④
「カイって、実は彼女へのDVがひどくて、前の学校辞めさせられたらしい……」
友人からのライン通知が画面に浮かんだ瞬間、背筋に凍りつくような寒気が走った。
慌ててルカに電話しようとスマホを手に取ったその時、逆に電話が鳴った。
震える声が耳に届く。
『あの……今、綾瀬くんの家にいるんだけど……最初はタイムスリップのこと、ルカも蓮も助ける方法を教えてくれるって言ってたのに、なんか様子がおかしくて……』
それだけ言うと、電話はぷつりと切れた。
蓮の心臓は爆発しそうだった。
足が勝手に動く。脳が焦げ付きそうなほど、全身が警鐘を鳴らしている。
俺が関わらなければルカは死なない? そんなの、ただの言い訳だ。
ルカは、あの日からずっと必死に方法を探してくれていた。
それなのに俺は……クソッ。
彼女が死ぬ未来があるなら、絶対に、俺がそれを止める。
ようやく、心の底からそう決意できた。
――もう迷わない。
奴のマンションのドアを、蹴破る勢いで開け放った。
「ルカっ!」
リビングの奥から、男の怒鳴り声と、なにかが倒れる音が響いた。
「お前さ、俺を拒むってどういうこと? 俺とお前、付き合ってんだろ?」
「ちがっ……あたし、もう帰るって……っ!」
蓮が飛び込んだとき、そこには血だらけのルカが床に倒れ、髪を引っ張られながら押さえつけられていた。
「やめろッッッ!!」
瞬間、蓮の体は勝手に動いた。
カイに殴りかかる。殴って、殴られて、床に倒されて、また起き上がる。
だがカイは、想像以上に狂っていた。
「なんだよ、お前。ルカにまとわりつくキモ男って、お前か?」
「……お前にだけは言われたくねぇよ」
次の瞬間、刃物が見えた。
カイがポケットから、ナイフを取り出していた。
「は? 嘘、まっ……」
ルカの叫びとともに、蓮の胸に、ナイフが深く突き刺さった。
ずぶり。
血があたたかい。いや、もう“熱い”くらいだ。
「あっ……」
その瞬間、カイは、自分のしたことに気づいたのか、一瞬で青ざめた顔になった。
「……うそ、やば……お、俺、そんなつもりじゃ……」
うわ言のように繰り返しながら、カイはドアを蹴って逃げていった。
静寂が戻った部屋で、残されたのは血まみれの二人。
ルカは、這いつくばって、駆け寄ってきた。
「バカ、なんで来たの……っ! 来なきゃ、刺されなかったのにっ!」
「助けを求めていただろ……それに、来なかったら……お前が、もっと傷ついてた」
血を吐くようにして、蓮は言う。
「お前が、誰に殺されそうになってても……俺は……助けに行く……」
「やめて、もう喋らないで……っ!」
「最後に、言いたいこと、あるから……」
彼女の手を、震える手で握る。
「俺が……お前を殺すなんて、するわけないだろ」
「っ……」
「だって、俺は……お前が好きなんだ」
ルカの目から、涙が一気に溢れ出す。
「うそ、やだ……バカ、もっと早く言ってよ、そういうの……!」
「ごめんな……俺、こういうの、不器用でさ……」
「ちがう……ちがうよ、もっと一緒にいたいよ……!」
ルカは、蓮の胸に顔を埋めて泣いた。
「もっと優しくしてあげればよかった。もっと、ちゃんと好きって言えばよかった……」
「もう、そんな顔すんなよ……ちゃんと、わかってたから……」
「わかってないよ! 全然足りないよ!」
涙が頬に落ちたことすら、蓮はもう感じていなかった。
視界が、ゆっくりと暗くなっていく。
「……次また、生まれ変わったら……」
ルカが声を震わせて言った。
「絶対、今度こそあなたを……守るから……」
蓮の手が、ゆっくりと力を失った。
その瞬間、ルカの視界も真っ白に染まっていく――。
そして……。
どこかで、チャイムの音が鳴っていた。
――高校の教室。朝のHR直前。
あれ? どうして、私……?
記憶の断片が、靄のように脳内に漂っている。
隣の机には、男子生徒。眠そうな顔の、どこか見覚えのある姿。
彼はルカに気づいて、ちらりと振り向いた。
「えっと……新しい転校生?」
懐かしい。けれど、どこか柔らかくなった声だった。
ルカの瞳には、はっきりと“決意”が宿っている。
――今度こそ、彼を殺させない。
しかし……。
……あれ? なんで今、そんなこと思ったんだっけ。
理由は霞んで、胸の奥がざわつく。
そして、何かに背中を押されるように、口が勝手に動いた。
「……あの、私、あんたの将来の彼女で……で、あんたに殺されるんだけど?」
その瞬間、彼の表情がぴしっと凍りつく。
でも次の瞬間――
「……ちょっと待て。何言ってんだお前」
その反応が、なぜだか懐かしく、胸の奥に薄く積もっていた切なさを、そっと掬い上げた。
理由はわからない。ただ、その声に触れた瞬間、遠い記憶の奥で失くしたはずの温もりが微かに疼いた。
――まだ、この恋は終わっていない。