この景色ともお別れね
やがて、クライヴが辞去すると、レイチェルも自室へ引き上げた。
2階の東側にあるレイチェルの部屋からは、紫色の可憐な花をつけた大きな木が見える。この景色ともお別れね、と思うと少しだけ寂しい気もした。
まだ小さかった頃、兄と一緒にあの木の下でよく遊んだものだ。今となってはもう、兄は姿を見るだけで嫌がり、食事も共にしない。
それを気にしていないと思っていても、胸が痛むような気がするのは、優しかった兄を覚えているからなのだろう。
出来れば一言挨拶をしたかったレイチェルだが、それはきっと叶わないと、早々に諦めた。なぜなら、レイチェルがここで過ごすのも、あと三日。
別れ際、クライヴは、居を移す支度もあわせて一週間後、と言ったが、レイチェルが三日あれば充分、と言ったのである。その時、夫人が悲し気な顔をしていたが、見ないふりをした。
レイチェルはドレスを脱ぎ、着替えを済ませる。この屋敷には使用人たちがもちろんいるが、レイチェルの部屋には絶対に近付かない。そのためレイチェルは寝る支度も一人で整え、ベッドに横たわって目を閉じた。
だが、レイチェルは眠る事が出来ない。ヴァンパイアになったその日から、睡眠は必要では無くなった。人と同じ食事は必要なのに、おかしな話だわ、と最初の頃は思っていたものだ。
目を閉じて考えるのは、昔の事。レイチェルの人間としての最期の記憶は、猛スピードでせまり来る馬車と、強烈な痛み。次に気が付いた時には、ヴァンパイアになっていた。
後になって聞いた話では、娘の死を受け入れられなかった夫人が、鳥籠のヴァンパイアの一人に頼み込んだという。そしてその願いを、ヴァンパイアは叶えた。自らの血を与え、レイチェルをヴァンパイアにしたのである。
二年ほど、レイチェルは鳥籠でそのヴァンパイアと暮らした。血を体に馴染ませ、生き方を学ぶために。それが終わると、レイチェルは伯爵の家に戻る。後天的なヴァンパイアにはそれほどの力は無い、というのが教会の考えである為、家に戻っても問題は無かった。
死亡届を出していなかったため、レイチェルが戻って来たことを夫人は喜んで迎え入れたが、伯爵は違った。レイチェルを気味悪がり、あまり関わろうとはしない。レイチェルの名前を呼ぶ事すら、嫌悪しているようだった。
決定的だったのは、レイチェルが血を飲む姿を目にした時だろう。いつもは伯爵がいない時に飲んでいたのに、その日に限って見られてしまったのだ。まるで虫けらを見るような、蔑んだ瞳。あの目を、彼女は忘れていない。
兄も伯爵に倣って同じような態度であるから、レイチェルの味方は夫人だけだった。
「──レイ、まだ起きてる?」
その声に、レイチェルは目を開けた。眠る必要が無いと知っているからこそ、声をかけただろうに。その気遣いに苦笑する。
「ええ。どうぞ、お母様」
許可を貰って入って来た夫人は、寝る前に様子を見に来たのか、寝巻の上にガウンを羽織っている。立ち上がって迎えたレイチェルに近寄ると、何も言わずにそのまま抱き締めた。