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第二話:誰にも言えない本音と、夜の風

夜の王城は、しんと静まり返っている。

昼間の喧騒や、貴族たちの言葉の応酬は、まるで夢だったみたいに消えていた。


でも、私の心の中は、まったく静まっていなかった。


 


「……ほんと、ふざけてる……」


 


私の足元には、机から放り投げた母の遺書が転がっている。

光は消えて、今はただの羊皮紙に戻っていたけど、あの言葉は、もう忘れられない。


“実は、お父様以外にも、ちょっとね?”


“楽しかったのよ、いろいろ”


“気にしないこと!”


 


気にするでしょ。

一生、気にして生きてきたんだから。


 


私が何のためにここまで努力してきたと思ってるの?


皇帝になるために?

国を導くために?

母の期待に応えるために?


 


――違う。


本当は、もっと単純なことだった。


 


“そうしなければ、誰にも愛されない気がしたから”。


 


私は、優秀でなければならなかった。

気品があり、聡明で、皇女らしく。

そうじゃなきゃ、誰にも必要とされない気がして。


母は、私をそう育てた。

たぶん――悪気はなかったのかもしれない。

でも、その分、誰よりも重い期待を押しつけてきた。


「あなたは私の誇りよ」って。


それが、どれほどの呪いになったかなんて、きっと知らないまま逝ったんだ。


 


私は、床に膝をついて、羊皮紙を拾い上げる。

紙はすでに冷たく、すべてを終えたかのように沈黙していた。


その重さが、妙に虚しかった。


 


「……バカみたい」


 


ぽつりと漏れた言葉に、誰も答えない。

答えが欲しいわけじゃなかった。ただ、吐き出したかっただけ。


 


私の部屋は広い。天井は高く、窓には刺繍入りのカーテン、家具は金細工が施されたものばかり。


でも、あまりに広すぎて、声が吸い込まれていくような気がする。

冷たくて、静かで、落ち着かない空間。


そう。落ち着かない。ずっと。


この部屋は、私の“居場所”じゃなかったんだと、やっと気づいた。


 


「……リュミエール、今、起きてるかな」


 


呼んでみようか、一瞬迷った。

でも、やめた。今の気持ちを、あの人に伝えてしまったら――

私、きっと、泣いてしまう。


私は皇女で、彼女は侍従。

どれだけ近くにいても、越えてはいけない線がある。

そんなこと、嫌ってほどわかってる。


だから――私の弱音は、誰にも聞かせられない。


 


私は、そっと窓を開けた。

冷たい風が部屋の中に流れ込んでくる。夜の匂いがする。草と土の、どこか懐かしい香り。


 


夜空を見上げた。雲ひとつない。満天の星。


その星のひとつひとつが、誰のものでもないことに、ほっとする。


 


「……逃げたいなぁ」


 


呟いた言葉は、すぐに風にさらわれた。


だけど、確かに私の中で“何か”が動き出していた。


「逃げたい」なんて、これまで一度も許されなかった。

母の遺言があって、皇女としての誇りがあって、周囲の目があって。

自分にそんな選択肢があるなんて、思いもしなかった。


でも、今日――母の“本音”を知ってしまった。


私が背負ってきた全てが、母の“罪悪感の置き土産”だったと知った今。

もう、無理だった。


頑張る理由も、期待に応える意味も、消えてしまった。


 


だったら――


 


「……行ってみようかな。森に」


 


思わず口にして、私は自分で笑った。


この国で一番危険とされている“エリュシオンの森”。


誰も近づかない。魔物が出る。立ち入り禁止。


そんな場所に行こうなんて、本来なら正気の沙汰じゃない。


 


でも、不思議と怖くなかった。


 


私には魔法がある。

ずっと、皇女という枠の中で使うことを禁じられていたけど――

それでも、密かに鍛えてきた。


誰にも知られず、ただ“自分のため”に積み上げてきた力が、確かにこの身にある。


もしも、この城を出てしまえば。

私はもう、皇女じゃなくなる。

誰の命令も受けなくていい。ただの、魔法の使える女の子になる。


 


「……それって、ちょっとだけ、いいかも」


 


小さく笑った。

冗談みたいな話。でも、すごく惹かれる。


私は夜着の上にマントを羽織り、引き出しの奥から小さな革袋を取り出した。

中には、最低限の魔術具と非常用の小銭。そして、母の形見のブローチ。


それだけで十分だった。


何も持たずに、全部置いて、全部忘れて、ただ“私”になりたかった。


 


「……逃げよう。今夜」


 


そう決めた瞬間、心がふっと軽くなった。


 


部屋の扉に背を向けて、私は窓から外を見た。


王都の灯りが遠くに揺れている。

あの灯りの向こうに、森がある。誰もいない、何も命令されない場所が。


 


風が、私の頬を撫でた。


「ただの一晩だけでいい。自分を、甘やかしても」


誰にも言わずに、私は夜の城を抜け出す。


まだ、何も始まっていない。

でも、終わらせたくなっただけ。誰かの人生を生きるのは、もうやめたかった。


 


星空の下、私はそっと微笑んだ。


 


“本当の私”は、きっと、これから始まる。


 


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