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第五話:この森で生きていくって、決めた

ぱち、と、薪がはぜる音で目を覚ました。


まだ薄暗い森の中。

焚き火の残り火が、うっすらと橙色の光を残している。


身体は冷えていたけど、不思議と心は落ち着いていた。

夢は見なかった。けれど、ぐっすり眠れた気がする。


たぶん――この森に来てから、はじめて“心も体も休めた”のかもしれない。


 


「……んん」


 


ごそごそとマントの中で動くと、胸元の毛玉もむにゃむにゃと動いた。


 


「ぴゅ……」


 


「おはよう、ぴゅるん。よく眠れた?」


 


「ぴぃ……」


 


返事とも寝言ともつかない声が返ってくる。

ふわふわの毛に顔をうずめながら、私は小さく笑った。


 


「……ねえ、ぴゅるん。私、たぶん、この森で生きていこうと思う」


 


朝一番の声は、誰にも聞かれないけれど、

だからこそ、素直になれる気がした。


 


「なんかね、昨日までは“逃げてきた”って思ってたんだけど……今はちょっと違うの」


 


ぴゅるんは、むにゃっとしたまま私のマントの中に潜り込んでくる。

あったかい。

こんな小さな存在に、私はどれだけ救われてるんだろう。


 


「ここにいると、息ができるの。深く、ちゃんと……私のままでいられる」


 


火のそばに落ちていた小枝を手に取りながら、私はそう呟いた。


 


そう。私は、この森に生きるって、決めた。


ただ逃げるんじゃなくて、自分の意志でここにいるって、胸を張って言えるようになりたい。


 


「そのためには……やっぱり、住む場所が欲しいよね」


 


私はぴゅるんを抱き上げて、自分の膝の上に乗せる。


「ねえ、ぴゅるん。この辺りに、小さな小屋を作ってみない?」


 


「ぴぃ?」


 


「草のベッドとか、木の壁とか。……ふかふかの寝床があれば、寒い夜だってへっちゃらだし」


 


「ぴぃ!」


 


ぴゅるんがぴょんと跳ねて、私の胸に飛び込んできた。


その様子が、「賛成!」って言ってるみたいで、思わず口元が緩んだ。


 



 


午前中、私は小さな範囲を歩き回って、材料になりそうなものを探した。


枯れ枝、落ち葉、苔の生えた石、木の皮。


森の中には、思ったよりも“使えそうなもの”がたくさんあった。


使えそう、と言っても、私はもちろん建築の知識なんてない。

ただ、昔読んだ冒険記や、こっそり手に入れていたサバイバル指南書の断片を思い出しながら、なんとなくそれっぽく選んでいく。


 


「この辺りは日当たりがいいし、風も弱い……うん、たぶんここがいい」


 


小さな丘のふもと。開けた平地。

森の中にしては珍しく、空が見える場所だった。


木の枝を組んで、葉っぱで屋根をつくって。

正直、それは“住居”というより“ちょっと立派な物置”くらいの見た目だったけど――


 


「……いいじゃん、これ」


 


私はその場に座り込み、完成した“初めての我が家”を眺めながら、小さくつぶやいた。


誰にも文句を言われない。

誰にも評価されない。

だからこそ、すごく誇らしかった。


 


「ようこそ、ぴゅるんハウスへ」


 


「ぴぃぃっ!」


 


ぴゅるんもなぜか嬉しそうに跳ねて、小屋の中をころころ転がり回っている。


その姿があまりにも可愛くて、私はしゃがみ込んだまま、ずっと見つめてしまった。


 


こんなふうに、誰かと一緒に何かを作って、

笑い合って、ほっとして――


私は、そういう日々を、ずっと望んでいたのかもしれない。


 


皇女なんて肩書きじゃなくて、

国の未来なんて背負わずに、

ただ、こうして誰かと寄り添って生きる日々を。


 


「……ここが、私の国になってもいいのかもね」


 


冗談みたいに言ったその一言が、胸の奥でぽつんと響いた。


ぴゅるんの家は、私の家でもある。


そして、それが誰かの居場所になっていく未来が、ふと頭をよぎった。


 


私はまた小さく笑って、地面に寝転んだ。


見上げた空には、雲ひとつない青。


森の光が、木々の隙間から降り注いで、肌に心地よく触れてくる。


 


ここが、私の始まりの場所。


ようやく、そう思えるようになった。


セレナシア王国の心臓部、王都レグレア。

その白く輝く石造りの街並みは、朝も夜も、絶えず整えられている。


どれだけ天候が荒れようと、どれだけ政治が揺れようと――この都は、美しさを保ち続ける。


けれど、そんな王都の奥。

王城の一室では、目に見えない“ざわめき”が静かに広がり始めていた。


 


「――アリシア殿下の所在は、いまだ不明とのことです」


 


重々しい報告が、会議室に響いた。


長机を挟み、沈黙する貴族たちと皇族の一部。

そこには、いつものように整えられた言葉も、気取った笑みもなかった。


ただ、一人の皇女がいなくなった――それだけのこと。


それだけのこと、で済ませられない空気が、今ここにある。


 


第一皇子・アゼルは、椅子に深く腰を掛けたまま、手元の報告書に目を落としていた。


濃い金色の髪。鋭い灰色の瞳。

規律と誇りを体現したようなその男は、読み終えた書類を静かに机に置いた。


 


「城内に残された痕跡は?」


 


「部屋には乱れなく、使用された魔術の痕がいくつか確認されました。気配遮断、おそらく独自の調整が施されたものと思われます」


 


「……気配遮断魔法、か。使える者は限られる」


 


アゼルは眉をひそめ、わずかに指先を組み直した。


「これまで一度も魔力の片鱗を見せたことのない女が、その程度の技術を隠していた……か」


 


誰かが、咳払いをして沈黙を破った。


「……殿下、第五皇女が逃亡したと断定されるので?」


 


「事実はどうあれ、現実に姿を消した。それは裏切りとも解釈できる行動だ」


 


冷たい口調だった。


あくまで、個人の感情ではない。

政治の中で、彼女の“消失”がどう扱われるか――それを、彼は語っている。


 


アゼルは、言葉を重ねる。


「……第五皇女は、我が王家において貴重な“均衡”だった。中立で、強く主張せず、沈黙をもって貴族と宮廷を繋ぐ“柱”のひとつだった」


「それが失われれば、継承の構図は揺らぎます」


「無論、我々の動きも変わるということだ」


 


それは、言外に“動く”という宣言だった。


彼はまだ表立って軍を動かしてはいない。

けれど、その意図を察した者たちは、静かに背筋を伸ばす。


 



 


「……まったく、世話の焼けるお姉さまだこと」


 


その呟きが漏れたのは、会議の少しあと。

王城の別棟、緋色の絨毯が敷かれた私室の窓辺だった。


そこに立つ少女の名は、第七皇女・ルゼリア・セレナシア。

王族の末娘であり、わずか十四歳にして“宮廷の紅い花”と呼ばれるほどの美貌と知性を備える少女。


 


黒髪に紅い瞳。細く整った手で、彼女は窓の外に視線を送っていた。


「でも……面白いわね」


 


そう呟いて、彼女はゆっくりとカップの紅茶を口に含んだ。


「静かで地味だったアリシア姉さまが、こんな大きな波を起こすなんて」


 


その声は、冷たくもあり、どこか楽しげでもあった。


彼女は誰よりも早く、“変化”の匂いを嗅ぎ取る。


 


「お姉さまの不在で、兄さまたちはどう動くのかしら。

 私もそろそろ、手札を整理しないといけないわね」


 


すぐ後ろでは、侍女が控えている。


けれど、ルゼリアの思考の中に、その存在はない。

彼女の視線の先には、もっとずっと広い“盤面”が広がっていた。


 


「それにしても……」


 


くすり、と口元を歪めて、ルゼリアはささやいた。


「どこに消えたのかしら、お姉さま。まさかとは思うけれど――“あの森”なんてことは、ないわよね?」


 


その声には、確信めいた響きがあった。


 



 


その夜。

王城の裏階層、侍従たちの詰所の片隅。


蝋燭の灯りの中で、一人の女性が筆を走らせていた。


 


リュミエール・ヴェレスタ。

アリシア付きの侍従であり、彼女の最も近くで“本当の顔”を知っていた存在。


彼女は、アリシアの失踪を知ってからというもの、毎晩欠かさず手記をつけている。


 


“殿下は無事。そう信じるしかない。

 姿を消したのは、明らかに意図的な行動だった。

 ……ならば、なぜ? 目的地はどこ? なにを求めて?”


 


「……森でしょうね。きっと」


 


ぽつりと漏れた言葉は、誰に向けたものでもない。


でも、その声音には、微かな笑みがあった。


「毛玉とぐうたらと、甘いお菓子と……全部手に入るなら、私だって、逃げ出していたかもしれません」


 


紙をめくり、彼女は新たなページに言葉を綴り始める。


 


“貴女がどこにいようと、私は味方です。

 城にいる限り、できる限りの情報と手立てを整えます。

 それが、今の私にできる“忠義”です”


 


静かに、夜が更けていく。


城では誰もがアリシアの影を探している。


けれど、彼女の真の姿を知っていた者は――この城には、もうほとんど残っていなかった。


 


それでも。

ただ一人、変わらぬ忠義を捧げる者は、確かにここにいる。


 


風が、蝋燭の炎をゆらした。


それでも火は消えない。

それは、まだ続く物語の中で、密やかに灯り続ける“忠義”の火だった。


 


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