綺麗ね
コンコン、という控えめなノックの音に、レイチェルは読んでいた本から顔を上げた。こんな真夜中に誰かしら、と首を傾げる。この家には3人しか候補がいないが、一人は就寝中なのが確実だ。
レイチェルのいる書庫は、レイチェルの灯した机の明かりだけで、残りは闇に沈んでいる。壁一面に並んだ本棚から何かが出てきそうな、そんな不気味さがあった。
扉は少し離れているから、この明かりが漏れていたわけでは無いだろう。ここにレイチェルがいる事を知っているのだ。
どうぞ、とレイチェルが答えると、遠慮がちに扉が開けられた。そこに立っていたのは、クライヴよりわずかに年嵩の銀髪の男だった。背が高く、精悍な顔立ちをしている。
その手にはお盆を持っており、部屋に入って来るとそれを机に置いた。お盆に乗っていたのは一口サイズのサンドイッチが3つと、よい香りの漂う紅茶。レイチェルが見上げると、少し照れくさそうに笑った。
「夜食に、と思いまして」
低温の声が心地よく響く。彼は確か、と思い出しながら、レイチェルは微笑みを浮かべた。
「ありがとう。……イライアス、で良かったわよね? 夕食、とても美味しかったわ」
「すみません。ご挨拶が遅れました。料理を任されております、イライアスです、奥様。楽しんでいただけたようで何よりです」
「これも、わざわざ良かったのに。夕食も一人で全部用意したのだから、疲れているでしょう?」
「いえ。明日の仕込みもありましたし。実は、エディ様も手伝ってくださったので」
「あらそうなの?」
「はい。人手が足りない事を言い訳にしない、とエディ様は常々おっしゃっていますから、率先して」
そう言うイライアスは、よく見ると整った顔立ちをしている。そして、左右で目の色が違った。左は青色なのに、右目は琥珀のような色。
その瞳を見つめながらレイチェルは、気がつくと思ったままの言葉を口にしていた。
「その目、綺麗ね。海と太陽の色だわ。両方持っているなんて羨ましい」
レイチェルがそう言うと、イライアスは少し驚いた表情を浮かべる。次いで、どこかほっとした様子で笑う。
「……以前、旦那様にも同じような事を言われました。旦那様は奇跡のような目だと」
「そうなのね」
「はい。私はこの見た目で、庇ってくれていた母を病で亡くした後、父親に見世物小屋に売られまして」
何でも無い事のように言ったイライアスに、レイチェルが痛ましそうな顔をした。それに対して、イライアスは苦笑しながら首を振る。