下がっていてください
馬車が急停車し、前方に倒れた荷馬車が影を落とした。
御者の叫びが夜に響く。
「お、お嬢様方!前方に―――盗賊です!!」
エマはすぐさま立ち上がり、レティシアを振り返った。
「レティシア様は中にいてください。絶対に、外に出てはいけません。」
「で、でも――」
「大丈夫です。私を、信じてください。」
その一言を残し、エマはドレスの裾をたくし上げて馬車を飛び降りた。
夜風が黒い布を翻し、月光を浴びた瞳が冷たく輝く。
――どうして護衛がいないの。
エマは一瞬、歯噛みする。
王都行きの馬車だ。普通なら護衛の一人や二人は付くはず。
まぁ…いつもつけてないか。
「ヒャヒャヒャッ! あの男の言ってたとおりだ!」
「レティシア家の娘を人質にすりゃ、金に困らねぇ!」
「ひひひ、令嬢だろ? 上玉じゃねぇか!」
エマの目が細くなる。
――“あの男”?
このタイミングでレティシア家を狙うなんて偶然じゃない。
まさか、聖女側の……?
考える暇はなかった。
七人の盗賊が刃を抜く。
その瞬間、空気が凍った。
エマが静かに息を吸う。
足を滑らせるように構え、低く呟く。
「―――レンデルム流長剣術 龍の戯れ」
ドレスの裾が風に舞い、銀の閃光が夜を裂いた。
エマの姿が一瞬にして視界から消え、次の瞬間、背後で風が爆ぜる。
「な、なんだ―――!?」
「う、腕が!? う、動かねぇ!!」
彼女は殺さずに、刃は常に急所を外れ、肩、腕、足へ。
まるで踊るように踏み込み、宙を舞い、流れるように次の標的へ移る。
剣が通り抜けるたびに、血飛沫が月光に煌めく。
「ひっ、ひぃぃぃっ!!」
「化け物かよお前―――!!」
五人、六人――瞬きする間に倒れる。
残る一人、明らかに体格のいい男が尻もちをついた。
エマは静かに剣を持ち替え、喉元へ突きつける。
「質問に答えろ。……お前たちに襲撃を指示したのは?」
「ひっ……!し、知らねぇ!俺らはこの国の人間じゃ――」
「質問に答えろ」
エマの声は冷たく、感情がなかった。
男が口ごもった瞬間、刃がわずかに下がる。
――次の瞬間、足に刃が深く突き刺さる。
「ぐぁぁあああっ!! た、助けてくれ!! わ、分かった!話す!話すからぁ!!」
「情報次第です。」
震える声で、男は必死に喋り出した。
「し、白髪で……ゴツゴツした体格の……兵士みてぇな、いや冒険者か……そんなヤツだ! “女を捕まえろ”って言われたんだ!!」
「名前は?」
「し、知らねぇ! でも他の奴らは“隊長”って呼んでた!」
エマは黙って聞き終えると、静かに刃を上げた。
男は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫ぶ。
「お、俺達を生かしてくれるんだよな!? な!?」
「んー……役に立たなかった。」
ザシュ。
音もなく、剣が首筋を掠めた。
男の身体がぐらりと傾き、地面に崩れ落ちる。
残りの盗賊たちも、呻く間もなく次々と沈黙していった。
月光の下、静寂が戻る。
エマはゆっくりと剣を払って、血を散らす。
夜風が冷たい。
ドレスの裾に、赤黒い飛沫がこびりついていた。
「……汚れちゃった。」
馬車に戻ると、レティシアが震えながらこちらを見ていた。
「え、エマ……その服で行くの……?」
エマはふと自分の姿を見下ろす。
黒いドレスは、所々赤に染まっていた。
「ええ。……レティシア様、行きましょう。」
「で、でも……血が……」
「構いません。――貴方を守れた証ですから。」
エマはそう言って、静かに微笑んだ。
その微笑みは美しくも恐ろしく、
月夜の中でひときわ冷たく輝いていた。
「王都へ向かいます。まだ、終わっていません。」
馬車が再び動き出す。
道には風が吹き抜け、血の匂いをさらっていく。
エマは窓の外を見ながら、心の中で呟いた。
――白髪の男。
聖女の側の人間。
こんな"シナリオ"ゲームにはなかった。
この世界は、運命のレールを確かに走っている。
でも、今はそのレールを脱線しかけてる状況にある。
なら…そのレールを壊す。電車を脱線させるのが自分の役目。
エマはそっと目を閉じ、赤い月を背に呟いた。
「―――壊してみせる」




