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第七話:最初の訪問者は、方向音痴の貴族様

森の朝は、驚くほど静かで、やさしい。

風がそよぎ、葉が揺れ、陽が差し込む。


それだけで“ここにいていいんだ”って、胸がじんわりあたたかくなる。


 


「ぴゅるん、お茶の用意してるから、お湯こぼさないでよ?」


 


「ぴぃ!」


 


ぴゅるんは今日も元気に跳ね回っていた。

マフマフ草の葉を乾かして作った即席のハーブティー用ブレンドに、お湯をそっと注ぐ。


湯気が立ち上り、森の匂いに、甘い香りが混ざっていく。


 


私は「自国の発展」を名目に、最近は“ふかふか寝床の改良”と“食事のレパートリー拡充”に全力を注いでいた。


つまり、ぐうたら生活のさらなる最適化である。


 


「でもさ、やっぱりちょっと寂しいよね」


 


「ぴぃ?」


 


「いや、ぴゅるんがいてくれるのは最高だけど……もうちょっと、喋れる人とか、いないかなって」


 


ぴゅるんは少し考えるように耳を動かしたあと、マフマフ草の上に座り込んで「ぴぃぃぃ……」と長めに鳴いた。


 


「え、もしかして今のが呼び声だったの? 動物語?」


 


反応はない。たぶん、気のせい。


 


私は苦笑しながら、木の器にハーブティーを注いで、小さなパンをかじった。

朝ごはんがちゃんと取れるってだけで、もう立派な文明。


国だって、パンとモフさえあればなんとかなる。


 


「さて……今日も森の様子を見て回ろうか。昨日の北側に変な魔力の揺らぎがあった気がするし……」


 


その時だった。


 


「――う、うわっ!? あっ、あああぁ!?」


 


突然、遠くの茂みから何かが突っ込んできた。


木の枝がばさばさと揺れて、鳥が一斉に飛び立つ。


何事かと思って立ち上がると、目の前に――


 


ひとりの青年が転がり出てきた。


 


「……ぐっ……いたた……お、俺は……? ここは……?」


 


彼は顔をしかめ、頭を押さえながら地面に仰向けになっていた。


服は貴族風。明らかに街着。森歩きに向いていない薄手の上着。

膝には泥、腕にはかすり傷。


そしてなにより――


 


「……方向音痴?」


 


「なっ……ち、違っ……いや、まあ、その、若干……?」


 


私のぼそっとしたツッコミに、彼はしどろもどろになりながらも身を起こした。


 


「君、ここで何を……いや、それより、ここはどこだ? 俺は、ただ森を調査していたら、いつの間にか……」


 


「迷い込んだの?」


 


「……そうなる」


 


「正直だね」


 


ぴゅるんが私の肩にぴょこんと乗って、「ぴぃ」と鳴いた。


その声に青年は反応して、目を丸くする。


 


「そ、その生き物は……!?」


 


「ぴゅるん。かわいいでしょ」


 


「見たことがない……いや、それどころか、これは記録にも残っていない幻獣種では……?」


 


「え、記録に残ってないの? じゃあ、発見者は私ってことで」


 


「うわあ……マジか……」


 


青年は、地面にへたりこんで空を見上げた。


疲労と驚きと、少しの感動と、何より迷子になった現実をどう処理すればいいかわからない混乱が、彼の表情に滲んでいた。


 


私はしゃがみ込んで、にこっと笑って言った。


 


「とりあえず……お茶飲む?」


 


 


そうして、私のもふもふ王国に、初めての“お客さん”がやってきた。


それが、ちょっと方向音痴な貴族の青年だったとしても――

出会いは、案外そんなものなのかもしれない。


 


「ふぅ……」


 


手元の木の器に、温かいハーブティーの湯気がふわりと立ち上る。

即席のティーテーブル――と呼ぶにはまだまだ頼りない切り株の上に、それらしい雰囲気だけが漂っていた。


向かいに座る青年は、カップを両手で包み込みながら、心なしか緊張した様子で視線をさまよわせていた。


 


「どうぞ。ぴゅるんブレンドハーブティー、限定一日三杯まで」


 


「……ぴゅるんブレンド?」


 


「うん。ぴゅるんが寝転がってたマフマフ草の葉を乾かして使ってるの」


 


「え、それ大丈夫なやつ……?」


 


「問題ないって、ぴゅるんが言ってた」


 


「言ってたの!?」


 


突っ込まずにはいられない、という顔をして青年が叫ぶ。

ぴゅるんはその声に「ぴぃ?」ときょとんと首を傾げてから、

器のふちをくんくんと嗅いで、納得したように「ぴぃっ」と鳴いた。


 


私はそのやり取りに満足げに頷いてから、改めて目の前の青年を見た。


 


見た目は、きちんとした貴族の青年という印象。

肩までの明るい茶髪を後ろでまとめていて、目は真面目そうな青。

服はだいぶ泥で汚れていたけれど、仕立ての良さは隠せない。


何より、立ち居振る舞いが“育ちの良さ”を滲ませていた。


でも――なんとなく、肝心なところが抜けてる気がする。


方向音痴だし、転んでばっかりだったし、魔法の気配はあっても戦闘訓練は……うん、たぶん受けてない。


 


「それで、あなたの名前は?」


 


問いかけると、彼は一瞬ためらって、それからまっすぐにこちらを見た。


 


「……レイヴン・ユスティス。王都南区の準伯爵家、ユスティス家の三男です」


 


「三男……ああ、なるほど。だから自由なのね」


 


「……え?」


 


「次男でも跡継ぎでもない男の子って、わりとフットワーク軽いから」


 


「……すごく失礼なこと言ってません?」


 


私は首を傾げて微笑む。


「褒めてるのよ? むしろ貴族でこの森に迷い込んでくるなんて、相当フットワーク軽いわよ」


 


レイヴンは苦笑しながら、ようやくカップに口をつけた。


そして、少し目を丸くする。


「……あ。……うまい、これ」


 


「でしょ。ぴゅるん、やっぱりブレンドの才能あるよ」


 


「ぴぃ!」


 


満足そうに跳ねるぴゅるん。

なんなのこの毛玉。万能か。


 


しばらくの沈黙の後、彼はふと真面目な顔になった。


 


「君は……ここで暮らしてるの?」


 


私は少しだけ考えて、それから頷いた。


「うん。ここに国をつくるの。私の、モフモフの国」


 


レイヴンは絶妙な表情で私を見た。

真面目な顔のまま、眉が困ったように下がっていた。


 


「国、ですか……?」


 


「ええ。王もいるし、国民もいる。税金はゼロ。法も命令もない。あるのは昼寝とお茶と毛玉」


 


「すごく平和そうですね……いや、ほんとに」


 


「でもね、楽しいだけじゃなくて、ちゃんと守ることも考えてるの。

 この森には、不思議な魔力があるし、ぴゅるんみたいな存在もいる。……だから、誰かに奪われないようにしないと」


 


レイヴンの瞳が、ふと鋭くなった。


「……“誰かに奪われないように”って、それは……」


 


「ええ。王都の人たちって、珍しいものを見ると欲しがるから」


 


私は、目を伏せて笑った。


冷たくも皮肉でもない。ただ、知っている者としての実感。


王都の人間は、知らないものを「未知」と呼ぶ前に、「所有物」として考える。


 


「レイヴンさん。あなたは王都から来たんでしょ? ここに、何を探しにきたの?」


 


問いかけると、彼は目を伏せ、少しだけ躊躇してから答えた。


 


「……第五皇女、アリシア様の行方を探していました」


 


空気が、少しだけ変わった。


 


私は表情を変えず、静かに続きを促す。


 


「それがあなたの任務?」


 


「はい。もともと私の家は王室直属の記録管理局の支援に関わっていて……

 私は“調査員”として、王都周辺の森や古代遺跡を調べていたんです」


 


言い淀みながらも、彼は誠実に話した。

嘘をついている感じはない。たぶん、ほんとうに、ただの“記録屋”だったのだ。


ただし――その先に、何かを背負わされているような雰囲気が、彼の背中からじわじわと滲んでいた。


 


「第五皇女が自ら姿を消す理由も、逃げられるだけの力があったことも……正直、想定外だったようです」


 


「そう。じゃあ、見つけたら報告する?」


 


「……本当に見つけたら、どうするべきか、今はまだわかりません」


 


ぴゅるんが、「ぴぃ……」と低く鳴いた。


私も、少しだけ視線を逸らす。


 


「あなたが正直に話してくれたから、私も教えるわ」


 


レイヴンが、はっとしたようにこちらを見る。


私は、ほんの少しだけ笑って言った。


 


「私は、ここで“アリシア”って名前は使ってないの。

 森の主でもないし、女王でもない。ただの、モフ好きな変人よ」


 


レイヴンの目が、大きく開いた。


でも、彼はそれ以上なにも言わなかった。


ただ、ゆっくりと頷いて、最後に一言だけ言った。


 


「じゃあ……変人さん。もう一杯、お茶もらえますか?」


 


私は笑って、器にもう一度お湯を注いだ。


森に漂う香りと、ぴゅるんのぬくもりと、正体を隠したままの“元・皇女”と、正体に迷う“貴族の青年”。


それでも――この時間は、たしかに平和だった。


 


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