血の気の多い妻
「あの時わたくしは、あの子の血に反応してしまいました。美味しそう、って思ってしまった。あの子が何も言わなければ、きっとあのまま……」
満月の夜の魔力が、レイチェルを刺激した。いつもより血の匂いに敏感になっていたことに気が付かず、少女に何かしたいという優しさと、少しなら大丈夫という油断が、今の状況を作り出している。
「あんなのはただの獣がする事。それなのに……。わたくしは今日初めて、自分が怖いと思ったの。わたくしはいつか、自分を抑えきれず、誰かを襲ってしまうんじゃないかって」
レイチェルは、クライヴに対する口調がいつもと違う事にも気がついていない。唇を噛みしめ、ぎゅっとドレスを握る手は震えている。
レイチェルのその恐れは、以前から漠然とは抱いていたもの。しかし今日その日まで、実感した事は無かった。もしくは、自分は大丈夫だと勘違いしていたのかもしれない。
「わたくしはやっぱり、化け物なんだわ……!」
「レイチェル」
「そんな事分かりきってるなんて言わないで」
静かに名前を呼ばれると、クライヴが何も言わない内にそう言って、先程の少女と同じくらい激しく首を振った。
聞き分けの無い子供の様な、レイチェルのそんな姿にクライヴは苦笑して、柔らかな頬を滑り落ちた雫を拭ってやる。
「まだ何も言ってないし、泣くな。それに、そんな事を言ってはいけない。それは自分を傷つけるだけじゃなく、そなたの大切な友人たちをも否定する言葉だぞ。彼らを、そんな風には思っていないだろう?」
そう問いかけられたレイチェルが無言で頷くと、クライヴは柔らかな笑みを浮かべた。レイチェルが素敵だと思っている、あの温かな笑顔で。
「だったら、自分を蔑むのはやめなさい。俺は、レイチェルを化け物だなんて思った事は一度も無い。そなたは少し、そうだな……。《《血の気の多い》》だけの、普通の奥様だ」
笑って言ったクライヴは、自分の言葉に満足しているようだった。レイチェルはと言うと、少しキョトンとして、次の瞬間には、気の抜けたように笑みを浮かべた。
血の気の多い妻と他人に聞かれたら、クライヴを尻に敷いているかのように思われそうだが、自分を元気づけるために言った言葉だと分かるから、レイチェルには嬉しく思える。
クライヴも冗談を言うのだという、新たな発見も含めて。
「……そんな事をおっしゃるのは、クライヴ様くらいでしょうね」
「ダメか?中々良い表現だと思ったのだが」
「せめて、怒ると怖い、くらいにしておいて下さいな」
いつもの調子に戻りつつあるレイチェルに安堵し、クライヴは小さく笑う。
「体調が悪いようだと、早めに帰らせて頂こう。殿下に挨拶をしてくる。ここで待っていてくれ。その顔で戻ったら、俺が本気で怒られるからな」
「分かりましたわ」
レイチェルは頷いてクライヴの背を見送りながら、その背中に小さく、ありがとうございます、と呟いた。




