令嬢としての"当然"です
レティシアの「綺麗になりたい」という一言から、静かに、だが確実に地獄の七日間が幕を開けた。
「ではまず、背筋を伸ばしてください。貴族令嬢の姿勢とは、呼吸の仕方から始まるのです」
「す、吸って、吐いて……って、これ……苦しい……」
「苦しいくらいがちょうどいいです。聖女様は、きっと呼吸すら美しいでしょうから」
「うぅ……」
エマは笑顔を崩さない。だがその笑顔の裏は、鋼のように厳しい。
レティシアは肩を落としながらも、言われた通りに背筋を伸ばし、歩き方、座り方、指先の動きに至るまで徹底的に矯正された。
午前は姿勢と礼儀。午後は教養と会話の練習。
「淑女は話すよりも、聴くことで品を見せるのです」
「じゃあ私、黙ってればいい?」
「そうではありません。“聴くように見える話し方”です」
「そんな難しいこと……!」
「出来ます。やります。」
夜には、控えめなキャンドルの光の下で読書と所作の復習。
何度も本の上に突っ伏して眠りそうになるレティシアを、エマが軽くつついて起こす。
「……寝てはいけません。努力の途中で眠るのは、美しさを途中で放棄するのと同じです」
「ぅうぅ……わたし、ただの令嬢なのに……」
「ただの令嬢ではありません。だから誇りを持って美しくあってください。」
エマの声は厳しくも、優しく包み込むようだった。
三日目。
今度は体の美しさを磨く番だ。
「では、軽く運動を始めましょう。美しい姿勢には、支える筋肉が必要です」
「運動……ですか?」
「はい。聖女様は戦場で癒しの奇跡を使うほどの体力をお持ちです。負けてはいけません。
舞踏会までには間に合いませんが、とにかく2ヶ月ほどします」
エマの指導の下、レティシアはランニング、剣術素振り、軽い筋トレ、そして魔法を使った身体強化まで行った。
汗が髪を濡らし、息が荒くなるたびに、エマは水を差し出す。
「よく頑張りました。これで今日、聖女様をひと睨みできますね」
「……ほんとに睨むの?」
「ええ。品よく。」
四日目の午後、ドレスの仮縫いの時。
鏡の中に映る自分の姿を見て、レティシアは小さく息を呑んだ。
背筋はまっすぐで、姿勢も自然に美しい。
「……私、少し……変わったかも」
「ええ。ようやく、“自分を見て笑える”顔になりましたね。」
エマの声には、わずかに誇らしさが混じっていた。
その夜、食後のティータイムで、レティシアがぽつりと呟いた。
「お、お菓子食べたい……」
「駄目です。聖女に笑われますよ。」
「……えぇぇぇぇ」
「甘さは、努力を腐らせます。代わりに」
「リンゴ……?」
「特別です」
レティシアは口を尖らせながらリンゴをかじり、エマはその様子に小さく笑った。
五日目。
ついに最終調整の日。
立ち姿、歩き方、声の出し方――エマは一切の妥協を許さなかった。
「もう一度。レティシア様、背筋が下がっております」
「はい……っ」
「笑う時は口角を三分の一。目で笑うように」
「こ、こう?」
「完璧です。聖女様が見惚れるレベルですね。」
「そ、それは困る……」
訓練が終わるころには、レティシアの全身が汗に濡れ、息も絶え絶えだった。
だがその顔には、どこか満足げな笑みが浮かんでいる。
エマはタオルを差し出しながら、静かに言った。
「これで、もう誰に笑われても平気です。…美しいです」
「……ほんとに?」
「ええ、本当に」
レティシアは少し恥ずかしそうに俯いたが、その頬にはほんのりと光る自信が宿っていた。
あの日泣き崩れた令嬢の面影は、もうそこにはなかった。
代わりに立っているのは、強く、美しく、そして誰よりも優しい―――
“悪役令嬢”レティシア=ヴァン=クローネだった。




