一目で惹かれ
「──結婚?」
正面のソファに隣り合って座るレイチェルとクライヴを交互に見つめながら、困惑気味に言ったのは、レイチェルの母である伯爵夫人。少しふくよかな彼女は、一見するとレイチェルとは似ていないように見えたが、目がそっくりである。
その隣、立派な口髭を蓄えた伯爵は、厳格な父そのもののような無表情で、腕を組んで座っていた。レイチェルには兄も一人いるが、この場にはいない。
初夏の夜の、緑の香りの混ざった風が、開けられた窓から吹いてくる。しかし、心配しながら待っていたであろう夫人は、それを感じられる余裕もなく、レイチェルの発した結婚という言葉に、目を白黒させるばかり。
いつもなら、舞踏会に行った日は真夜中にならないと戻らない娘が、比較的早い時間に、それも男性を伴って戻り、急に結婚するなどと言われれば、夫人が困惑するのも無理はなかった。
一方の伯爵はというと、そんなものは認めん、などと特に取り乱す様子もなく、黙って成り行きを見守っている様子だった。
そんな対照的にも見える二人を前にして、クライヴは穏やかな表情を崩さない。陰で変人と噂されても、王の甥。さすが王家に連なる血を持つ者だわ、とレイチェルは感心した。
「本来ならば、まずはお二人に許可を求めるべきところですが、彼女に一目で惹かれてしまい、思わず直接申し込んでしまいました。正式な手順を省いてしまった事は、お詫びします」
クライヴの言葉に、レイチェルは小さく微笑む。よくそんな言葉が出て来るものだ、と思ったのだ。この国で結婚するにはまず親の同意を得てから、相手に申し込むもの。
とはいえ、伯爵より地位も財産も上の侯爵であれば、そんなものに意味はない。だからこの状況で、侯爵がお詫びする必要など何処にも無いのである。どれ程困惑しても、この結婚は、既に決定事項だ。
そしてレイチェルも、伯爵が断る事は無いと知っている。勢いで来たが大丈夫だろうか、と玄関前になってそう言ったクライヴにも、そう受け合った。
「ですがレイチェルは……」
夫人はレイチェルをちらりと見てから、顔を俯かせる。握りしめた手が、震えている。必死で考えているのだろう。このまま娘を、世間には隠しているが、ヴァンパイアである娘を、侯爵に渡して良いものか。真実を、告げるべきなのかどうかを。
そんな夫人の逡巡が手に取るように分かったレイチェルは、お母様、と静かに呼びかける。はっとして顔を上げた夫人に、レイチェルは笑った。
レイチェルにとって夫人は偉大な人だ。夫人がもう一度会いたいと願ったから、レイチェルはここにいる。そして、ヴァンパイアとなっても自分を愛してくれる夫人を、レイチェルは愛している。