08.最高の転機と父の朗報
卒業式典での大騒動から、季節は二度巡った。あの後、シルヴァンは直ちに王都から追放され、レインは修道院に送られた。トラバルト子爵家は家門を断絶し、貴族社会から消滅した。
リリーの冷静沈着なロジックでの介入、そして王太子デイヴィットの決定的な助力が、円環の楔を断ち切り、カテリーナに降りかかるはずだった「傷物令嬢」の運命を完全に覆した。
リリーはカテリーナの意識を眠らせたまま、公爵令嬢としての義務と責務を果たし続けていた。学園は卒業したものの、公爵家令嬢としての社交は続き、時には父ランドロフ公爵の補佐も務める。
数ヵ月間、リリーはカテリーナの意識に語りかけたが、カテリーナが目を覚ます気配はない。リリーは諦めて、慣れない公爵令嬢の生活にただただ忙殺されていた。そんなある日、父ランドロフ・フォン・シルクレイド公爵に執務室へと呼び出された。
「お父様、お呼びでしょうか?」
「うむ、カテリーナ。よく来た」
父の顔は、いつにも増して嬉しそうだ。口元はニヤついており、機嫌が良いのは明白だった。カテリーナは首を傾げ、父の向かい側の椅子に腰掛けた。
「何か良いことがございましたか?」
公爵は、満面の笑みで頷いた。
「うむ。最高の朗報だ! お前を、王太子デイヴィット・ラル・フローレン殿下の婚約者として迎え入れたい、とのお話があった!」
「……………え?」
カテリーナは、父の言葉を理解するのに、一瞬時間を要した。
「婚約……殿下と?」
「そうだとも! あの男、シルヴァンは廃嫡された。貴族社会の常識で言えば、お前は婚約破棄された『傷物令嬢』として扱われるはずだった」
公爵は声を潜め、愉快そうに続ける。
「だが、あの卒業式典でのお前の立ち回りは、全ての貴族の常識を覆した! 国王陛下と王太子殿下の前で、マナーとロジックを武器に、元婚約者とその愚かな妾を、公衆の面前で断罪した! 『可愛げのない女』と罵られたお前が、誰よりも聡明で強かな『王妃の器』であることを、示してくれたのだ!」
父は、興奮気味に身を乗り出す。
「特に王太子殿下は、あの時のお前をいたく気に入られたようだ。『あの場で、誰よりも冷静に、貴族の鉄則を盾に反論し、愚者を徹底的に追い詰めた。その知性と行動力こそ、次期王妃に必要不可欠な資質である』と国王陛下に進言されたのだ!」
カテリーナは、驚きと安堵で、思わず椅子から立ち上がりそうになった。
(私が壊したシナリオは、最高の形で完結したってことになるわよね?)
リリーは内心の動揺を隠し、カテリーナとして、公爵令嬢として完璧な返答をしなければならない。
「お父様……そのお話、私が受けたとしても、元婚約者が廃嫡されたとはいえ、一度婚約破棄されたと同義の私です。周囲からの悪意ある非難は免れないでしょう」
「ふん! 非難? そんなもの、王太子殿下の愛さえあれば、雑音でしかないわ! それに、心配するな」
公爵は勝ち誇ったように笑い、人差し指を立てた。
「あの卒業式典の後、王太子殿下は自ら、お前の遠縁の従兄であることを公表された。そして、貴族院会議の場で、こう言い放ったそうだ。『カテリーナ嬢は、私の大切な親族の令嬢である。彼女への不当な非難は、私への不敬と見做す』とな! 公爵家と王族の血筋を繋ぐ令嬢に、誰が文句を言えるというのだ!」
父の用意周到さ、そしてデイヴィット殿下の周到な布石に、リリーは思わず感嘆の息を漏らした。カテリーナの人生を救うために、あらゆる手を尽くしてくれたのだ。
「まぁ……! 王太子殿下は、そのようなお優しいお心遣いを……」
「そうだ。お前は、最高の相手を見つけた。さあ、どうする? この婚約、受けるか?」
父は、カテリーナの返事を、期待に満ちた瞳で待っている。カテリーナの体の中のリリーは、深呼吸をし、静かに微笑んだ。
「お父様。この上ない光栄でございます。王太子殿下の婚約者、謹んでお受けいたします」
これでカテリーナは、『可愛げのない女』から『王妃の器』へと、最高の形で昇華した。