11.世界を終わらせたヒロインの真実
レイン・トラバルトは同じ舞台に上がり続ける主演女優だった。目の前にいる少女に懇願する。“この舞台から降りたい”と。
「もう止めたいの、こんなこと……」
『ダメだよ、レインはこの世界の主役なんだから』
「いや、もう解放して! そうだ、貴方が私になれば良いんだわ」
レインは用意した小瓶を一気に飲み干しその場に倒れた。彼女と会話していた少女は驚きレインに近付いく。
『嘘……死んでる? 何で! あなたは公爵夫人になって幸せになるのよ? 何が不満なの!』
少女はレインの気持ちがわからず困惑した。
『大丈夫よ。ヒロインが消えたんだもの……すぐにまた世界が再構築……』
周りを見るが、世界が変わり始める気配がない。
『再構築されない……? 何で! どうして!』
少女は慌てた。
『し、仕方がない。私がヒロインになるしか……』
倒れたレインに手を翳し中に入っていく。
「思ったより馴染むわね」
ムクリと起き上がったレインは手を握ったり開いたりして確認する。その姿は白銀の髪が靡き金色の瞳が輝いていた。倒れる前のレインの瞳は青かったが、中が変わってしまったため瞳が変わってしまっている。
しかし、レインはそのことには気付かない。もし気付けたとしても、瞳の色くらいで……と気にもとめなかっただろう。レインはニヤリと笑った。
「待っててね、私の王子様」
王立学園の入学式。レインはキョロキョロと周りを見回し、目的の人物を探していた。そこへ一台の馬車が止まり中から茶髪の高身長な青年が出てくる。
彼の容姿、馬車の家紋を確認し、レインはほくそ笑んだ。
「きゃあ!」
偶然を装いレインは馬に驚いたかのように尻餅を着いた。慌ててアッシュレイ公爵家の行者がレインを見て怒鳴る。
「危ないじゃないか! この田舎者が!」
「う、ヒドイ……」
グスグス泣き出すレイン。周りの生徒達は行者の態度に眉をひそめた。シルヴァンが睨めば密やかに非難していた生徒達は静かになる。しかし視線はとても冷ややかだった。
シルヴァンは痛くなる頭を押さえ、行者を黙らせた。
「しかし坊ちゃま……」
行者が“坊ちゃま”と告げた瞬間、睨み付けるシルヴァン。失言に気付いた行者は黙る。
「うちの者が失礼した。怪我はないか?」
シルヴァンは手を差し出し、レインはその手を取る。立ち上がったレインがよろけたがシルヴァンはそれをしっかり支えた。
「怪我はありませんし、大丈夫ですよ」
レインはにっこり笑って答えた。シルヴァンは内心ホッとし行者に帰るよう指示したのち、レインを学食へとエスコートするのだった。
「えっと……これは?」
「好きなものを頼むと良い」
学食にエスコートされたレインは、対面に座るシルヴァンに戸惑ってみせた。
「どうした?」
「あの、理由がわかりません」
「お詫びだ。気にするな」
「あ、はい……」
突然のことに戸惑いメニューを決められないレイン。シルヴァンは様子を見ていたが、元々短気な性分ゆえに次第にイラつき始めた。
「焦れったいな。悪いが甘いものを全部持ってきてくれ」
メニューとにらめっこし、選ばないレインに痺れを切らしたシルヴァンはそう給仕に伝える。その言葉にレインはギョッとし慌てるが、シルヴァンはシレッとしている。
「食べきれなければ残せばいい」
レインはシルヴァンの言葉に悪い笑みを浮かべた。(この展開を待ってたのよね)と。
「残す、だなんて。ダメですよ! この国には食べ物すらロクに食べられない方もいるんですから。あ、おすすめは何ですか?」
「今日はアフォガードでございます」
「ではそれで! えっと……」
「シルヴァン。シルヴァン・ル・アッシュレイだ」
「シルヴァン様はどうされますか?」
「コーヒーで」
「かしこまりました」
シルヴァンはレインに叱咤され、驚くと同時に自分に物怖じしない令嬢として興味を示した。給仕が頼んだ品を運ぶ間、レインが話すことを静かに聞いている。
給仕がアフォガードとコーヒーを運び終え下がる。レインはアフォガードを口に運び、顔を綻ばせた。
「おいし~い」
くるくる変わるレインの表情にシルヴァンも口元が緩む。二人は学食で他愛ない話をしながら交流を深めるのだった。
それから程無くしてレインとシルヴァンの仲は急速に縮まっていった。学園内でも学園外でも仲睦まじく寄り添う二人が見掛けられるようになる。
その度にシルヴァンの婚約者―――カテリーナ・フォン・シルクレイド公爵令嬢が小言を言うようになった。シルヴァンは面倒臭そうにそれをあしらい、レインはカテリーナを見る度に怯え、シルヴァンの背に隠れた。
シルヴァンが冷たくあしらう度にカテリーナは一瞬泣きそうな顔を見せるが、すぐに持ち直し恭しく礼をして去っていく。
(ふふ……良い気味だわ。そうやってカテリーナは破滅していくのよ)
シルヴァンの背に隠れていることを良いことに、レインはほくそ笑んだ。
お茶会で主催者に追い出されたレインは、シルヴァンを見掛けると目に涙を溜めて抱き付いた。
「シルヴァン、カテリーナ様がヒドイんです……」
先程のお茶会での真実を湾曲させ、いかに自分が酷く追い出されたかを涙ながらに語った。途中途中でシルヴァンの表情をチラ見して、カテリーナに憤慨する様に高揚感を感じていた。
「そんな茶会等行く必要はない。これからは俺と共に過ごせば良いのだから」
「シルヴァン」
レインはシルヴァンの言葉に感激し見つめた。そして、左頬に手を添えられ初めての口づけを交わす。
レインはシルヴァンと口づけをしながら、(やっぱりシルヴァンはレインと結ばれなきゃ)と考えていた。そして、カテリーナの悪行をもっともっとシルヴァンに報告しなければ……と考えるのだった。
卒業式典を明日に控え、レインはシルヴァンから送られた手紙を読み笑みを浮かべた。
「明日はカテリーナが地獄を見る日ね。ふふふ……楽しみ」
シルヴァンの手紙は明日の式典のエスコートを申し出る内容と婚約破棄をする意志があることを示していた。レインは明日の装いを確認し眠りについた。
卒業式典の翌日、式典で散々な目に遭いレインはイラついていた。
「何で私の方が貶められるわけ? 納得いかない。そんな物語じゃないし……」
アッシュレイ公爵が手配した宿の部屋で机を叩いていた。レイン付メイドのメリアは、昨日付けでクビになっている。当たる相手がいない為、レインのイライラは更に増すばかり。シルヴァンとも引き離され、当事者の話し合いまでは監視されており、手紙すら検閲の対象になってしまっていた。
「きちんと役割を果たしてもらわないと」
レインはシルヴァンと結婚し幸せになり、カテリーナは悪役令嬢らしく“ざまぁ”される。これこそがレインの望んだ世界であり、レインの考える正しい世界の在り方だった。
しかしレインの目論みは外れ、シルヴァンは公爵家から追放、レインはトラバルト子爵家から修道院へ送致と決定した。最後までレインは抵抗したが、それらも虚しく修道院へと送られた。
シルヴァンとは会えなくなると言われ、それが余計に腹立たしかった。
「何で私が……ざまぁされてるの? 意味わかんない」
惰性で行っていた修道院での毎朝の礼拝のときに、独り言を呟きながら手を合わせている。
すると、壁に掛かっている十字架がピカッと光り、レインは眩しさで目を閉じた。
「何? 眩しい……」
『反省の色はなしか。まぁ、そうだろうね』
光の中から白銀の髪の人物が現れる。レインにはその人物の呟きは聞こえておらず、ただ驚きの表情だけを向けていた。
「あなた、誰?」
『僕? 救済者』
にこりと笑ってそう告げる白銀の髪の者。レインはその回答に笑みを深めた。
「救済者って困ってる人を助けるのよね?」
『そうだよ』
「だったら、この世界のヒロインたる私を助けなさい。今度こそ上手く立ち回ってカテリーナをやっつけてやるんだから」
ニヤリと笑うレイン。その姿に救済者は溜め息を吐いた。
『君は助けられない』
「何でよ! 私がヒロインなのよ」
『そうだね、器はヒロインだったレイン・トラバルトのものだ。しかし……』
すぅっと目を細めて救済者は言った、『魂が違う』と。その言葉に身に覚えのあるレインの肩が揺れる。
「魂って? 私は私、レイン・トラバルトよ」
『ふぅん、そこまで言うなら見せてあげるよ』
救済者は手を翳しレインの姿を鏡に映した。レインとは違う姿を。
『君は作者だった者なのか……。この物語を完結させられず前回の生を終え、ここに来てしまったんだね。そして作者だった故にイレギュラーな力を得て、レインとシルヴァンの物語を納得いくまで書き換えようとした』
「だったら何?」
『もうここは君の世界ではない。数多にある実在する世界になったんだ。元は君の描いた物語だったとはいえ、君の思うがままに書き換えることは禁忌だ』
「いやよ、カテリーナを破滅させなきゃいけないんだから」
レイン―――ではなく、作者だった者。彼女はカテリーナを破滅させることが目的になってしまっている。ヒロインとヒーローを幸せにすることが目的で書き始めた物語の筈なのに。
救済者は頭を振り作者だった者に告げた。
『お前に救済はない。あるのは消滅のみ』
「え?」
作者だった者がレインから出てくる。代わりに輝く魂をその身体に入れた。
「何して……」
『お前の目の前で死んだと見せかけた本物のレイン・トラバルトの魂を肉体へ戻した。肉体のないお前の魂の運命は消滅しかない』
「やだ! いやよ、まだ納得できる結末になって……なぁぁぁぁぁ!」
救済者が翳した手を握ると作者だった者は消えた。
そして、救済者にレインが跪く。
「ありがとうございました」
『気にするな。しかし、アレが行った愚行は貴女のせいになってしまったが……』
「かまいません。これからは修道女となり、今までの分も含めて一人で頑張ります」
『一人、か……?』
救済者が悪い顔で笑う。ギィーと鈍い音を立て修道院の扉が開いた。レインが驚いた顔でそちらに向く。
「レイン!」
「………シルヴァン、様?」
「今の俺は平民だが、君は受け入れてくれるだろうか? 俺は君と今までのことを償っていきたい……」
「シルヴァン様……」
シルヴァンはレインに近付きその手をとった。訳もわからずレインは困惑し、オロオロとして思わず救済者を見やる。
『君達の間には今までに築き上げた愛情があるんだ。二人で添い遂げながら、償いたいものを償えばいいんじゃないの?』
ウインクしながら救済者はそう伝えた。その頭にげんこつが落ちる。
『あいてっ!』
『もう行くぞ。これの処分を決めないとな』
レインは目を見開く。救済者と名乗った人物に瓜二つの顔をした人物が現れたからだ。救済者が昼なら、その人物は夜に例えられる色合いの持ち主だった。しかも、その手には黒い珠が握られている。
『“二人で末長く幸せに! ”本当の救済者からの伝言だよ』
昼のような色合いの救済者を名乗る人物がそう告げた。それを見ていたシルヴァンは、不思議そうな顔でレインを見る。
「今のは……?」
「ふふふ……ゆっくり教えますね。話が長くなりますから」
握られている手を握り返したレインがシルヴァンに微笑んだ。シルヴァンは握り返された手に少しだけ驚いたが、レインと同じように微笑んだ。
レインとシルヴァンの話はこれでおしまい。二人は死が二人を別つまでずっと孤児を引き取り、自分達の子供と分け隔てなく育て幸せに暮らしました―――とさ。ミッションコンプリートだな。
『そういや、この黒いのは?』
『―――元の世界に送還だな』
ポイッと救済者は黒い珠を次元の狭間へ捨てた。それは作者だった者の魂だった。元の世界軸へ記憶を消され飛ばされた。悲惨な輪廻転生を繰り返すことになるだろう。
『主様を迎えに行くか』
『そうだな』
レインに昼と夜に例えられた二人はリリーと呼んだ人物を迎えに次元回廊を歩きだした。