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姫と護衛

ご覧いただきありがとうございます!

このお話はもともとは長編物語の冒頭にしようと考えていたのですが、まずは短編として楽しんでいただければ……と思い、投稿いたしました。よろしくお願いします♪

 近衛騎士であるエルマーの朝は大抵穏やかには始まらない。

 その原因は全て、齢14となる小さな主人の突拍子のない行動にある。


「エルマーさん!姫様がまた、どこにもいませんっ!!」


 眠っている姫を起こしに行ったはずの侍女の泣きつく声が、王城の高い天井に響く。

 出勤したばかりのエルマーは、その侍女を前に溜息を吐いた。


「今月はもう3回目か……。さすがに多すぎないか」

「申し訳ございませんっ!」

「いや、悪いのはあの方だ。ーー脱走経路は」

「窓が開いていましたのでおそらくそこからかと……」

「……」


 現在、王位継承権第一位である彼女の部屋が、王城の何階にあるかだなんて考えたくもない。エルマーは頭痛のする頭を押さえながら、目の前の侍女に朝食の準備をしておくように声を掛けた。


「おそらくいつもの所だろう。一時間……いや、半刻で戻ってくる」


 エルマーは騎士であることを示す紺色のマントを翻すと、慣れた足取りで駆け出した。


***


 広大な王宮の端の端。人気(ひとけ)のない石造りの塔に囲まれた中庭の一角では、四人の影が怪しげに身を寄せ合っていた。


「ぐふへへへへ……。姫さん、今日こそ成功しますよ」

「前回も同じことを言って失敗したがな」

「姫様、待ってください!ほ、本当にやるんですか?」

「あら、ハイム。怖いのならあっちに行っていても良いのよ」


 気味の悪い笑い声に、それを愉しむ少女の声。それより一層幼い少年がこぼした弱気な台詞に、後ろから見守っていた女が、揶揄うように赤い唇で弧を描いて微笑んだ。


「そう言ってやるな、ネル。これはハイムのための実験でもあるんだから、しっかり見といてもらわないとな」


 自分よりずっと年上の女を軽く嗜めた少女は、悠々と地面に胡座をかきながら、琥珀色の大きな瞳を愉快そうに輝かせている。

 いたずらっ子が浮かべるようなその表情は年相応とも言えそうだが、どこか大人びたその佇まいと口調はまだまだ幼さが残る可愛らしい顔つきとは不釣り合いなものだった。


「そうだぞ、ハイム。お前の故郷にある花火っていうのを俺と姫さんが再現してやるんだからな」

 

 気味の悪い笑みをこぼしていた男は、姫に付随して主張した。分厚いメガネに白衣を纏ったその姿はいかにも発明家といった風貌だった。これから起こることを想像しているのか、その頬はだらしなく緩み切っている。


「まぁ、見てろって。今にあっと言わせるものをみせてやるから」

「だけど火を使っているのが見つかったらーー」

「大丈夫よ。こういうのはねぇ、あの面倒くさい騎士がやってくる前に、ちゃっちゃと終わらせちゃった方が良いのよ」

「で、でもーー」

「ハイム、大丈夫だ。全ての責任は私が負おう」


 涙目の少年の声を遮って、姫がトンッと自身の胸を軽く叩いた。正面から向けられる彼女の瞳と声の力強さは、初めて彼女を知る者なら、誰もが安心しきってしまうような絶対的な自信に溢れたものだというのに、その台詞を聞いたハイムは一層顔を青ざめさせた。


「姫様、それ、前回も言ってーー」

「じゃ、着火しますねっ!」

 

 嬉々とした様子でボサボサ頭の男が白衣のポケットからマッチの箱を取り出して着火した。


「ま、待ってーー」

「いくぞ、さん、にぃ……」


 石畳の地面の上に置かれた装置の導線に、マッチ棒の火が触れるその直前、ハイムは意を決して息を深く吸い込んだ。


「エルマーーさーーーーん!!!!!!!」

「ちょ、ちょっと、ハイム……!」


 ハイムの大声にぎょっとした他の三人が動きを止めたその瞬間、ひやりとした空気が背中を走った。


「ーーなるほど、ヘルムート。お前はよほど自分のクビを飛ばしたいらしいな」

「ひぃぃっ」


 すらりと伸ばされた銀色の刃に、ヘルムートは声を震わせて手に持っていたマッチ棒を地面に落とした。

 銀色のまつ毛で縁取られた冷え切った瞳でそれを見下ろした男は、分厚いブーツの底でマッチ棒を踏み潰した。春の陽気を凍りつかせるような冷たい空気を纏った彼は、雪原を想像させる白銀の髪の毛をさらりと揺らしてゆっくりと口を開いた。


「何度同じことを繰り返せば学習する?次はクビだと散々言ってきたはずだったが」

「待ってくれ、エルマー!この実験は今までとは違うんだって!」

「その言葉も何度も聞いてきた」

「ヒィッ」


 抗議の声を上げたヘルムートにエルマーはさらに刃先を近づけた。

 先ほどまでは余裕な態度を浮かべていたネルも、今はハイムを盾にするように身を潜め、ヘルムートたちのやり取りに顔を青ざめさせている。助けが現れて嬉しいはずのハイムでさえも、エルマーの纏う恐ろしい空気にガタガタと体を震わせ怯えた様子を見せていた。

 凍てつくような張り詰めた空気が限界を迎え、もはや割れてしまうのではないかと思われたちょうどその時、場にそぐわない間抜けた声が沈黙を破った。


「あーあ。火が消えてしまったではないか」


 全員が声の主の方を見ると、そこにはエルマーのブーツの下を覗き込む姫がいた。


「おい、エルマー。この足をどかせ。マッチ一本とはいえ、数が限られた貴重な一本だったんだぞ」


 この場の空気なんて一切気にしていないかのような、いつも通りの彼女をエルマーは静かに見下ろした。ヘルムートに向けている剣は一寸も動くことなく、しかし、それを握る手には力が入った。


「ーーええ、そうですね。前回の実験の失敗以降、火の元となる道具は全て没収したつもりだったのですが」

「ああ、ヘルムートが隠し持っていたんだ」

「姫さぁぁぁぁん!?!?」


 剣の下のヘルムートは叫び声を上げた。ネルとハイムは絶望を悟り、ヘルムートに向かって憐みの目を向けた。


「おい、待て、お前ら!その目を向けるのをやめて助けてくんねぇ?!結構本気でやばい気がすーー」

「よし、ヘルムート。覚悟はできたか」

「首が飛ぶってーーーー!!!!」


 ヒヤリと首筋にあてられた銀の刃にヘルムートは完全に顔を青ざめさせた。

 しかし、またしてもここで、ひときわ冷静な声がエルマーの動きを制止した。


「待ってくれ、エルマー。ヘルムートたちは悪くない。私が頼んだんだ」


 立ち上がった姫は、怯む様子もなく、エルマーに向き合った。

 エルマーも少し体の向きをずらして正面から、頭二つ分くらいの差がある自分の主人を見下ろした。


「私がヘルムートにこの実験装置を作るように命令したし、隠していたマッチ箱を持ってくるようにお願いした。ネルとハイムをこの離宮に呼び出したのは私だし、ハイムは最後までこの実験に反対していた」


 はっきりとした口調でそう口にする彼女の力強い瞳が、真っ直ぐとエルマーの顔を見上げる。エルマーは静かにその瞳をじっと見つめ返した。


「ーーでは、ハイムはもちろんお咎めなしにしましょう。そして、貴方の危険な行為に反対しなかったネルと、マッチ箱を隠し持ち、貴方の命令に嬉々として従ったヘルムートを処分すれば問題はありませんね?」


 にこりと美しく微笑んだ彼に、姫以外の三人はガタガタと震えて身を縮めた。

 姫は聡明そうな仕草で、ふむ、と少し考え込み、一度視線を伏せると、落ち着いた色の瞳でエルマーを見た。


「私は二人を処分してほしくないから問題がないわけではないのだが、私情を抜きにすれば、お前のその主張が通ってしまうのだろうな」

「姫様ぁぁぁぁ」

「姫さぁぁぁん」


 情けない声が二人分、姫に縋るように聞こえてくる。その声を背中で受け止めた姫は、余裕そうな笑みを浮かべて微笑んだ。そして、目の前のエルマーをぴしりと真っ直ぐ指差した。


「ただ、お前の主張を通すのならば、その前に一つ、お前はやらないといけないことがある」


 その指摘に、エルマーは怪訝そうに眉をひそめた。

 彼女は胸を張って口を開いた。


「罪ある者は全員咎めたいのだろう?ならば、まずは私にその刃を向けると良い。全ての元凶は私だからな」


 決して強がっている訳でも、冗談を言っている訳でもない、真っ直ぐな瞳がエルマーの視線と交わった。彼女の態度からは、騎士のエルマーが王族の自分に剣を向けることはできないだろうと高を括っているのか、それとも本当に責任を受け入れようとしているだけなのかはわからなかった。

 エルマーはしばらく姫と睨み合ってから、結局は自らが先に視線を逸らした。


「ーー今回は未遂だからだ。次こそはないと覚悟しろ」


 ヘルムートたちに向かってそう忠告をした彼は、洗練された所作で腰に下げた鞘に剣を戻した。

 姫は緊張から解放されたように、瞳の力をフッと緩め、剣から解放されたヘルムートは勢いよくその場から離れ、ネルと一緒にハイムの背後に身を隠した。


「ちょ、ちょっと、押さないで下さいよ、お二人とも。転んでしまいます!」

「ハイム~。あんたは本当に良い子ね。これからもその調子で私たちの命を守り続けて頂戴」

「おい、ハイム。お前もっとおっきくなれよ。全然俺たちのこと隠しきれていないぞ。よし、このまま職場に戻ろう」


 ワーワーと言いながら身を寄せ合って退散していく三人を、姫は愉快そうに見守りながら見送った。


「ハイム!巻き込んで悪かったな!後で、お菓子を届けに行くから!」


 すっかり遠くなった後ろ姿に、姫が大きな声を出して投げかけると、気が付いたハイムもぶんぶんと手を振って応えてくれた。


「何がいいかな。この前、街に行ったときに買った飴とか喜ぶかもな。城に戻ったら缶に詰めてーー」

「姫」


 王城へ戻る道を歩きながら、わくわくとお菓子のことを考える姫を、エルマーは冷静に呼び止めた。


「お城に戻ったら、まずは朝食です。アンが準備をして待っていますよ」

「あ、ああ、そうだな。確かに、そうしよう。もちろん、わかっていたとも」


 ぎくりと肩を強張らせた姫を横目で見ながらエルマーは今朝の城の様子を告げる。


「アンが謝っていましたよ。姫が部屋を抜け出したこと」

「う……。……悪かった」

「直接謝ってあげてください。彼女、心配していましたよ」

「心配……、別にしなくて大丈夫なのに」

「何か仰いましたか……?」

「ひぃ、何でもないです!!」

 

 エルマーの温度の下がった声の問いかけに、姫はぶんぶんと首を振った。エルマーは溜息を吐いて姫を見つめる。


「いい加減、自身が周りに与える影響力をわかってください。自分の身は自分で守れてしまうくらい姫の剣の腕が立つことは理解していますが、いつ何があるかはわからないですし、そもそも何のために護衛騎士である私がいるのかということもーー」

「あー、わかった!わかった!わかったから!悪かった!!」

「何が悪かったのかわかっているのですか」

「部屋を抜け出して悪かった!」

「……外に出るときは一言でも良いので声を掛けてください。別に私たちは貴方の行動を制限したいわけではなく、何処にいるのかということをーー」

「わかったよ、わかってはいる」

「……ちなみに今回はどのような方法で外に?」

「単純にロープを使ってだな……」

「やはりあの窓から……」


 エルマーは頭を抱えた。


「そのうち窓に格子が付けられましたらそれはご自身のせいですからね」

「それは困る。まだ試してみたい方法が残っているのに」

「姫」

「ははっ。ねぇ、エルマー、今度騎士団でのロープの使い方を教えてよ。今日よりもっと良い方法があると思うんだよね」

「ーーなぜ、護衛騎士が主人の脱走を手助けする術を教えてくれると思えるのですか?」


 エルマーが心底嫌そうにそう口にすると、姫は大きく口を開けて愉快そうにあっはっはと笑った。王城への下り坂を軽やかな足取りで下っていく彼女の背中にエルマーは声を投げかける。


「そもそも、前回で懲りたのではなかったのですか」


 前回の脱走で、こっぴどくエルマーに叱られた姫は、しばらくは大人しくしていると口にしていたはずだった。そもそも「しばらくは」という言葉自体がおかしいのだが、とにかくエルマーはその言葉のせいで少しばかり油断があった部分も否定できなかった。


「エルマーくん。君は私の護衛になって何年目だね?」

「ーー1年半です」

「はっはっは。まだまだ私のことをわかっていないようだ」


 演技がかった姫の台詞にエルマーは嫌そうな顔をした。

 それでも彼は従順な騎士らしく、離れてしまった姫との距離をその長い脚の数歩で縮めて、彼女の斜め後ろに付き従った。

 そんな護衛騎士の姿をちらりと見た姫はポツリと言う。


「お前だって懲りないよな」

「はい?」


 広い王宮のどこからか吹いた春の風がエルマーのマントをバサバサと音を立てて翻した。


「いや、何でもないよ」


 そう言った彼女の表情は、後ろを歩くエルマーにはわからなかった。




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