何を怖がっていたのか
「わたくしはもう、あなたの言うなりにはならないわ」
レイチェルのその言葉を、ディックは一笑に付す。そして、固まるレイチェルに笑みを浮かべながら、わざとらしくゆっくり歩み寄る。レイチェルは逃げ出そうとして、しかし何とか踏みとどまった。
逃げたら今までと何も変わらない、と思ったからだ。
少し離れたところで立ち止まったディックを、挑むように睨みつける。そうすれば、ディックは嫌悪感を顔前面に表した。それこそが、この男の本性だ。
ディックは、レイチェルに何をしても良いと思っていた。婚約者なのだから、自分に従うのが当然だと思っていた。だから、力で押さえつける手段を覚えたら、それも当たり前だと思っていた。
にもかかわらず、今は敵意をむき出しにしてくるレイチェルが、ディックには面白くない。
「生意気な。そんな態度でいいのか?うっかり口が滑って、侯爵にお前の秘密を話してしまうかもしれないぞ?」
「……秘密?あなたがわたくしの何を知っているのいうの?」
「僕は知っているんだ。毎晩男を部屋に引き込み、その血を貪っているのだろう?穢らわしい、卑しい、ヴァンパイア」
距離を詰めたディックは僅かに顔を寄せ、囁くように言った。ヴァンパイアである事を知っている事に一瞬レイチェルは驚いたが、それだけだ。
国王でさえ黙認している事実を、たった一人の男にどうこう出来はしない。本人は勝ち誇っているようだが、逆にレイチェルは呆れてしまう。
それがかえって、レイチェルの頭を冷静にさせてくれた。昔のように一方的に言われてばかりでは、何も成長していない。
ヴァンパイアになってから気が強くなったと、母親に苦笑されたほどなのだ。ここで何も言い返さずに終わる事は、レイチェルの望むところでは無い。
「……話してどうするのかしら」
「別にどうもしない。だが、僕との婚約を、そっちから解消してきた事が気に入らなくてな。お前が幸せでなければいい」
ディックの言葉を、今度はレイチェルが一笑に付した。
この男は、本当に婚約していた頃から何も変わらない。女性を軽んじ、自分より下だと決めつけて。気に入らない事は、力で抑える事さえ厭わない。
それらを鮮明に思い出しても、レイチェルはもうそれに屈したりはしないと誓った。
「卑しいのはどっちよ。残念ながら、クライヴ様は知っているわ。毎晩男を部屋に誘っている、なんて話は真っ赤な嘘だけれど」
クライヴの微笑みを思い出したレイチェルの胸に、熱い火が灯った。こんな小さい男の何を怖がっていたの、と自分を叱咤する。




