マンホールの、向こう側
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「ねぇねぇ、聞いた? 怪物の噂」
授業中にサチが私の方を叩いて耳打ちする。
「え? ああ……聞いたよ。
確か男子たちが噂してたよね。
マンホールの向こう側に怪物がいるって」
「今度一緒に見に行かない?」
「ええっ……」
サチの誘いはあまりに突拍子がなかった。
そもそもマンホールは固く閉ざされており、簡単には開くことができない。
仮にもし勝手に開けようものなら犯罪になるし、すごく危険な行為でもある。
下手をしたら命を落としかねない。
「やめとこうよぉ……怒られるだけじゃ済まないよ。
もしかしたら牢屋に入れられるかも……」
「ユカっちは大げさだなぁ」
そう言って眉をハの字に寄せるサチだが、決して大げさではない。
大人たちは子供に危険が及ぶことを恐れている。
だから不用意に変な遊びをしてはいけないと、両親も先生も周りの大人たちも、口を酸っぱくして言っているのだ。
その言いつけを破って危ない目にあったら、サチはどう責任をとるつもりなのか。
「もしマンホールに近づくつもりなら、やめたほうがいいよ。
なにが起こるか分からないから」
「ユカっちは怪物の正体を確かめたくないの?」
「え? ううん……」
マンホールに潜む怪物の正体については、以前から気になっていた。
というのも、子供たちの間では怪物の正体が噂になっているからだ。
巨大な牙があったとか、固い甲羅に覆われていたとか、何枚もの羽根があったとか、色々と言われている。
いまいち定まらない怪物の姿を写せば、きっと英雄になれる。
怪物はいったいどんな姿をしているのか。
一目でいいから拝んでみたい。
「今度の土曜日、12時ころ。
例の場所に集合だよ」
「ううん……分かったよ」
結局、断り切れずにマンホールのある場所へと向かうことになった。
自分の欲望に抗いきれなかったことにもんもんとした感情を抱きながらも、その時が訪れるのを楽しみにしている自分がいた。
当日。
12時。
ユカとサチ、そして集まった他の仲間たちは腕時計で時間を確認する。
「間違いないね、そろそろだよ」
「本当にこの時間にマンホールが開くの?」
「見回り役の大人たちがちょうど休憩に入るんだよ。
この時間ならマンホールまで行けるよ」
「どうやって開けるの?」
「このパカパカ君を使います」
サチは背負ってきたバッグから、得体のしれない機械を取り出した。
「これを使えばマンホールも一発で開くよ!」
「へぇ、そうなんだ」
「あれ? もしかして信じてない?」
「うん、ぜんぜん」
ユカが持参したパカパカ君とやらが効果を発揮するかどうか分からない。
しかし、ダメだったら引き返せばいいだけの話だ。
別にマンホールの怪物に会えなかったくらいで、人生が終わるわけではないし。
「じゃぁ、行くよ」
サチを先頭にマンホールまで向かう。
そろそろかなと思ったら、どこからか人の話し声が聞こえて来た。
「……かな……だ」
「……ええ……ね」
男の人と女の人が話をしている。
ここからだと何処にいるのかよく分からない。
周囲に明かりも見えないし。
「行こうか」
「……うん」
忍び足で歩いてマンホールの所へ。
あと少し、あと少し。
「着いたよ、私から行くね」
サチがパカパカ君を設置に向かう。
少しして、声が聞こえて来た。
「いいよ、来て!」
どうやら設置はうまくいったようだ。
私たちはサチの後へと続き、その少し後ろで待機。
すると――
ぎぎぎぎぎ……
マンホールが勢いよく開いた。
カパカパくんはスゴイ!
「おい! そこで何をしている⁉」
「やっば! 見つかった!」
見回り役の大人たちに見つかってしまった。
私たちは逃げるようにマンホールのあった場所からはい出していく。
「え? ここは⁉」
そこは今まで見たこともないような場所だった。
どこまでも広く続く無限の空間。
壁も、天井も存在しない。
はるか上の方ではキラキラと輝く照明のような光。
あれは……天井に描かれた絵ではないの?
あまりに衝撃的な光景に、誰もが言葉を失う。
味わったことのない新鮮な空気が本来あるべき場所だと教えてくれた。
ここは……地上だ!
「やった! 出られたんだ!
伝説かと思ってたけど……地上は存在していたんだ!」
「ねぇ、サチ。ここが地上なら、怪物はどこにいるの?」
「え?」
すっかり忘れていたが、ここには怪物がいるはずだ。
もしかしたら……。
「おーい、おーい!」
遠くから人の声が聞こえる。
周囲を見渡すと、沢山の人影がこちらへと迫ってきているのが分かった。
「おーい、おーい!」
押し寄せる足音。
無数の人影。
そして……人ならざるものの気配。
「お前たち、早く戻って来い!
マンホールの中へ! さぁ!」
上半身だけを地上に出したオジサンが叫ぶ。
本能で危険を察知した私たちは、穴の中へ飛び込んだ。
「馬鹿どもが! 何故、言いつけを守らない!」
黄色いヘルメットをかぶった見回り役のオジサンは、私たちが中へ入ると同時にマンホールを閉じる。
しばらくして勢いよく何かを叩きつける音が聞こえてきたが、しばらくすると収まった。
「「「ごめんなさい……」」」
私たちは見回り役の大人たちに揃って頭を下げた。
「外には恐ろしい怪物が大勢いるんだ。
あいつらを全て消し去らない限り、地上で生きていくことはできない。
いつか必ず大人たちが地上へ出られるようにするから。
それまで我慢するんだよ」
オジサンは優しい口調で語り掛けてくれた。
伝説だと思っていた地上の世界。
それは確かに存在していた。
でも、そこで人が生きていくことは難しいようだ。
「大人になってから、また地上へ行こうね」
帰り道、サチが耳元でささやく。
私は小さく頷いて答える。
「うん、約束だよ」
私たちは本当の世界をまだ、知らない。
ジャンル:パニック