■第4話 攻略対象が全員避けていくのですが!?Ⅰ
朝の陽光がカーテンの隙間から差し込んでいる。
私はベッドの上で、昨日の惨事を思い返していた。
……うん、客観的に見て完全な失敗だった。
頭では理解している。あの軽蔑の眼差し、あの警戒の反応。ルシアン王子は咳払いで視線を逸らし、ガイルさんには「来るな」と拒絶され、テオさんに至っては笑顔で心をへし折られた。
でも。
「これは――演出ですわ!」
私は勢いよく起き上がり、布団を跳ね飛ばす。
落ち着け、白石香澄。これは乙女ゲームの世界なのだ。そう、これはあくまで攻略ルートに入るための序章に過ぎない。
――ツンからのデレ。
――拒絶からの執着。
――無関心からの熱視線。
これらはすべて、恋愛物語の定番パターンなのだから!
いや、分かっている。現実的に考えれば痛すぎる。現実の学園生活であんな行動を取れば、間違いなく「ヤバい子」認定されるだろう。
でもここは現実ではない。乙女ゲームの中なのだ。
「ええ、私は信じますわ……きっとこれは"距離感の演出"。あえて距離を取っているのは、私を意識し始めているからですわ。つまり――」
私はベッドの上で両手を握りしめる。
「全員、私に惚れかけているということですの!」
口に出してしまってから、はっと手で口元を押さえる。
……今のは心の声だった。気を取り直して、今日の戦略を練りましょう。
香りは乙女ゲーの正装。今日は攻めの姿勢で、柑橘ベースにスパイスとバニラを加えた《ブラン・リシュ》を選択。柔らかくも存在感のある香り。きっとルシアン王子の「仮面の奥」に届くはず。
朝食を済ませ、クラリスに髪を整えてもらいながら、今日の作戦を念入りに確認する。
「お嬢様、昨日の件ですが……いえ、何でもございません」
「ええ、クラリス。今日は完璧な一日になりますわ」
メイドの視線が若干痛むのは、きっと心配してくれているからだろう。
馬車に揺られて学園に到着する頃には、私は完全に"ヒロインモード"に入っていた。
見ていなさい、ルシアン王子。今日こそ貴方の心の扉をノックしてみせる――
その時、正門を通る生徒の一人と目が合った。
銀青色の髪、藤色の瞳。氷のように冷たい光を宿した美少女。
リュシア・カトレア。
彼女は一瞬こちらを見て――すぐに目を逸らした。
「ふふっ……照れ隠しですわね」
違う。絶対に違うと心の奥で理解している。でも、違うと明言されるまでは、せめてヒロインでいさせて欲しい。
◆
朝の"照れ隠し視線"を勝利フラグと解釈した私は、堂々と教室に入った。
そして発見。
窓際の席に佇むルシアン王子――本命ルート最有力候補。
(今日こそ、貴方の仮面を剥がしてみせますわ……!)
私は一歩ずつ間合いを詰める。緊張で足が震えるが、それすら演出の一部。ヒロインは脆さと強さを併せ持つものなのだから。
「ルシアン様、今日もその……仮面、とてもお似合いですわね」
昨日よりもスムーズに言えた。これは成長の証!
……しかし。
「……お大事に」
王子はそれだけ呟いて、視線を外した。
なぜ? まるで私の存在が病気のように扱われている?
――いえ、違います。これは仮面系キャラ特有の"逃げのセリフ"ですわ!
「……ふふっ、照れてらっしゃるのね」
※周囲の生徒たちが小さくざわめいたのは、きっと私の魅力に動揺したからでしょう。
気を取り直して次のターゲット! 武闘派ルートのガイルさん。
彼は体育館の一角で体術訓練に励んでいた。寡黙な男性は戦う背中が最も魅力的。声をかけるタイミングが勝負の分かれ目。
「ガイルさん! その拳法……まるで野獣のような美しさですわ!」
一拍置いて、彼がこちらを振り返る。
額を伝う汗、真剣な眼差しが私を射抜く。
――来た! これは確実に来ました!
彼はゆっくりと口を開く。
「……俺に近づくな」
低く、明確な拒絶の声。
「あの……何か気に障ることでも……?」
「マジで頼む。関わらないでくれ」
無慈悲なまでの言い切り。訓練場の空気が氷点下になったような錯覚を覚える。
でも私は知っている。武闘派は不器用。このような態度こそ、逆に好意の表れなのだと。
「ふふっ……そう来ましたか。ツン期、長めの設定ですのね……!」
三人目は理論派ムードメーカー、テオくん。
教室で一人、魔法式の計算に没頭している。机上には複雑な数式が刻まれた魔法盤と、インクで汚れたペン。
彼に微笑みかけながら、さりげなく声をかける。
「こんにちは、テオさん。今日もその……難解な式盤、とても興味深いですわ!」
一瞬、彼がこちらを見上げる。にこっと笑った。
「ありがとう、エレナさん……あははっ」
……優しい。彼は間違いなく優しい人だ。
だがその直後。
「……いや、マジできっつ」
ぽつりと漏れた本音。
しかも真顔だった。
「今……きついって……」
「あっ、聞こえた? うーん……なんていうか、色々と重いんだよね」
やんわりと、しかし確実に拒絶された。
「……なるほどですわ」
これは――"他ルートに浮気しかけている警告フラグ"ですわね!
さすがに連続惨敗だったので、一旦クラリスに相談してみることにした。
「クラリス……私、何かおかしなところはありませんの?」
給湯室でお茶を淹れていた彼女は、手を止めて振り返る。
「いえ、お嬢様は非常におかしいです」
「……即答ですの?」
最後の希望。アルベール・シュトラール。
シルヴァーバーグ家と縁戚関係にある、父方の従兄。
同じ貴族科で、品行方正、礼儀正しい――いわゆる"お兄様"枠の雰囲気を醸し出している人物。
(従兄でも十分ですわ! 乙女ゲームでは"兄属性"があれば、それだけで攻略対象認定ですもの!)
放課後の廊下で彼を見かけ、声をかける機会を窺う。
「ごきげんよう、従兄様。今日もお姿が凛々しゅうございます」
彼は立ち止まり、深く眉をひそめた。
「……エレナ。まさか何かに取り憑かれているのではないか?」
「えっ?」
「最近の君について、妙な目撃証言が多すぎる。『誰もいない壁にウインクしていた』とか、『無言で微笑みながら走り去った』とか……」
「し、失礼ですわ!」
取り憑かれているのは乙女ゲーム脳ですわ! そして理想のフラグ展開への憧憬に、ですわ!
教室へ戻る途中、周囲の視線を感じた。
女子生徒たちがひそひそと囁き合っている。
「あの子、スキル発現してないんでしょ?」
「貴族なのに?」
「ちょっと怖いよね……」
聞こえている。全部聞こえているのですわよ。
でも、これは――
これもすべて、"素直になれない系フラグ"の一環ですわ!
私は内心でそう強がって見せたのだった。
◆◆◆
※このお話は前後編に分かれています。
続きもすぐ読めますので、よろしければそのままどうぞ!