表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/8

第六話:森の住人たちと、最初の“におい”

朝の森は、まだ眠たげな光に包まれていた。


風はやわらかく、鳥の声は遠く。

木々の影がやさしく揺れて、ぴゅるんがくしゅりとあくびをした。


 


私は“ぴゅるんハウス”の前で、大きく伸びをする。

昨日作った即席の小屋は、夜の冷えを防いでくれたし、何より――あの毛玉がいるだけで、どんな場所だって安らぎの寝床になる。


 


「おはよう、ぴゅるん。……今日も、かわいいわね」


 


「ぴぃ……」


 


まだ半分寝ぼけている様子で、ぴゅるんは私の足元にごろんと転がる。

それを見て、私は思わず笑ってしまう。


 


(朝から尊い……)


 


森での暮らしは、まだ何もかもが不慣れで、手探りばかりだけれど。

その“手探り”を誰にも否定されないことが、たまらなく嬉しかった。


 


王城にいたころは、何をしても“正しさ”が求められた。

決まった時間に起き、決まった服を着て、決まった言葉で人と接する。


ここには、そんなものはひとつもない。


“お腹が空いたら探して食べる”

“眠くなったら寝る”

“モフりたくなったらモフる”


 


……最高じゃない?


 



 


森を歩いていると、小さな音が聞こえるようになる。

葉が落ちる音。風が揺れる音。枝を折る音。


耳を澄ませると、森が生きているのがわかる。


それはまるで、王都の雑踏とは正反対の音の豊かさだった。


 


「この辺、今日は食べ物あるかな……」


 


昨日作った小屋の周りをぐるりと探索していると、地面に小さな木の実が落ちているのを見つけた。


少ししっとりしているけど、魔法で毒素の有無は確認済み。

ぴゅるんが「ぴぃ!」と跳ねて喜んでいるから、味もたぶん悪くない。


 


「ちょっと火を通してみようか。あったかくして食べたいし」


 


“魔法で火を起こす”という行為にも、もう慣れてきた。

城では許されなかったけれど、私にはずっとこの力があったんだ。


今は誰も咎めない。

誰にも、「皇女らしくしなさい」なんて言われない。


 


私は小さな鍋に水を汲み、実を煮てみる。

薄く香ばしい匂いが立ち上って、思わずお腹が鳴った。


 


「……なんか、それっぽくなってきたね、ぴゅるん」


 


「ぴぃぃっ!」


 


得意げに跳ねる毛玉。

一緒に暮らしているって感じが、ちょっとだけ強くなった気がした。


 



 


食事のあと。

私は焚き火のそばで、ぴゅるんを膝に乗せながらまどろんでいた。


もう少ししたら、水源を探してお風呂代わりに身体を流したいし、森の地形も把握しておきたい。


でも――その時。


 


ふ、と、風が変わった。


 


香りが、変わった。


 


「……あれ?」


 


さっきまでと違う、ほんのかすかな“におい”。


土でも花でも草でもない。

甘いような、でも少し鋭いような、鼻の奥をくすぐる匂い。


どこかで嗅いだことがあるような――でも、思い出せない。


 


「ぴゅるん……なんか、変な匂いしない?」


 


「ぴぃ……?」


 


ぴゅるんも鼻をくんくんと動かしている。

私と同じで、何かを感じ取っているのは間違いない。


匂いの方向は、森の奥。


風がそちらから吹いてきている。

でも、さっきまでとは違って――何かが、そこに“ある”。


 


「……行ってみようか」


 


私はぴゅるんを腕に抱え、ゆっくりと森の奥へ歩き始めた。


さっきまでの陽だまりとは違って、ここは少し暗い。

枝が密に重なり、空が見えにくい。


でも、不思議と怖くはなかった。


私には魔法があるし、なによりぴゅるんがいる。


それに、たぶん――この匂いの先には、“誰か”がいる気がした。


 


誰かが、待っている。


私を知っているわけじゃない。

でも、出会うべき何かが、そこにある。


そう感じさせる、不思議な風だった。


 



 


森の奥は、静かだった。


音はないのに、空気が動いている。


枯葉を踏む足音が、やけに大きく響く。


そして、ようやく辿り着いた――その場所。


 


一面に、白い花が咲いていた。


 


ふわふわとした綿毛のような花が、風にそよいで揺れている。


たぶん、どこかの文献で見たことがある。

古い言葉で、“マフマフ草”と呼ばれる、魔力を持つ植物。


穏やかな力を持ち、魔物さえ癒すと言われた幻の植物。


 


「……ああ、なるほど。これか、“におい”の正体は」


 


私はぴゅるんを降ろして、そっと膝をつく。


花のそばで、静かに深呼吸した。


甘くてやさしい。まるで毛布みたいな香り。


でも、それだけじゃない。


 


この匂いの中に、確かに――“呼ばれている”感覚があった。


 


風が吹く。


ぴゅるんの毛がふわりと揺れる。


私の髪も、そっと撫でられた。


 


誰かが、優しく背中を押してくれたような、そんな気がした。


 


「……この森、やっぱりただの場所じゃないのかも」


 


ここには、何かがある。


それが何かはまだわからないけれど。

私は、きっとここで――もっといろんな出会いをするんだと思った。


 


そしてその“におい”は、確かにその始まりを教えてくれていた。


ぴゅるんは、花の中で丸くなって寝ていた。


白い毛並みと、白い綿毛の花が重なって、まるで自然の一部みたいに見える。

呼吸のたびに小さく揺れる体。耳がふるふると震えて、ときどき「ぴぃ」と寝言を漏らす。


私はその様子を見ながら、小さく笑って、膝を抱えた。


 


森の奥に咲いていた“マフマフ草”。


魔力に満ちたこの場所に、ぴゅるんはすぐに懐いて、安心しきった様子で眠り込んでしまった。


まるで――帰るべき場所に帰ってきた、みたいに。


 


「……君にとっては、ここが“ふるさと”なのかな」


 


そう問いかける声に、答える者はいない。

でも、代わりに風がそよぎ、花の香りがまた優しく鼻をくすぐった。


それだけで、十分だった。


 


私は小さく深呼吸をして、青く高い空を見上げる。


どこまでも広がっていて、誰のものでもない空。


王都で見ていた空とは、同じようでまるで違う。

あっちは、閉じられていた。

この空は、開かれている。


 


この森に来てから、いろんなことを考えた。


“逃げた”ことに後悔はなかった。

でも、“逃げてきただけ”では、すぐにまた何かに縛られると思った。


この場所が、いつか誰かに見つかって、壊されるかもしれない。

アリシアという名前が、また私を追ってくるかもしれない。


 


でも。


 


だからこそ、私のほうから先に――言葉にしておくべきだと思った。


 


「……私は、ここに“国”をつくる」


 


誰にも聞かれていない。


でも、私ははっきりと言った。


ぴゅるんが、目をぱちりと開けて、こちらを見上げる。


 


「モフモフたちが安心して眠れる国。

 ぐうたらしたって怒られない国。

 食べたい時にお菓子を食べて、眠たい時に寝て、好きなものを好きって言える国」


 


私の声は、どこかふわふわしていた。


だけど、それはこの森の空気に似ていて、少しだけ心地よかった。


 


「何もないけど……でも、ここにあったの。君がいて、マフマフ草が咲いてて、空があって、風があって。

 それだけで、生きていける気がしたの」


 


ぴゅるんは、ちょこんと私の膝に乗って、じっと私の顔を見つめている。


「……ぴゅるん、君はどう思う?」


 


「ぴぃっ!」


 


力強く――というには小さすぎるけれど、それでもぴゅるんは、はっきりと鳴いた。


賛成。

そんなふうに聞こえた。


 


私は、その小さな声に背中を押されるように、微笑んだ。


 


「ありがとう。じゃあ……私たちの“国づくり”、始めようか」


 


森に風が吹く。

花が揺れ、枝が鳴る。

太陽が高く昇って、光が世界を満たしていく。


 


私は、たった一人の“逃亡皇女”だった。

でも今――


 


たった一人の“王”になった。


 


それは、誰かを従わせるための王じゃない。

誰かを守るための、誰かと一緒に生きるための、“優しい王”。


その始まりの旗は、今――

ぴゅるんのふわふわの毛の中で、そっと揺れている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ