欲張りなだけ
「──そう。逃げて来ちゃったのね」
呟くように言ったサミュリアに、レイチェルは無言で頷く。
レヴィ御手製のケーキを食べ、お茶を飲んで一息ついた所で、サミュリアに全てを話した。クライヴと出会い、そして別れてここに至るまで。
サミュリアの居間が居心地よいせいか、同性の友人だからか、レヴィには言えなかった事も話せたのである。
その間ずっと、時折相槌を打ちながらも、サミュリアは口を挟まずに聞いていた。
「だって、他にどうすれば良かったの?」
膝の上で手を握りしめ、今にも泣きだしそうな顔で言ったレイチェルに、サミュリアは柔らかい笑みを浮かべた。カップを手に取り一口含み、小さく息を吐きながらカップを戻す。
サミュリアにとってレイチェルは友人であり、妹のような存在だ。そして、自分と似ているところがあると、常々思っていた。だからこそ、気に入っているのかもしれない。
「昔、あたしにもあったな。そういう事が」
「そうなの?」
「伊達に500年も生きていないもの。色々あったのよ、あたしも。人間の方が多いのだから、恋をしてしまうのは当然でしょ?」
「辛くなかった?」
そう問いかけてくるレイチェルに、サミュリアは小さく笑う。優し気でもあり、寂し気でもある不思議な笑顔だ。
「そう思った事もあるのは確かね。人間は忘れてしまったでしょうけど、あたしたちにだって感情はあるんだから。色々あったよ。裏切られた事だってあるし、看取った事もある。だけど、全部を無かった事にするのは勿体ないと思うの」
「勿体ない?」
「だって全部忘れてしまったら、今のあたしはいない。愛されていた思い出も、置いていってしまうと嘆いてくれた思い出も、今のあたしの糧になっているもの。あの日々があったからあたしは、今日まで灰にならずにいられるのよ」
「……素敵な考え方ね」
「どうかな。あたしは欲張りなだけ。痛みの記憶でさえ忘れずに覚えておきたいの。いつかの終わりの日までね」
笑みを浮かべながら言うサミュリアを、レイチェルは眩しそうに見つめる。いつか自分にも、そういう風に考えられる日が来るだろうか、と。
今はまだ、クライヴを思うと胸が苦しくなる。一人で闇を見つめている夜は特に。考えないようにしていることで、むしろ強く意識されている。
だからこそ、サミュリアのその考え方に、憧れのようなものを抱いた。出来ることなら忘れたい。出会う前に戻りたい。そう考えてしまう自分が、恥ずかしく思えるくらいに。




