ヴァンパイアだな?
この国には、ヴァンパイアがいる。
見目麗しく、年を取る事無く、人の血を啜って生きる、化け物。
だが、ヴァンパイアたちは聖教会に管理され、鳥籠と呼ばれる、それぞれに与えられた住み処で暮らしていた為、人々に危機感というものは無かった。
ヴァンパイアが人を襲い、血を奪っていたのは過去の事。今やヴァンパイアにかつての力はなく、教会に抗う事も出来ない。
それがこの国の、多くの人間たちの共通認識である。
しかしながら、例外というものは、どこにでもあるもので……。
星降る夜。夜空に輝く月明かりの下、その男女は出会った。ともすれば、ロマンチックな展開を期待してしまうが、二人の間に漂うのは緊張感だった。
「ヴァンパイアだな?」
背後からのその声に、彼女はゆっくりと振り返った。そして、そこにいた人物を認めると、ふわりと微笑んでみせる。この笑みで落ちない男はいない、と自負している笑みである。
亜麻色の髪は優雅に巻かれ、榛色の切れ長の瞳は謎めいて見える。ふんわりとした裾に、レースとリボンをあしらっている真っ青なドレスは、彼女に可憐さを与えていた。
舞踏会が開かれている、宮殿から漏れてくる灯りに照らされた彼女は、確かに美しいと、彼は思った。とはいえ、まったく表情に現れてはいないが。
「アッシュベリー侯爵様。いったい何の事ですの?」
彼女の声は鈴のように軽やかで、一体何をおっしゃっているのかしら、とでも言いたげに、困った表情を浮かべる。
小首を傾げる彼女の向かいに佇むのは、赤毛と意志の強そうな緑色の瞳を持つ、王の甥である男。すらりと背が高く、黒の燕尾服がよく似合っていた。
このアッシュベリー侯爵は、堅物で真面目な仕事人間であると、社交界では有名である。さて、そんな人物をどうやって口説き落とし、この場を切り抜けようか、と彼女は困惑した表情の裏で思案する。
そんな彼女を他所に、彼は彼女の後ろの椅子に、正体無く座り込む男に目を向ける。そしてもう一度彼女に目を戻し、落ち着き払った声音で問いかけた。
「ところで、その男はどうしたんだ?」
「倒れてしまったので、介抱をしておりましたの」
「嘘は吐かなくていい。口元に血がついているぞ」
彼がそう言った瞬間、彼女の笑みが固まってしまう。今日は月が明るかった事を、密かに呪う。それから、そのまま彼女はゆっくり口元を拭った。
「……あらいやだ」
手に嵌めていた手袋には、血がついている。彼女が先程、倒れている男から頂戴したものだ。とんだ失態だわ、と眉間に皺を寄せる彼女に、彼は再び問いかけた。