1.謎の航空部隊ファリアンテ
20XX年1月25日午前7時5分。伊豆諸島最南端の孀婦岩よりさらに南の海中にて異様な振動が発生し重低音が轟いた。それは近年出没する国籍不明で謎の航空部隊ファリアンテが行動を開始する際に発するもので、猛獣の咆哮にも聞こえるものだった。
5分後。滄海にF-15イーグルにそっくりの白銀の戦闘機が3機、横並びで垂直方向に浮上し、波頭に洗われる機体が厳冬の太陽光を浴びて輝いた。無人のコックピットの部分は血塗られたような色で光り、ゆっくりとした呼吸のタイミングで明るさが変化する。まるで点滅する切れ長の眼のようだ。
浮上を続ける機体は、海中から2/3が出たところで突如として弾道ミサイルのように飛び出すと、進路を北にとって加速し、猛スピードで大空を飛翔する。
海中から戦闘機が出現して飛行するのは現実的には不可能で、飛行機の形状をした異形が深海に存在する異界へ繋がる門を通ってやってくると推測する者もいたが、現時点で判明していることは、今回出現した地点を含む直径50キロメートルの海中から3機ないし5機が出撃し、太平洋沿岸部の都市をランダムに空爆して去って行くことだ。
ファリアンテの出現海域が特定されているのが幸いし、監視用レーダーを搭載した監視船を近くに配備することで、奴らの出撃情報が対策本部へ送られる。今回もその情報が素速く伝わり、程なくして関東南部を中心とした地域と23区にいる人々のスマホが次々とがなり立てるように鳴動する。
警報のアラートが一斉に配信されたのだ。
だが、スマホを手に取る多くの人々は、避難行動を開始しようとしない。またいつものように『特殊部隊』によって撃退されるのだろうと思い、よくある地震警報と同じように、避難行動を促すアラートの文面を一瞥するだけだ。
この手のアラートに心配性な人々とその家族は、老人に付き添い、幼子の手を引いて近くにある公共の大型シェルターに避難する。しかし、遅れてたどり着いたとしても、人が溢れて大混乱になった記憶のある者には信じがたいほど、銘々が広い場所を確保して寛いでいるのを見ることになる。
まさに、市中の物情騒然とした雰囲気や、人々の混乱と恐怖は過去の物になりつつあった。
この安心感をもたらしている特殊部隊とは、何か? 一種のヒーロー達の集団なのか?
実は、その正体は女子高生で構成される空軍少女特務テレワーク部隊。現時点の構成員はユキ、ミナ、サキのたった三人である。
◆◇◆◆◇◆
『間に合うかなぁ』
テニス部の朝練に急ぐユキは腕時計に目を落とし、栗色のポニーテールを揺らしながら、ファリアンテの空爆で瓦礫となったビル街の一角を横に見て、通行人の間隙を縫うように突き進む。
ショルダーバッグをリュックのように背負い、ラケットバッグを肩に掛け、もこもこした桃色のマフラーを巻いた、深紅のブレザーに緑のチェック柄のスカート姿は、朝の通勤者の目を惹いた。
『新学期になったら、受験のことも考えないといけないし、あれもあるし、やること一杯』
四月からの高校最終学年の多忙ぶりを思って溜め息をついた途端、自分を含む周囲の通行人のスマホが次々と鳴動した。
肩すかしを食う地震警報が続いたので、ポケットからスマホを取り出す動作が緩慢になるが、念のためアラートを調べるとファリアンテ出現の警報だ。
『ヤバっ! こんなところで! んもう!』
ユキは早速地図を表示し、現在位置を示す赤いバルーンを中心とする円を人差し指で描き、画面右上にある『テレ』の文字と虫眼鏡が描かれたアイコンをクリックすると、円内の3箇所に青いバルーンが表示され、その内の一つが点滅した。
『良かった! 近くが空いている!』
20メートルほど先に空爆から逃れた大きなビルがあり、点滅するバルーンはその角を右に曲がってすぐの場所を示している。ここにテレワーク用の個室が開いているのだ。
全速力で駆け出すユキに驚く通行人を置いてきぼりにして、彼女はスカートを翻し、角を曲がる。すると、大分前に一度寄ったことがあるコンビニの看板が見えてきた。
突進する身体を自動ドアの手前で一旦停止すると、爆風でひびが入ったドアが左右に開いてチャイム音に出迎えられる。それから、棚に並んだ商品を選ぶ客の後ろを荷物が触れないようにすり抜けて、一路奥へ走る。前も利用して記憶にあったのだが、そこにはテレワーク用の個室が備え付けられていた。
手にするスマホの画面ではまだバルーンが点滅しているので、ここが今も空いていることも示している。彼女は迷わずドアを開け、体と荷物を滑り込ませた。
安堵する間もなくユキはドアをロックして、ラケットバッグを立て掛け、ショルダーバッグを床に下ろすと、慣れた手つきでバッグの中からタブレット、ヘッドセット、小型操縦桿を取り出した。
こんなこともあろうかとタブレットを起動しておいたので、画面の上に指を走らせてロックを解除し、可愛い猫の壁紙の上で猫の顔が見えるように避けて散らばるアイコン達の中から花柄で『AF』の名前のアイコンをクリック。このAFはAir Forceの意味だ。
画面中央に「Now Loading...」の冴えない表示の文字が出ている間にマフラーを外すと、数秒後に猫の壁紙やアイコン達が消えてコックピットから見た映像に切り替わった。上半分はガラス越しの光景が、下半分は計器類が見えているが、今ちょうど格納庫の中にいる様子だった。
ユキはゲーミングヘッドセットに似た黒いヘッドセットを頭に装着し、左側に垂れ下がっているUSBケーブルをタブレットの左に挿し、イヤーパッドの位置を直していると、自動でヘッドセットの電源が入ってタブレットとの通信が確立し、両耳に臨場感のある女性の声で『Tablet Connected』の声が聞こえてきた。
小型操縦桿はゲームのジョイスティックに似ていて、そこから出ているUSBケーブルをタブレットの右側に挿すと、画面の右下にサブウィンドウが現れてピンク色のショートボブで碧眼の美少女のデコルテが映し出された。
「おっはー。ユキリン」
「おはよ、ウルリカ」
このウルリカは、ユキがこれから操縦する無人戦闘機を擬人化しアバターで表現した物。ちなみに、この無人戦闘機はF-35Aに似ていてボディが緋色になっており、愛称はもちろんウルリカだ。
笑顔で手を振るウルリカを見ながら、ユキはマイクの位置を調整する。
「聞こえる?」
「バッチリ」
「敵はまた3機?」
「あったりー」
「いつもの数ね」
またかという表情のユキに向かって、ウルリカが右手を突き出し親指を立ててニヤッと笑う。
「私がいれば楽勝よ」
「みんなが、でしょう?」
「前回5機来たときはミナリンとサキリンに2機ずつ取られたけど、今度はユキリンが3機全部やっつけるよね?」
「競争じゃないし」
「私、頑張る」
「聞いてる?」
アバターと掛け合いが続くが、このアバターの動作も会話も全てAIが行っている。性格や態度は機械学習で変化するが、初期の頃から見て自由奔放で大胆になりつつあり、ユキはもしかして自分の心の奥底にある感情が大きく投影されているのではないかと思っていた。
「ミナリンとサキリンも準備が出来たみたい」
「そう」
仲間の二人は自分と同じく登校中だったのだろうか。それとも、朝ご飯を食べている最中だったのだろうか。そんな去来する思いは、ウルリカの言葉で遮られた。
「滑走路へ出るわよ」
格納庫の扉が開き、管制塔の指示を受けた無人戦闘機ウルリカが自動で滑走路の所定の位置まで移動する。ここまではユキの操作が一切ない。
正面に滑走路が見えてきて離陸準備が整うと、機体は停止し、アバターのウルリカがVサインを出した。
「発進60秒前」
「ラジャー」
ユキはタブレットから視線を切って正面の壁を向き、右手で操縦桿を握ると、耳に高いエンジン音が聞こえてきて、座席に振動を感じ、目の前にはタブレットに映っている画面と同じ映像が浮かび上がり、さらに左右と後ろにはタブレットに映っていない光景――コックピットから周囲を見た光景が浮かび上がった。映像だけではなく、音も360度の方向から聞こえてくる。
これは、フルダイブ型ヘッドマウントディスプレーを応用したヘッドセットがユキの脳内に再現している感覚だ。
操縦桿が握られたことをタブレットが感知し、コックピットで見えている映像、聞こえる音響、感じる振動と加速度の情報をUSB経由でヘッドセットへ送り、そこから直接脳に信号が送られて、認識できるようになっている。だから、彼女が今自分の周りに見えている映像は、彼女自身のみが見えていて、他人には見えていない。音も振動も加速度もそうである。
ウルリカがカウントダウンを始めると、操縦桿を握るユキにいつもの緊張が走る。最新鋭の無人戦闘機ウルリカ達相手にファリアンテは一度も勝ったことがない。それまで、好き放題に空爆を繰り返していた連中に敗北を味わわせたのは彼女達だ。
だが、それでも緊張は走る。手が震える。萎縮するから、恐怖ではなく武者震いと思いたい。
「落ち着いて」
操縦桿を握る手の様子がウルリカに伝わったことによるアドバイスだ。如何に緊張しているかがわかる瞬間である。ユキは、深く息を吸って長く息を吐く。
「わかった」
「うん、その調子」
ウルリカのカウントダウンが再開する。心臓がバクバクと音を立て、喉にまで鼓動を感じる。他の二人もそうだろうか。
「3……2……1……GO!」
アバターのウルリカの合図でユキが発進の操作をした途端、体全体に加速度を感じ、無人戦闘機ウルリカの機体が浮き上がり、視界が一面の青空になった。