お嬢様、泣いても良いんです
トレントの領主館に到着してから、レティシアはずっと自室にこもっていた。
あの日、市場で見た光景――皇子と聖女が並んで歩く姿が、何度も頭をよぎる。
微笑み合う二人。その後ろで、人々が祝福の声をあげていた。
彼女に向けられるはずだった笑顔が、他の誰かに向けられている。
その事実が、胸を締めつけて離さなかった。
そういえば…なんで民衆は皇子が聖女と婚約していると思っているんだ…?
レティシアだということを知らされていないのか…?
しかし―――とにかくレティシアを励まさなくてわ。
エマは何度もノックをした。
「レティシア様……お加減はいかがですか?」
返事はない。
部屋の中は静まり返り、ただカーテンの隙間から差し込む淡い光だけが、床に長い影を落としていた。
それでもエマは扉の前に立ち続けた。どうしても、放っておけなかった。
「……エマ。あの子、何があったのかしら?」
後ろから声をかけてきたのは、レティシアの母――カレンだった。
その瞳には深い心配の色が宿っていた。
エマは唇を噛み、覚悟を決めたように顔を上げた。
「……お話しします。すべて」
エマの口から語られる真実に、カレンの顔が青ざめていく。
信じたくない、けれど娘の様子がすべてを物語っていた。
「そんな……あの子が……」
カレンは震える手で扉を開けた。
部屋の奥で、レティシアは布団に顔をうずめていた。
「レティ……」
優しく呼びかけながら、母はそっと娘の髪を撫でた。
「これが貴方の心の助けになるとは思わないわ。でもね、悲しい時は私たちに話して?一人で抱えないで」
レティシアは小さく身を震わせた。だが、言葉は返らない。
そこにエマが入ってきた。
「レティシア様……私は、貴女の悲しみを全部理解することはできません。でも、どうか一人で泣かないでください。どんな時でも、私は側にいます」
沈黙。
そして次の瞬間、レティシアが顔を上げた。
涙で濡れた瞳が、エマをまっすぐ射抜く。
「そんな綺麗事、言わないで!!貴女は……何も知らないくせに!!」
その叫びと共に、頬を打つ音が響いた。
ビンタの跡が赤く浮かぶ。それでもエマは動じない。
「いいえ、知りたいんです。貴女の痛みを、ちゃんと。だから……教えてください、レティシア様」
その一言に、レティシアの肩が崩れ落ちた。
嗚咽が漏れ、押し殺していた感情が一気にあふれ出す。
「どうして……どうして、私はあの人に選ばれなかったの……!」
泣きながら、レティシアはエマの胸に顔を埋めた。
エマはただその背中を抱きしめ、何も言わずに髪を撫でた。
窓の外では、雨が静かに降り始めていた。
それはまるで、レティシアの涙をそっと隠してくれるかのように―――




