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第7話 はじめましての寮暮らし!Ⅲ

 ぴょこりとお辞儀するその様子が、あまりにも無防備で。

 気づけば私は、脳内の乙女ゲーセンサーを全開にしていた。


(この展開……見ましたわ……!)


(新生活の寮で、天真爛漫な年下の子と出会って、徐々に心を通わせていく――)


(これは“妹キャラとの友情育成ルート”ですわね!?)


 しかも、私を「お姉様」って呼ぶなんて……

 そんなのもう、全ルート開通の予感しかしませんわ~!


「改めて、よろしくお願いしますわね、ミリアさん」


「は、はいっ、お姉様っ!」


 ……今、確かに言いましたわよね、“お姉様”って!


(ああ、これはもう、完全にフラグ成立ですわぁ……!)



「ねぇ、お姉様。こっちのベッドが好きですか? それとも、窓側がいいですか?」


「では、そちらはミリアさんが使ってくださいまし。わたくし、窓から空を見るのも好きなんですの」


 部屋に荷を解きながら、そんなやりとりを交わす私たち。

 まるで昔から一緒にいたかのように、自然に会話が弾む。


 そして、寮備え付けの湯沸かし器とティーセットで、ちょっとしたお茶の時間。


「はぁ……こうして落ち着くと、ようやく実感が湧いてきますわね」


 お茶の香りにほっと息をつきながら、私はミリアの方を見る。

 彼女は、心から楽しそうに笑っていた。


「本当に、ここでお姉様と一緒に過ごせるなんて、嬉しいですっ」


「ふふ……“お姉様”って、ずいぶんと気に入っているようですわね?」


「はいっ、なんだか……言ってるだけで、あったかい気持ちになるんです!」


 ぴょこぴょこと尻尾が見えるかのような仕草に、私は心の中で確信する。


(これはもう、“妹キャラとの絆ルート”確定演出ですわね!?)


(将来的には、なにかのイベントで庇って庇われて、絆が深まり……最後は、涙のハグですわ!)


 ……と、脳内の乙女ゲーム演出がフル稼働していたその時だった。


「屋敷……大変だったって聞きました。虫とか、たくさん出たって……」


 ミリアがそう言って、少し眉を寄せる。


 ……ああ、そういえば、そうでしたわね。


 一瞬だけ、あの“甘ったるくて気持ち悪い香り”の記憶が胸の奥でよみがえる。


「でも……ここはきっと楽しいですよ。みんな優しいし、寮のお掃除も毎日ありますし!」


「……そう、ですわね。ええ、これはきっと“運命の導き”ですわ!」


 すぐに気を取り直し、私はいつもの笑顔でカップを掲げる。


「新たな舞台に、新たな出会い。まさに、乙女ゲームの新章スタートでございますわ!」


 ミリアはその言葉に、ぱぁっと顔を明るくして微笑んだ。


 だけどその笑顔の奥に、ふっと揺れた影に、私は気づかなかった。


 彼女がそっと呟いた、小さなひとこと。


「……ほんとうに、いい方でよかった……」



 夜。寮の窓辺に、私はひとり立っていた。


 昼間のにぎわいが嘘のように、学園の敷地は静まり返っている。星の瞬きすら、どこか遠慮がちに思えるほどに穏やかな夜だった。


 スピカ寮のベランダは、思っていた以上に風通しがよくて。ふとした瞬間に、頬を撫でるような風が白いカーテンを揺らす。そこからふわりと入り込んだ夜気が、私の髪をすり抜けていった。


 私は欄干に手をかけ、そっと夜空を見上げる。


 月がきれいだった。まるで絹糸を張ったような静けさの中で、冷たい光を落としている。


「……いい夜ですわね」


 誰に言うでもなく、そんなひとことをこぼした瞬間だった。


 ふ、と。


 鼻先に、微かにひっかかるような香りが流れた。


(……え?)


 ほんの一瞬だった。

 けれど、確かに香った。


 甘いようでいて、どこか薬草じみた、鋭く鼻を撫でる匂い。

 それでいて、なぜか懐かしさのようなものが胸に引っかかった。


(この香り……どこかで、)


 眉をひそめる。

 でも、思い出せない。記憶の引き出しの奥にひっかかっているのに、うまく開かない感覚。


(妙に、胸騒ぎがしますわ……)


 私はそっとベランダを離れ、カーテンを閉じる。

 もう一度、あの香りを吸い込めば、何かがわかる気がして。

 でも――もう、何も香らなかった。


 部屋に戻りながら、私は静かにベッドの端に腰掛ける。

 柔らかな毛布にくるまりながら、まだぼんやりと、あの香りの残滓を探していた。


「……気のせいかしら。でも……」


 瞼を伏せ、静かに言葉をこぼす。


「忘れないようにしておきますわね」


 そっと、胸に手を当てる。そこにまだ、微かな違和感だけが、灯のように残っていた。



 冷たい魔石灯の光が、仄暗い室内に浮かんでいた。

 壁には無数の線と記号が刻まれた地図。学園周辺の詳細な見取り図だ。

 その中央、ぼんやりと明滅する光点を、誰かが指でなぞる。


「報告がありました。計画は予定通り」


 低い声が、ほとんど吐息のように空気を震わせた。


「観察対象“エレナ・シルヴァーバーグ”。香識反応、未覚醒――だが兆候あり」


 別の声が応じる。

 男とも女ともつかぬその声音は、何かを確信しているかのような、妙な抑揚を孕んでいた。


 壁際の卓上には、幾枚かの羊皮紙と香料瓶。

 そのひとつには、極小の字で《ラフェルトNo.4旧型》と記されている。


「予定より早いが……学園という“閉鎖空間”ならば、観察にはちょうどいい」


 静かに椅子が軋み、誰かが立ち上がる。

 その背後、壁に設置された観測盤には、寮の見取り図と香気検知記録が浮かび上がっていた。


「いずれにせよ、“彼女”はすでに隣にいる。……あとは、反応を待つだけだ」


 まるで芝居の幕が上がるのを待つ観客のように。

 仄暗い部屋の中、誰もがただ、静かに――笑っていた。

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