いつか帰るまで
イライアスは息をのみ、緊張した面持ちをしている。その額に冷や汗が浮かんでいるところをみると、レイチェルの色香に当てられたわけではなさそうだ。
女主人である前に主人の妻に対し、横恋慕するような使用人ならば、即刻退場を願うところだった。実際、冗談よとレイチェルが微笑みを浮かべると、目に見えてほっとした表情を浮かべた。
「クライヴ様以外の人間の血は飲まないと約束したの。だから安心して。わたくし約束は守るわ。ここにいる間はね。それに一応は妻だから、クライヴ様の評判を落とさないようにしなきゃ」
「……そうでしたか。てっきり、怒らせてしまったのかと」
「ヴァンパイアらしくない、と言われても気にならないわ。元は人間だったもの。でもごめんなさいね、驚かせて。夜食をありがとう。有り難くいただくわ。おやすみなさい」
はい、おやすみなさいませ、と返事をして、イライアスは部屋を出る。その足音が遠ざかってから、レイチェルは椅子の背もたれに身を預けた。
「残念。少し美味しそうな予感がしたのに。ヴァンパイアの血が入ってると言っても、薄すぎて同胞とは言えないから、問題はないでしょうし。あぁでも、クライヴ様に申し訳ないわね」
そう言いながら、ふう、と息をつく。それから、自分に血を与えたヴァンパイア、レヴィの事を思い出してみる。
レヴィであれば今の言葉に何と返すか、容易に想像がつく。きっと優しい笑顔で言うのだろう。無理矢理にでも飲んじゃえば良かったのに、と。
齢500を超えるらしい──というのも本人も覚えていないから──レヴィは、今でもなお麗しいその美貌を、大いに活用している。
「彼に狙われた女の子は大変よね」
ふふっと、笑って紅茶に手を伸ばす。華やかな薔薇の香りが、レイチェルの鼻腔をくすぐった。一口飲んで、カップを両手で包み込む。
夏であろうと、暖かい飲み物は落ち着きを与えてくれる。揺れる水面を見ながら、レイチェルは静かに言葉を紡ぐ。
「……ねえ、レヴィ。わたくし結婚したのよ。あなたが願った通りに。わたくし、精一杯楽しむつもり。楽しまなきゃ損だよ、ってあなたが教えてくれたもの。だから見守っていてね。いつかそこに帰るまで」
鳥籠にいるレヴィには、二年前に出て以来会っていない。レイチェルにとってレヴィは、親のようなもの。だから、あまり心配はさせたくないと思っている。
レイチェルはふっと微笑み、カップを机に戻すと、読みかけだった本を再び手に取った。




