今年限りではなく、今日限りにしてください
大丈夫?
そう聞かれて我に返る。
心配そうに妻がこちらを見ていた。
「ああ、大丈夫だ。ちょっとめまいがしてね」
「最近、寒くなってきましたからね。
血圧の変化に気を付けないと」
「そうだな……」
少しばかりボンヤリとしてしまい、妻を心配させてしまったようだ。
そろそろ私もいい年齢になってきたので、体調の変化に気を付けないといけない。
季節の変わり目は身体への負担も大きく、ちょっとしたことが命取りになる。
私の身体ももう若くない故、無茶はできない。
「君にはいつも心配をかけるな。
申し訳ないよ」
「いいんですよ、別に。
そんなことより……そろそろ卒業してくれませんか?」
「卒業……だと?」
いったい何を?
分からないでいると、急に妻は怖い顔をする。
「こんなことはもう卒業してください。
いったいいくつだと思っているんですか?」
「そういうお前だっって……」
「私はアナタが心配だから、こうして一緒にいるんです。
もういい加減やめにしてくれませんか?
維持費だってバカにならないし……」
「ぐぅ……」
確かに妻の言う通りかもしれない。
このままこんなことを続けていたら、いつか倒れてしまう。
「今年限りにしておくかなぁ」
「今年限りではなく、今日限りにしてください」
「うむ……」
妻の言うことには逆らえない。
彼女の言う通り、今日限りにしておいた方がいいのかもしれないなぁ。
だが……やはり惜しい。
ずっと続けて来たことだ。
わざわざ自宅を改修して、特別にこの部屋を作ったのだ。
どんな辛い仕事でも、これがあるから乗り切れた。
子供たちが自立し、年老いた私たちだけが残されたこの家には不要の長物なのかもしれない。
私ももういい加減、老いを自覚するべきか。
「今日限りにしよう」
「そう……良かった」
妻はそう言ってほっとしたように微笑むと、ゆっくりと立ち上がった。
「もう出るのか?」
「水風呂の準備をしておきますね」
そう言ってバスタオルを身体に巻いた妻はサウナルームから出て行く。
自宅を改修して作ったプライベートサウナ。
私の身体が耐えられれば、まだまだ利用できたはずだ。
設備の寿命よりも私の身体の老いの方が先にきてしまったか。
「よっこらせ」
重い腰を上げてサウナルームを後にする。
外気に触れた途端、爽やかな解放感が肌を包む。
この感覚ともお別れか。
私はボイラーの火を落とし、そっと想い出を捨てた。