可愛いレイ
「……お母様?」
不思議そうに、レイチェルが問いかける。すると夫人は体を離し、レイチェルを見上げた。頬に手を伸ばし、そっと触れる。夫人にとってレイチェルは、いつまで経っても可愛い娘であった。
例えその頬が、以前のように温かくはなくとも。
「私の可愛いレイ。本当に、これでいいの?」
言っている意味が分からず、レイチェルは目を瞬かせた。その答えはすぐに、夫人の口から発せられる。躊躇いがちに、しかしレイチェルを真っ直ぐに見つめて。
「……今はいいかもしれないけれど、侯爵様は、年を取るのよ。確かに侯爵様は素敵な方なのでしょう。あなたが了承するくらいだもの。でもね、一時的な感情で結婚だなんて。いずれ苦しむことになるわ。お互いに」
ああ、やっぱりそうか。と、レイチェルは心中で呟いた。それから微笑みながら、夫人の手に自分の手を重ねる。
いつだって優しかったこの手が、レイチェルは大好きだった。どんな時にも励ましてくれて、優しく撫でてくれたその手。
「いいのです、お母様。それは承知の上ですもの。そうなった時は、彼の鳥籠に戻るだけですわ」
「……ここでもいいのよ?」
少しだけ寂しそうな瞳に、レイチェルは笑った。自分は大丈夫だと、安心させるように。
そもそも、公には22歳のレイチェルは、行き遅れと噂され始めているから、いつかは出ていくつもりだったのだ。加えて、伯爵がいかに隠し通そうと、いつまでも誤魔化せるわけではない。
それに、クライヴの寿命が尽きて、永久の別れが訪れた時、この家に夫人がいるはずもないだろう。事故などでクライヴが急逝したとしても、レイチェルがこの家に戻る理由はない。なぜなら。
「いいえ。ここには戻りませんわ。思えば、お母様ともう少し一緒にいたいというわたくしのわがままで、たくさん迷惑をかけてしまいましたもの。これから先、お父様やお兄様とわたくしの板挟みになる必要はもうありませんのよ」
「迷惑だなんて。私はもう一度あなたに会えて、こうして話が出来て幸せよ。でもごめんなさい。元はと言えば、私があなたを……。あなたはいつも笑っていたけれど、本当は辛いかったのでしょう?私のせいで……」
「お母様は何も悪くありませんわ。それに、ヴァンパイアになって良かった事もありますの」
「たとえば、どんな?」
疑わし気な夫人に笑って、レイチェルは頬に寄せられていた手をそっと下ろし、両手で包み込んだ。
舞踏会に行く度、レイチェルが何をしているのか。夫人は知らない。もしかしたら気が付いているかもしれないが、何も言わない。その事にどれだけ感謝しているか、レイチェルはとても言葉では言い表せられない。