おもちゃ刀
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふむふむ、「鉄は熱いうちに打て」って、もともとはオランダのことわざだったのか。
てっきり、日本で生まれたものだと思っていたよ。日本刀って、かつては代表的な輸出品として扱われたと聞くし、鉄の加工についても日本が優れていたんじゃないかとね。
しかし、ヨーロッパの剣と日本の刀じゃ求められていたものが違うようだし、一概にどちらが上かとは、はっきり言えないかな。
剣は破壊力か刺し貫く力が求められ、刀には切れ味が求められたという。目的が異なるのに、どちらが製鉄に優れるかを語るのは、ちょっとナンセンスな感があると、考えるようになってきたんだよ。
そして中には、そのいずれすらも求められなかった刀も存在するのだとか。
最近、聞いた話なんだけど、聞いてみないかい?
むかしむかし。
あるところに、柔らかいことこの上ない刀を作る男がいたという。
刀は武器、ひいては相手の防ぎも肉も骨も、斬ることのできる力が求められる。必然、硬さが土台にあるわけであって、絶妙な具合にするには刀匠としての経験や感覚が不可欠だったとか。
しかし、その男が作る刀は物を打つどころか、少し強い風に吹かれるだけで、その方向へ刃が「ヨレて」しまうという代物だった。
実際、叩かれても、固まりきらない粘土でぶたれるような感触。更にはそうしてヨレたものも、反対方向へ揺らせば、すぐに元の形を取り戻す。
ゆえに、この刀は子供たちの間で流行した。
戦がそばにある時代だったから、子供たちも武器に対するあこがれが強い。そのうえ見た目はそっくりながら、突いても叩いても簡単に曲がってしまい、致命傷に至ることはめったになかった。
値段も手ごろに売り出す彼の刀たちはおもちゃとして、子供たちの戦争ごっこを支えていたそうなのさ。
このおもちゃ刀、はじめこそ子供同士のお遊びに使われたものの、それに飽きると別の楽しみ方をする子が出てきた。
各家が家畜として持っている牛や馬。彼らを仕事へ駆り出すための、ムチ代わりといった役割でね。すきを引かせたりするとき、なかなか足が進まない牛がいると、このおもちゃ刀で、ぺしんぺしんと叩いてやるんだ。
その音は牛が自ら、尻の周りで飛ぶ羽虫を、尾で叩き落とすものに似ている。
このおもちゃ刀は、目覚ましい効果を見せた。これまで頑として進まなかった牛が、刀で打たれるや、にわかに勢いづいて前へ出るんだ。その早歩きは、使う人間の方が引っ張られて、あやうくつんのめりそうになるほど。
馬に対しても同じ。荷を乗せられて、だるそうに運んでいた者も、この刀をムチ代わりに入れてやると、たちまち駆け出すか、速足になるか。
いずれにせよ、彼らへ一時的に喝を入れるのに、絶好の道具であることが分かってきたんだ。
大人にもちらほら、例のおもちゃ刀を求める者が出てくる。
その傾向を知ってか、おもちゃ刀の値も釣り上がってきた。家によっては余計な金をかけられないと、子供に使う制限を課してまで、牛馬の世話にあてる場合も出てきたのだとか。
しかし、そのような使い方をして数年が経ち、とある噂が流れるようになる。
このおもちゃ刀を牛馬の世話に使うと、収穫が減るというものだ。
独自に村人たちが記録を取ったところ、このおもちゃ刀を使う前の時期に比べ、田畑の実りはかすかだが、減り続けている。
およそ全体の一分に足りるかどうかという量でも、母数が大きくて、毎年のようにとなると、無視できない。
しかし、一概におもちゃ刀のせいという証拠もないと、反論する組もいて、あと2年は様子を見ようとなったそうだ。
その2年目の秋。
久々に田んぼいっぱいに、稲穂が実った。近年、まれに見る黄金色のじゅうたんが広がる様は、空からもおおいに目立ったのだろう。
どこからともなくスズメたちが降り立ち、おすそ分けをよこせといわんばかりに、稲穂をついばみ始めたんだ。
どうも手練れの連中らしい。並び立つカカシをものともせず、追い払いにかかる熊手たちの間合いをぎりぎりまで見切り、稲の先にとまっている始末。
騒ぎ立てて威嚇しても同じで、スズメたちは完全に人をなめていたという。
こうなりゃじかに分からせてやるしかないと、人々は稲穂たちの間に分け入った。
見慣れたものでは効果は出ないと、今回は熊手に間合いに劣る、おもちゃ刀も引っ張り出された。
牛や馬も走らせた実績持ち。ならばスズメ相手であっても、特別な効果を見せてくれるのではないか。
村人たちはそう考えていたんだ。
実際、刀は働いた。彼らの想像を大きく超えて。
ぶんぶんと、村人たちが大きくなぐように刀を振るいながら、田畑へ入った瞬間。ほぼ同時におもちゃ刀たちの刀身がすっぽ抜けて、飛んでいったんだ。
思いもよらぬ事態に、あぜんとする大人たち。それはスズメたちにしても同じだったようで、宙を舞う刀身が、山なりの軌道で迫ってきているにもかかわらず、飛び立つものはいなかったのだとか。
そのそれぞれの刀身が、稲たちの中へ沈む。
どれほどのスズメたちに当たったかは定かじゃないが、それぞれが黄金の海に隠れて見えなくなったとたん。
それぞれの場所で火の手が上がった。それも赤色ではなく青色のもので、それは人の焚く火よりも、ずっと温度が高いことを示している。
異常な事態に、スズメたちは次々飛び立つが、間に合わない。あるものは飛び立つ前から炎に巻かれ、あるものは飛んだ身体が燃える炎に追いつかれ、墜落を余儀なくされた。
炎が立ち上ったのは、小半刻(約30分)にも及ばない時間だったが、その刀身の落ちた箇所をスズメもろとも焦がし抜いてしまったんだ。
ただ奇妙なことに、周囲には燃えうつるのにぴったりな他の稲穂があるにもかかわらず、いずれの地点も燃えたのは、ごくごく限られた範囲だけだった。
更に、その燃え痕の中にはスズメのものらしき身体もあったが、いずれも頭から胴体にかけて、別の生き物が張り付いたかのごとき、異様な姿を見せていたそうなんだ。飛び立つ前の彼らには、そのような格好は全然見られなかった。
恐ろしい想像をした村人のひとりは、かすかに焼け残ったもみ殻を拾い、後日に自分の庭へ撒いて、別のスズメに食べさせてみたらしい。
結果、降り立ったスズメが数粒をついばみ、空へ飛び立つかと思いきや、家の塀も越せない高さで失速。肢からの着地もままならず、ぽとりと地面へ転がってしまった。
その腹はみるみるうちに膨れて、カエルのようになってしまい、背中もぬらぬらとしたぬめりに覆われる。更に肢もまた吸盤ができてしまい、かつてのようなぴょんぴょんと跳ねることもできず、のたのたと地面を歩くよりなくなったとか。
この一連の出来事を、おもちゃ刀を作った刀匠へ伝えようと思っても、どうやら諸国を旅しているらしくて、とうとう捕まらなかったという話だ。
僕が考えるに、牛馬やスズメは人間よりも体温が高い。ゆえにおもちゃ刀の持つ冷たさと、それに秘められたものに、敏感に気づけたのかもしれない。
おもちゃ刀も、牛や馬を通じて、あの気味悪い稲が生えるのを防ごうとした。スズメの一件ではいよいよ手に負えなくなる段階になった連中に、直接手を下したんじゃないかと思うんだ。