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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

コリー

作者: 東雲慈雨

どうして私がこんな物語を知っているかも、いつ知ったかも、わからない、いくら調べても出てこない、あなたの中にそんな物語はありませんか?これはそんな物語の一つ。貴方がこの物語を聴いて、どこか懐かしい気がしたり、どこかで聴いたことのあるようであれば、どうか私に教えてください。私も、思い出したいんです。どうか、どうか、お願いします。


遠い遠い、昔の話だったようにも、つい最近のお話だったか、どうも覚えていません。しかし、ある町の外れに、ある小さなお家がありました。そこはどうにも私の家に似ていて、懐かしい感じがする、落ち着いたお家でした。そこには穏やかで、人の話をよく聴き、存在感があるわけでもないけれど、多くの支えとなるような、優しい、静かなおばあさんと、大きく、もふもふとして、元気いっぱいで愛嬌を振りまくのが得意な犬のコリーがゆったりと暮らしていました。コリーはいわゆる町のアイドルで、毎日、お散歩の時には町行く人々がみんなコリーにおはよう、とか声をかけ、コリーはわふっとみんなにお返事をしていました。お婆さんは穏やかな笑顔で、にこにことそれを眺め、コリーに挨拶をしてくださった人たちに一人ずつ、会釈をしておりました。コリーは幸せでした。大好きなおばあさん、大切な町のみんな、みんながみんな、コリーに笑ってくれました。


ですが、変わらない日常という幸せはいつか壊れてしまうものです。

寒い冬のことでした。窓の向こう側では蝋燭に照らされた雪がちろり、ちろり、と光っていました。おばあさんは寝る前にコリーを枕元に呼び、こんなことを言いました。

「ごめんね、コリー。私はもう若くはないから、そんなに長くは生きられないよ。

きっとコリーが元気なうちに私は死んでしまう。でも、私はコリーに会えて、コリーと過ごせて、本当に幸せだよ。大好きだよ。だから、コリー、私が死んだら君は私の息子のところに行きなさい。首に筒をつけておくよ。その時が来たら、これを町の人に渡しなさい。」

コリーはおばあさんが何を言っているかわかりませんでした。コリーはおばあさんが大好きでした。でも、生きている限り、必ず終わりがあるということは知っていたはずでした。ですが、終わりとは、どこか、物語の中だけの、理論上のことだと、心のどこかで思っていました。おばあさんからこんな風に言われても、なんとも言えず、ただ戸惑って、く〜ん、と泣いただけでした。

その次の朝、コリーはいつものようにお婆さんの部屋に入りました。

おばあさんの柔らかい髪をかき分けてぺろり、と舐めました。いつものおばあさんならばここでむくり、と起きてコリーをぎゅっと抱きしめて、おはよう、と挨拶をしてくれるはずでした。ですが、おばあさんはベットに体を押し付けたまま、ゆっくりとコリーに手を伸ばし、ぽん、とコリーの頭に手を乗せました。きらり、おばあさんの目に涙が浮かび、皺にまぎれて消えました。口が微かに動き、またゆっくりと目が閉じました。おばあさんは緩やかに笑っていました。コリーは訳がわからず、あたふたとしていました。しばらくしてコリーは、おばあさんはもう、起きてこないことを悟りました。せめてもとコリーはおばあさんの布団に潜り込み、もはや暖かさも感じられない、おばあさんの横にピタリと寄り添いました。

なぜおばあさんは自分がなくなるという前日に、こんな風に遺言を残せたのでしょうか。

今となってはわかりません。しかしおばあさんは穏やかな笑みをたたえていました。

コリーはおばあさんの横で、ポカポカとしたお日様の光を浴びていました。

外の世界は光り輝き、きらきらと部屋を照らしていました。

いつしかコリーはうとうとと寝てしまいました。

コリーは雪を踏み締める音で目を覚ましました。

ガタガタと音が鳴り、おばあさんとコリーの家に入ってきたのです。

コリーは怒りと恐怖で震え上がり、おばあさんを守るように侵入者に牙を剥きました。

ですが、残念ながら一匹のちっぽけな犬に出来ることなんて限られているのです。

コリーは出来うる限りの抵抗をしましたが、おばあさんは連れて行かれ、コリーは家に閉じ込められてしまいました。

おばあさんは実は具合が悪かっただけで元気なんじゃないかと思っていました。

でも、結局やってきたのはおばあさんの言っていた、あの息子さんだけでした。息子さんは優しい人でした。息子さんはこの家からコリーを出そうとしました。だから、コリーはこの人が大嫌いになりました。おばあさんが帰ってくるかもしれない、またあの楽しい日常が戻ってくるかもしれない。おばあさんが死んだ。心のどこかでその事実はわかっているはずでした。でも、コリーはおばあさんは生きてるんだ、生きてるんだと思い込みました。胸が苦しくて、苦しくて、胸騒ぎがして、四肢に力が入ら無くて、何もしたくない。コリーは玄関に座り込み、おばあさんの帰りを待ちました。来る日も来る日も玄関に座り込み、一歩も動きませんでした。毎晩毎晩はっと起きてはおばあさんと一緒に眺めた星空を見て、ぼろぼろと涙をこぼしました。時期にちゃんと眠れないので頭がぼーっとし、今が何時なのかもはっきりと分からなくなちました。息子さんはこのおばあさんが住んでいた家を取り壊すつもりでしたが、コリーが全く動こうとしないので、家をこのままにして、コリーの世話をしに通うことにしました。

その頃からコリーの新しい生活が始まりました。目の前が真っ暗で、冷たくて、無理やり口にご飯を詰め込まれる日々。息子さんはコリーに元気になって欲しかったが故に行ったことですが、コリーにとっては苦痛でしかありません。息子さんの腕にはいくつもの噛み跡がつき、コリーは息子さんを見るたびに唸りました。息子さんは噛まれても、唸られてもただ寂しそうな顔をするだけでした。息子さんは毎日コリーを外に出しました。大抵、コリーは息子さんの腕に抱かれるか、カートに乗せられて外に出ました。町の人たちはは相変わらず楽しそうで、公園の前では子供達の笑い声が響いていました。コリーはそれが憎らしくて憎らしくてたまりませんでした。大好きなおばあさんが居なくなって、自分はこんなにも苦しいのに、何でみんなは人が死んでもけろりと笑っているんだ。何で世界は変わらないんだ。そう思っていました。コリーは挨拶をしてきた町の人たちに唸り声を返すようになりました。顔はひきつり、野生の狼のような顔になりました。「町のアイドル、コリー」はもうどこにもいませんでした。息子さんはおばあさんと同じように会釈を返していました。ただ違うのは「すみません」という小さな声と、曇った申し訳なさそうな顔と一緒だ、ということでしょうか。

そんなコリーを塀の上から横柄に座ってじっと見つめるものがいました。猫、ですがただの猫ではありません。猫の王、グリムワルドです。猫の王はどんな猫よりも長く生き、どんな猫よりも多くのことを知り、どんな猫よりも自由で、狩りが上手でした。そして、グリムワルドは特別な能力を神様から預かっていました。その時、グリムワルドはただ音もなくコリーをじっと見て、やれやれとでもいうように億劫そうに立ち上がり、立ち去って行きました。

その晩、コリーはまたいつものように輝く星空を見上げ、泣いていました。星々に照らされた涙が床にぽたり、と落ちたその時。


「いつまでそうしているのだ。」


という冷たい声が静かで寂しい雰囲気を壊しました。グリムワルドです。ただ音もなく塀の上にどっかりと座り、コリーの背中に声をかけたのです。コリーはただ自分だけの世界にいきなり露見してきたこの無礼者に牙を向きました。コリーの夜に燃え盛る怒りの目を見てもグリムワルドは何もなかったかのように続けます。


「人はいつか死ぬ。犬もいつか死ぬ。生きている限りなんだって終わりがあるものさ。お前だって明日死ぬかもしれない。お前の面倒を見ている奴も、明日死ぬかもしれない。お前のような境遇に陥った人はお前の他にも五万といるんだ。甘ったれるな。」


これはグリムワルドなりの優しさでした。息子さんと同じ種類の、愛の鞭でした。でもコリーにとってはただのお説教であり、心のどこかで分かっていても断固として認めたくないことであり、痛いぐらいに突き刺さる言葉でした。明日なんてない、未来なんかないと思い込んでも明日は来る。未来はある。わかっている。その痛さにコリーは泣きながら塀に向かって飛び上がり、グリムワルドの首をちぎり取ろうとしました。グリムワルドはそれをひらりとかわし、冷たい目を残して塀の向こうに去ってしまいました。おばあさんの家には、グリムワルドの言葉と、コリーの涙と、いつもと同じような感傷的で、きぃんと鳴り響く空気だけがのこりました。その夜、コリーは一睡もできませんでした。ただ一つ、明日が来ないことだけを祈っていました。コリーはその日、生まれて初めて朝日を見ました。東の空がだんだんと、ふんわり白く、染め挙げられてゆき、その次の瞬間、霧のような眩しさが、ふわり、とコリーを包み込みました。どこか、安心感があり、コリーはそれがおばあさんの、あの、優しい手のように思えて、コリーは泣きました。ぽろぽろと涙を流して、ごめんなさい、ごめんなさいと何度もおばあさんに謝りました。苦しくて、苦しくて、もうどうしたらいいのか分からなくなってしまいました。この苦しさを、虚しさを、どこか遠くへ!飛んで行け!そんな祈りを込めて、狼のようにアオーーーーーーーーーーーンと吠えました。どこまでも、どこまでも、地平線のそのまた向こうへ。おばあさんに会いたくて、空いたくて、たまらなくて。

「やめろ!」

必死さが滲んだ、鋭い声がその遠吠えを遮りました。

昨日のあの塀の上に、グリムワルドが飛び込んできました。

全力で駆け上ってきたのか、息をついています。

猫の王は叫びます。

「お前は今お前が何を呼んだのかわかっているのか!

ここは住宅地だぞ!お前の祖先は狼だ!今の遠吠えは仲間を呼ぶものだ!

狼がここに来るぞ!子育て中の狼は凶暴になるんだ!

その狼を呼んだんだ!お前の大事な村人が喰われるぞ!

私には何もできない!仲間の猫には逃げるように言えるが、人間には何もできないんだ!」

そう叫ぶや否やグリムワルドはくるりと背を向け、走り去って行きました。

コリーはあまりにも突然の訪問に呆然としていました。ありえない。誰もくるはずがない。コリーはそう思っていました。

グリムワルドは正しかったのです。

狼は来ました。世にも恐ろしい唸り声が日は高く登ろうとも止みませんでした。その日、息子さんは来ませんでした。コリーはただ、自分の寝床で、毛布を鼻先まで隠して震えるばかりでした。どこかで悲鳴が聞こえました。その声は高く、高く響き、コリーの耳に矢のように飛び込んできました。コリーは決して自分が痛いわけではないのに、ただ、痛みを感じました。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…

いつしかコリーはまたごめんなさい、ごめんなさいと誰ともわからぬ相手に謝りました。そしてぼろぼろとまた、涙を流しました。そして、ふと気がつくともう空がピンクに染まり、とてつもないほどの疲労感があり、身体中が痛くなっていました。涙はパリパリに乾いてしまい、お気に入りの毛布がチリチリになっていました。はと右を向くと、息子さんが隣に座っていました。息子さんは何も言わず、優しく、コリーを撫でました。そしてコリーを散歩に連れ出しました。

街は狼が来る前と何も変わらないように見えました。しかし、公園に何人もの女性に囲まれてお母さんが泣き崩れていました。息子さんによると、彼女は狼に気づかず、生後6ヶ月の赤ちゃんをベビーカーに入れて出掛け、狼に会い、赤ちゃんを食べられてしまったらしい、と教えてもらいました。

息子さんはぽつり、となんでも無いことを言うように、

「お前が呼んだんだろ」と言いました。

息子さんは口元を歪めて、ほとんど聞き取れないような掠れ声で、「死にたかったのか?」と言いました。息子さんは突然蹲って、絞り出すように、言いました。

「俺だって死にたいよ…」

コリーは赤ちゃんのことを聞き、僕さえこの世にいなかったら、あの子は生きていたんじゃないか、と思いました。あの子ははコリーのせいで死んだ。コリーがただ寂しいというだけで吠えた、あの遠吠えのせいで。ですがコリーにはそれはただの白昼夢なのではないかと心のどこかで思っていました。人があんな風に泣いているところは何度も見たことがあります。コリー自身も、おばあさんが亡くなった直後であり、人を亡くすという苦しさをが痛いほどわかってました。ですが、おばあさんが亡くなったのはコリーのせいではありません。目の前で紅い血を咲かせ、引きちぎられて赤ちゃんが殺されるという場面を見たわけでもありません。子供を亡くすという経験があるわけでもありません。コリーは苦しみを感じない自分が憎らしくて、憎らしくて、仕方がありませんでした。

息子さんは続けます。

「悲しくったって、どんなことがあったって、明日は続くんだよ。いくら生涯を終わらせたいって思っても、いつのまにか生きている自分がいる。憎んでも、憎んでも憎みきれないから、憎んだって無駄だってそのうち思うさ。」

はっと息子さんは何かを嘲るように嗤いました。

「本当はこんな時に、一方的に相手を肯定するような言葉が出せたら、誰かに自信をつけてあげられるような言葉をはっせたら良いのにな。でも、こんなことでも言わないと自分が壊れそうで、怖いんだ。結局、言葉なんて自分のためにあるんだよな。」

息子さんはふっと立ち上がり、何事もなかったかのように笑って、「行こうか。」と言いました。

なんとも言えない葛藤を抱えてうちに帰りました。

息子さんも、葛藤を抱えているということを知りました。

ですが、家の敷居を跨いだ瞬間、ぼろっ

と涙がこぼれました。そしてそのまま止まりませんでした。コリーは何故自分が泣いているのかもわかりませんでした。ただ、泣くのをやめられず、その場にへたり込み、そこから一歩も動けませんでした。

そんな姿を王らしからぬ態度でそっと見つめるものが一匹。グリムワルドです。くいと横を向くと、探るような目で宙を見つめ、もう一度コリーを見ました。ため息を一つつき、すっとどこかへ消えてしまいました。


コリーは息子さんに優しくなでられたことで、ようやく今の今まで泣いていたことに気が付きました。ふと、息子さんの顔を見ました。優しくて、どこか苦しそうで、でもどこか強い顔をしていました。コリーは、初めて息子さんの顔をまじまじと見た気がしました。息子さんに対する反感から、わざと見ていなかったのかもしれません。よくよく考えてみると、町の人たちの顔が思い出せません。コリーはそんなことさえしていなかった自分に無性に腹が立ちました。こんな体なんて!と自身の足を思い切り噛みました。息子さんは驚いて無理やり剥がそうとしました。しかしコリーの力は強く、息子さんは困り果てて、ついにはコリーを何度も振り返りながら、帰ってしまいました。息子さんが帰ってしまった後、しばらくしてコリーは腕を離しました。そして今がした自分がつけた傷を眺めました。腕に小さな花が咲く様はとてもきれいなものでした。そして、またぽろぽろと涙を流しました。涙は一向に止まる気配を見せず、永遠とも思えるほど続きました。そしていつしか泣き疲れ、ぐったりと伏せて寝てしまいました。


さらり、と何かが優しくコリーの鼻をくすぐりました。ぱちりと目を開けると、暗くずんとした影を落とした化け物がコリーを見下ろしてました。跳ね起きると右足に刺すような痛みが走り、コリーはまた右足を庇うように蹲りました。化け物はこう言いました。

「おばあさんに合わせてやる。だから、起きろ。」

グリムワルドでした。ですが、グリムワルドらしからぬ苦しそうな顔をしていました。

おばあさんに、また会える!コリーは飛び上がりました。ですが、嬉しいと言う気持ちよりもどこか非日常が日常に戻る、安心感を感じました。おばあさんさえいれば、僕の幸せな日々が戻ってくる、この光のない日常とは解放される、と。不思議と体が軽くなり、右足の痛みも忘れ、踊るようにグリムワルドの後を追いました。グリムワルドは何も話しくれませんでした。

グリムワルドが向かった先は、おばあさんのお墓でした。

枯れ葉が残る階段を永遠とも思えるほど長く登った先、おばあさんが大好きだった、この街を見下ろせる高台に、お墓はありました。さあっと墓石の間から流れる冷たい風に紛れて微かに、おばあさんの香りがしました。コリーは久しぶりの懐かしい香りに目を細めました。コリーはしみじみとその嬉しさを噛み締めていました。

ですが、グリムワルドが墓石の上にどっしり座ると、場の雰囲気が一転しました。一瞬にして周囲の音は消え、心臓が胸を撃ち、血管が火を吹きました。そんなコリーを尻目にグリムワルドもまた、脂汗を垂らし余裕のない表情で背を伸ばし、目を閉じて何かを一心に祈っているようでした。そしてグリムワルドがカッと目を開けると、地面からくわっと蒼い光が咲き、炎のようにゆらゆらと燃え上がり始めました。その向こうにはぴんと立った草が茂っていましたが、狂気を含む歪んだ恐ろしさがありました。それはコリーを嘲笑うかように円を描き踊り狂い、コリーは恐ろしさで震え、腰を抜かしてへたり込み、涙目となりました。コリーがもう逃げ出しそうになった、その時です。グリムワルドは手を高く挙げ、力強く、ダンッ と墓石を叩きました。その衝撃で墓石は無残にも真っ二つに割れてしまいました。ですが、その隙間にゆらり、ゆらりと青白く光る炎のようなものがちらちらと見えたように思います。それはぶぉっと燃え上がり、次の瞬間、ぐにゃりと人の形をした何かが石の間から這い出てきました。それは辛そうに、這うようにグリムワルドの方に向き直り、グリムワルドの目を覗き込見ました。しかし、当のグリムワルドはその人形を無視し、呪いの人形のように目をカッと開いたままコリーを凝視していました。その目にはコリーではなく、コリーの目の奥に潜む何かが映っていました。その何かに、蒼い人形がうっすらと、徐々にはっきりと重なり始めました。人形が手を掻き毟り始めました。それは徐々に激しく、ぼやあ、としていた輪郭をはっきりと形作っていきました。いつのまにか服はおばあさんがよく着ていた柔らかそうなカーディガンに変わり、腰が曲がりました。コリーはおばあさんが形作られていくのを息を殺して見ていました。コリーがよく膝に乗っていた触り心地の良いカーディガン。あの優しくコリーを撫でてくれた手。それはおばあさんそのものでした。ですが、おばあさんには顔がありません。髪もありません。足だって人形の足です。そして、おばあさんはコリーの方を真っ直ぐに見ていましたが、一歩も動かず、ただ人形のように突っ立っていました。コリーは困惑してグリムワルドを見ました。グリムワルドは目を伏せ、ぽつり、とこう、言いました。

「それはおばあさんだ。」

聞き取りにくい、ぬらりとした声で、グリムワルドは続けます。

「俺は死者を一時的にこの世に呼び出すことができる。」

グリムワルドは一度そこで言葉を切り、コリーの目をしっかりと見てこう、言いました。

「埋葬された者にはもう姿がない。

故に、会いたいと望んだその人の記憶に従って再現を行う。

そのおばあさんの顔がないのは、お前が顔を覚えていないからだ。

そのおばあさんが話さないのは、お前が声を覚えていないからだ。

顔も、口もなければ、何も見えない。何も聞こえない。何も話せない。

だからそこに突っ立ったまま、何もできないんだ。

お前にとっておばあさんは、顔も、形も覚えていない、ただそれだけの存在で、大したことのない存在だったんだよ。お前はおばあさんが大好きなのではない。おばあさんと過ごしたその時間が、おばあさんがいた時の自分が好きだったんじゃないか?

お前がちゃんとおばあさんを見ていなかったから、その死際も感じ取れなかった!

お前はお前だけを見ていたから、お前は今自分を哀れんでいる!

人なんていつか死ぬんだ!お前だって明日死ぬかも知れない!

お前の世話をしている息子だって明日死ぬかも知れない!

くよくよ悩んで苦しんでる暇がるなら周りを見ろ!

いつ死ぬかもわからない、だったらいつ死んでも後悔のないように他人を想え!

他人を見ろ!もう一度後悔したいのか!」

グリムワルドは天を仰ぎ、ボロボロと涙を流しながら叫びました。

もはやその目にコリーは映っていません。その涙には星が煌き、きらり、きらりと何かが流れ、コリーを見つめていました。

コリーはただ唖然としていました。

押し殺していた溢れんばかりの感情をあらわにしたグリムワルドを前に、どうして良いのかわからず、ただ棒立ちになっていました。わあわあとなくグリムワルドにゆっくりと、青白い影が歩み寄り、優しく、撫でました。グリムワルドは子供のように影にもたれ、顔を埋めていました。


コリーはただ茫然としていました。


静寂にさぁっと風が吹きました。青白い影が東の空を見上げました。

青白い影が東側からきらきらと金色に光り輝いていきました。青白かった線が次第に星のように輝き一つ、また一つと光り、消えていきました。影はゆっくりとコリーに歩み寄り、すっとコリーの前へ座ると、コリーの頭を撫でました。その手は誰よりも優しく、愛情に満ちた手でした。ふわり、とその影が微笑いました。幸せに満ちた笑いでした。ちりちりと影は消えてゆき、最後に残った手がすっ、とコリーの首輪を撫で、光となって消えてしまいました。コリーは、一筋だけ、涙を流しました。その涙には、幸せそうなおばあさんと町のアイドル、コリーの笑顔が写っていました。


グリムワルドはもうそこにはいませんでした。そして彼が割った墓石は何事もなかったかのように朝陽を受けて光っていました。

木々が揺れ、さあっと優しい音を立てました。

コリーは墓石に背を向け、歩き始めました。

その墓石には、季節外れの桜が一輪、添えてありました。


後日、コリーは首輪を残していなくなりました。

噂によると、息子さんはコリーの首輪を前に、手紙を握りしめ、玄関で泣き崩れていたそうです。


さて、ここでこの話は終わりです。みなさんは、どこかで聞き覚えがある、ということはないでしょうか?

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