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「人は自分が経験したものしか書けない」という言葉の真意 ~人と人との関わりが言葉を読む力を磨く、という話~

作者: いけなミ ゴろう


以前の話ですが、SNSでこんな感じのことを投稿している人がいました。


「異世界系を書いてる人は異世界に行ったことがあるということになる」

「ハーレム系を書いてる人はハーレムを作ったことがあるということになる」


正確にこう言っていたわけではないですが、要は「人は自分が経験したものしか書けない」といった言葉に対する反論みたいなものですね。

なろう作家がこれと同じようなニュアンスの投稿をしているのも見た覚えがあります。


これを見たとき、俺は日本人の言語理解力が下がっているのを感じましたね。

作家を名乗るような人間さえコレかよ、と。


そもそも『自分が経験したものしか表現出来ない』なんて、当たり前すぎるくらい当たり前の話なんですよ。

仮に異性の存在を知らないまま言葉だけを覚えた人がいたとしたら、その人物は男女の恋愛話なんて書けるわけがないですよね。

人じゃなくAIの話ですが、言語以外に何も学習させてないAIなんて会話すら出来ないでしょう?


しかし、現代の知識や認知をベースにすれば、本当の異世界を知らなくても人は異世界モノを書けるんですよ。

だって、ネットを開けば外国の情報だって簡単に手に入って、そういった情報を繋ぎ合わせれば異世界っぽい世界だって表現出来るじゃないですか。

こういったやり方が異世界モノの始まりで、さらに言えば今は異世界モノの漫画や小説がそこいらにゴロゴロしてますから、そういったものを読むのもまた『経験』の内ですよね。


ですが、「人は自分が経験したものしか書けない」みたいな言葉の本当の意味は、そういう浅い理解のものじゃないんですよね。


今回はこれを頑張って言語化していこうと思います。



男と女。性別は二つです。

これは生物学上の分類の話で、ポリコレだのLGBTだのDEIだのは無視だ、無視!オラァ!


この性差の問題は絶対的な壁で、男が女性体のことを100%理解することは不可能ですし、その逆もまた不可能です。

女性が絶対経験出来ないものの一例を挙げると、『キ〇タマを強打した時の苦痛』とかでしょうねw

逆に男性は、生涯を費やしても出産や生理の辛さを正確に理解することは出来ません。


ですが、どちらも異性が漫画や小説で表現することが不可能なわけではないんですよ。

それは先述した通り、漫画・アニメ・小説などで表現されてるものを見たり読んだり、異性から体験談を聞いたりで、経験として取り込むことが出来るからです。


が、しかしです。

それはいわばレプリカやコピーであって、いくら学習や経験を重ねても本物の体験には届かないものですよね。


漫画などで男キャラが股間を強打して、「タ、タマが……っ!?」と悶え苦しむシーンがあるとします。確か何かの漫画で本当にあったと思いますが。

こういったシーンを見たとき、実際にキ〇タマを強打した経験があると「はい、ウソー」となるんですよ。

なぜなら、股間を打った際に真っ先に感じる痛みはタマ辺り由来の痛みじゃないからです。


ちょっと真面目に生理学の話をしますが、人体が感じる痛みというのは発生源が複数ある場合、より大きなものが優先されるようになっています。

大怪我をしたとき、後になって「手足の指も骨折してました」と発覚したりすることがあるのはこれが一因。

そして、人間は内臓に感じる痛みの優先度が非常に高くなってます。


男のタマは管みたいなものが体内に繋がっていて、だからタマを強打すると管が繋がった先が悲鳴をあげるんですよ。

外にブラ下がってるので勘違いされがちですけど、男がブラ下げているアレは実は内臓なんです。

痛む位置はなかなか説明が難しいんですが、ヘソと棒の中間辺りの奥、みたいな所。


痛みの説明も難しいんですけど……『痛み三割・苦しさ七割、内臓をねじりあげられるような苦痛』みたいな感じですねw

これがなんとも無理矢理タマを腹の中に押し上げられたような苦しさ(実際はただの錯覚)で、なので『男が股間を打ったときはジャンプしたり腰を叩いたりしてタマを下ろす』みたいな行動が生まれたわけですw


というわけで、外側の部位が痛むのは内臓の痛みが治まった後で、打撃を食らった直後に「タマがっ……!?」みたいな反応は経験者からすると不自然なんですよ。

うまくタマを避けて打撃を食らった場合は、内臓痛じゃなく外傷痛を感じるんですけどね。

ちなみに、アレが破裂した場合のことは知らん! 知りたくもない!



さてはて、ここまで女性ドン引きの話をしてきたわけですが、本題に戻ります。


俺がこういった話を書けるのは、俺が男であり、自身でこのような経験をしたことがあるからです。

同じ経験をしたことがある野郎どもには、それなりに共感が得られるんじゃないでしょうかw


ですが、自身の経験や体験を100%出力するというのは、ほぼ不可能です。

漫画家なら画力で、小説家なら文章力で、出力の上限値は変わりますから。

相当な力量がある人でも、五割以上伝えられたら上等じゃないですかね。


ということは、そういった作品を見たり読んだりで得る経験値は実体験には遠く及ばないものになりますし、それをさらに絵や文章で出力しようとすると値はまた下がるわけですよ。

これが一定値を越えると、見てる側が共感出来なくなるんです。

たとえばですが、骨や内臓に届くレベルの大怪我をしたキャラが「あ痛っ」くらいの反応してたら違和感バリバリでしょう?

ワンピースみたいな作風で、そういうキャラ付けされてるキャラなら別にいいんですが。


この一定値のラインというのは読解力や分析力で変わるんですが、分かる人にはそこからある程度推察出来るんですよ。

その作者が持っている人生の経験値が。



なろう系のチート主人公が嫌われる理由でよく挙がるのが、『貰いものの力でイキってる』というものです。

確かに多くは主人公の努力に関係なく力が降ってくるような話で、それは現実に置き換えると宝クジが当たるようなもんですよね。


宝クジが当たったとき、身内や極めて親しい友人に何かお高い物を奢ったりするのは俺もアリだと思いますよ。

でも、あぶく銭が降って湧いたからと、よく知らん人間にまで金をバラまくヤツって本当に格好いいと思いますか?

しかも、それで「モテてモテて仕方ねーなー。俺は別にモテたくねーんだけどなー。やれやれ」みたいな態度だったら?

そんなヤツがいたら俺は、「それでモテてるのはお前じゃなくて、お前がバラまいてる諭吉さんや栄一さんだわw」と言ってやりたいw


「魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」という言葉があって、これは要するに「相手のことを本当に思うなら施しを与えて生かしてやるのではなく、生きるために必要な術を教えてやれ」という意味です。

魚を与えてる人は良いことをした気になって気分がいいかもしれませんが、結局それは魚を与えてる相手から自力で生きる意思や能力を奪ってるんですよ。


こういった考え方に共感出来る人、こういった考え方こそが大人だと思える人は、なろう系主人公みたいな主人公をまず描かないんです。

だって、創作の主人公って『作者の思い描く理想』ですから。

まぁシュールギャグなんかはまた別枠として。


創作物として書き起こしたりせず、自分の想像の中でだけ物語を考えたりする人にしても、この法則は絶対でしょう?

自分がダサイと思う生き方を主人公にさせるとしても、そこから挫折を経て成長する話にするとか。


こう言うと「ガチクズの主人公を書いてる作品は、あれが作者の理想なのか?」という、浅い考えを堂々と口にする人も出てくるかもしれませんね。

これも分かる人にはアホみたいに簡単な話で、自分の考え方や思想を言語化出来るレベルで把握してる人になら、理想の逆を出力することだって簡単なことなんです。


創作するなら自我をコントロールして、自分の考えや経験を創作のための道具に利用するくらい出来ないと話にならないんですよ。

それが出来ない人が心のおもむくままに自我を書きなぐった結果に爆誕するのが、いわゆる『中二病の黒歴史ノート』ですw


人間の行動や言動というのは、本当に些細なところにもその人の経験や情報が含まれてるんですよ。それこそ飯の食い方とか、靴の脱ぎ方とかにさえ。

それに比べれば人が書く文章なんて、簡単に読むことが出来る情報の塊ですからね。


こういった些細なものから情報を読み取って繋ぎ合わせ、対象人物の人となりを解析する技術の最高峰が、いわゆるプロファイリングというヤツです。



「不良だったガキが大人になって丸くなった」というような話を誰しも聞いたことがあるかと思いますが、あれは歳を取ることで自然とそうなるというわけでもありません。

人が価値観を変える瞬間というのは、別の価値観に触れてこれまでの価値観を見直すことが出来たときです。


たまにいい歳になっても「ウェ~イ♪」とかやってるDQN(死語)がいますが、あれは同じ価値観の仲間としか密接な関係を持たず、価値観のアップデートが出来ないからこその結果なんですね。

周りの連中が「真面目に働くとかダサくね?」とか言ってると、その関係に染まり続ける人間には『真面目に働く=格好いい』とは思えなくなるわけです。


読む本が小学生向けの漫画から少年誌、青年誌へと変わっていくのも同じ理屈です。

自分から変化する人もいますが、大多数は友達が買ってたものを読ませてもらったとか、兄弟姉妹が買ってたものを読ませてもらったとかが始まりじゃないでしょうか。

ここで感性がアップデートされるのもまた、人と人との関わりの結果ですね。


なので創作物から思想の幼さが垣間見えると、「この作者は人間関係が希薄だったのでは?」とか「同じ価値観の仲間とだけ固まって、関係を外に広げられていないのでは?」という推測が立つわけです。


初手から好感度マックスのなろうヒロインとか見ても、作者のリアル男女関係がまるで見えないんですよね。

「助けてもらった! しゅき!」みたいなヒロインの思考って、「足が速い! しゅき!」みたいな、小学生女児的思考じゃないですか。

となると、小学校から先の女性経験が希薄なのかなー、と。


男女関係の経験値にもよりますけど、恋愛対象に見ていない異性からグイグイ迫られるのは結構怖いですよ。

こっちに恋愛感情がない状態で「相手の気持ちを考えてあげないと……」みたいに悩んでしまうのは、精神的にキッツイので。


現実でこれに平然と対応出来るのは、相手の気持ちより自分の欲望を優先出来るくらいダメな方向に女慣れしてる男か、かなり精神的に成熟した男かのどちらかです。

『男は三十代が一番モテる』という言葉がありますけど、あれは「精神年齢の成長が遅い男という生き物は、三十代くらいでようやく大人の対応が出来るようになる」という先人の経験談から生まれてるんですよ。



というわけで、まとめとして冒頭の話に戻りますが……


「人は自分が経験したものしか書けない」という言葉は隠語のようなもので、裏に隠れている真意は「お前の書いてるものから、お前の人生経験が透けて見えんぞ」みたいなものなんですよ。

京都でいうところの、お茶漬けに「帰れ」の意味を乗せるようなもんですね。

お茶漬けよりはストレートな表現だと俺は思うんですが。


中には「流行をリサーチして、読者にウケる話を書いているんだ」と言う人もいます。

が、それはそれで中身のない薄っぺらな人間性が見えてしまうじゃないですか。

「創作物に自分の想いを乗せるより承認欲求の方が大事」という考え方だってことでしょう?

それに、流行りを踏襲しつつも自分の経験や人間関係談を入れることは可能なので、結局は言い訳でしかないですよね。



人間同士、というか日本人同士の会話は、言葉の裏に本音を隠すことが多いです。

古典的とも言えるのだと、「行けたら行く」とかw

女性に予定聞いたときの「今ちょっと忙しくて……」は、本音は「お前に興味ない」ですぜw

本当に忙しくても、多少なりともこちらに興味があるなら相手から代替案出してくれたりしますから。


こういったほろ苦い思い出も含めて経験を重ねることで、人は言葉の真意を読み解く力をつけていくわけですよ。


言葉の裏を読む能力は、創作物を見る読むしてるだけではなかなか磨かれません。

フェイストゥフェイスで相手の反応をリアルに体感することが最も大事な成長要素です。

その次に知識情報ですね。


だから創作でそれが表現出来ていない、読み取ることが出来ないという人は……

ここから先に続く言葉は、読み取れる人だけ読み取ってくださいw


現実での人と人との関係、希薄になってませんか?

という話でした。


おわりー。


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