでいた。


エマは遠くからその光景を見つめ、静かに息を吐いた。

黒いドレスの裾を整えながら、心の中で呟く。

―――地獄の始まり…か。

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