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クセモノハウス  作者: 立川好哉
9/20

第9話 神田サンダー

 多摩県の今日の天気は大雨。ときに雷を伴って激しく降るでしょう。


 その予報通り、立川の空には雷雲が満ちていた。神田はパソコンの損傷のことだけ気にしていたが、小豆と万里愛は部屋の真ん中でじっとテレビを見ていた。

「神田、お腹空いた」

「うどん茹でる?」

「お寿司食べたい。神田、買ってきて」

 買い物に行くときは誘ってくるから一緒に行くのだが、今日は命令をしてきた。神田は小豆が雨に濡れたくないのだと思って薄手の羽織を纏いそのポケットに財布を突っ込むと、傘を持って外に出た。無数の雨粒が斜めに降り注ぎ行く視覚を妨げる。神田は傘を開いて徒歩でスーパーに向かった。古い靴は雨の日にしか履かないもので、久々に使われたことを喜んでいるようだが、あっという間に雨が染み込んで重くなった。

 神田は光った空を見て足を止めた。少しの間をおいて轟音が届く。これは遠くに落ちた。しかし頻りに光るから、神田は足早に、逃げ込むようにスーパーに急いだ。

「昼過ぎには雨だけになるのか…」

 夕飯の買い物も済ませてしまおうと思い、何を食べたいか小豆に問うた。留守番をしている彼女からすぐに返信が来たため、神田はその食材も探した。店内からでもわかる音と、ガラスの揺れ。近くに落ちたときは、他の客から小さな悲鳴が聞こえた。

 神田は淡々と買い物を済ませ、勢いの変わらない豪雨の中を歩いて帰った。

「神田ぁ」

 小豆と万里愛は身を寄せ合って小さくなっていた。神田がテーブルの上にお惣菜コーナーにあった半額寿司を置くと、身を寄せたままプラスチックの蓋を外した。

「雷苦手なの?」

「だって危ないじゃん。うるさいし」

「そうだねぇ」

 神田は雷を気にせずいつも通りにしている。テレビは渋谷の様子を映していて、走って往来する人を追っている。神田が割り箸を割ると、一際強い光が部屋に届いた。怯える小豆と万里愛は神田のほうへ身体を移動させて構えた。直後、締め切った窓をガタガタと揺らす震動と轟音とがあった。

「ひぇ」

 小豆は思わず神田のほうへ倒れ込み、彼を下敷きにした。

「ビビりすぎだろ。屋内は安全だよ」

「わかってるけどさぁ」

 神田は早く寿司を食べたかったので小豆を押し退けて寿司を食べた。小豆が泣きそうな顔をしていたのを見ると、神田は冷淡な態度を改めて寿司を箸で掴み、彼の口のほうへやった。

「ほら」

「んぁ」

 小豆の口に寿司を突っ込むと、箸を置いた神田はカーテンを閉めた。

「…昔は怖かったな。今はそうでもないけど。音にビビるくらいだな」

「怖かった時期があるならあたしたちの気持ちが分かるでしょぉ!?」

「静かにしてろ。テレビが聞こえねぇだろ…しょうがないな」

 神田は小豆の後ろに座って彼女を挟むように脚を伸ばした。小豆は後方からの神田の体温を感じたことで安心したが、恥ずかしくなって赤面した。

「文句はねぇだろ」

「うん…神田だからね」

 5人前の寿司を食べ終えると、神田は日課を始めた。残念なことに背凭れつきの椅子に座っているから後ろから密着することができず、小豆はまた万里愛と身を寄せ合ってテレビを見た。

「神田」

「ん?」

「あたしはあんたを殺そうとしてたけど、自分の力を全然わかってなかったよ」

 神田はゲームの音量を下げて小豆の話に耳を傾けた。その声を雷が邪魔するが、なんとか聞き取れる。

「雷にすらビビるような人が神田を殺せるはずなかったね」

「この前万里愛がしたように寝込みを襲うのなら力の弱い人にでも俺を殺せる。けど起きてるときに女が男に勝てると思うな。勝てるとしたら銃を持ってるときくらいだ」

「そうだね。万里愛が包丁持ってても神田が勝ったもんね」

「気付かれてた…!?」

「眠りが浅いしよくトイレに起きるからね。アイディアはよかったな。相手が俺じゃなければ成功してた」

「ひぃ、神田が強すぎるよぉ」

「小豆を匿ったときから俺は死ねなくなった。お前が改心したと思ってなかったから、寝るときは最大に警戒してたんだよ」

 神田は刺客に簡単に隙を与えるほど浅薄ではなかった。好きが隙と心得よ。神田は小豆の懺悔をすべて聞くと再びゲームを始めて日課を終わらせた。その頃には雷が止んでいて、2人はすっかり正常になっていた。

「怖がるお前らちょっと可愛かったぞ」

「ちょっと?」

「ちょっと。半分くらいはいちいちうるせぇって思ってた」

「ひどい!」

 小豆はショックを受けたが、神田のあの行動が自分のことを可愛いと思ったからゆえだと思って口元を緩めた。

「頼られるのって悪い気がしない。これまで何事も他力本願で、たった1人の力で解決したことがなかった俺が誰かを安心させられる。こんなことあると思ってなかった」

「神田は頑張ってるよ、いっつも」

「そうね。何か裏があるのかと思っちゃうくらい優しいわね」

「裏なんてねぇよ。見た目が気に入った奴と自分に好意的な奴にはよくするってだけだ。これが文句垂れ野郎だったら雷に放り込んでた」

 過剰なまでの厚意を受けた小豆と万里愛は神田に何かお礼をしたいと常々考えていたのだが、それを実行する前に恩が積み重なるのでいつまでも返せないでいる。小豆の懸念した通り、返すべきものが大きくなりすぎたので、自分で考えることができなくなった。

「神田、あたしにしてほしいことってない?」

「してほしいこと?この前のメイド服でかなり潤ったけど…お前ドジだしなぁ。あ、ドジっ子メイドっていうことか!すげぇ、完成してたんだなぁ。なんて勿体ないことをしたんだ。ああいうときにこそ皿を割ってほしかった」

 神田が急に早口で喋り出したので小豆は萎縮した。彼女は以前万里愛から神田を護ることをお礼としていたが、それを達成できなくなったので違うものでお礼をしなければならない。

「じゃあメイド服着て皿割ればいいの?」

「うーん…あ!そうだ」

 神田はイヤホンを外して立ち上がった。名案を閃いたようだ。

「メイド服で耳かきしてよ。そういうのよく見る」

「耳かき?まあ、いいけど」

 神田が目を閉じている間にメイド服に着替えた小豆の膝の上に神田が頭を乗せた。

「なんでメイド服なの?」

「萌えるじゃん。なるほど、これは確かに…いいねぇ」

 小豆は困惑しながらも神田の耳を掃除し始めた。万里愛はその様子を見て何の意味があるのか考えていたが、同じことをすれば理解できるとしてこっそり着替えを済ませた。

「神田、ズボンをふっくらさせないで」

「しょうがないだろ。メイドさんに耳かきしてもらってるんだから」

「メイドに耳かきされると誰でもそうなるの?」

「だと思う」

「ふーん…はい、反対」

 神田が向きを変えようと頭を少し上げたとき、小豆の胸に少し触れた。小豆は赤面して神田をはたいたのだが、指が鼻に当たってしまったので鼻血が出た。

「うわわ」

「血が!ティッシュ…」

 慌てて鼻を塞いだが神田の血が数滴だけ小豆の服についてしまった。

「ああっ」

「洗えば落ちる!けど早く洗おう!」

 神田は起き上がって小豆を解放し、小豆は素早く腰のエプロンを外して水洗いした。

「ごめん、あたしが殴ったせいで」

「いや、俺の鼻が貧弱だった…それより中断しなきゃいけなくなって残念だ」

「でも胸に触ったことは赦してないよ」

 意図したことではなかったと神田は釈明したが、持ち上げなくても身体を捻るだけで向きを変えられたという小豆の主張は正しい。客観的な意見が万里愛に求められた。

「これは偶然ね。神田に悪意はなかったと思うわ」

「そうかなぁ」

「動きは不自然じゃなかったもの。小豆の胸が思ったより大きかっただけでしょ」

 小豆は不服そうに自分の胸を持ち上げた。神田が再び詫びたので赦したが、未だにわざとだと思っている。

「神田はさぁ、おっぱい触りたいの?」

「触り…たくないと言えば嘘になるけど、四六時中触りたいと思ってるわけじゃないよ」

「そっか。いや、わりと常にあたしの胸を気にしてるみたいだった」

「んなことはない。確かにおっきいとは思うけど、そんな気にするほどじゃない」

「ホントかなぁ…」

 問答を繰り広げていた神田と小豆に苛立った万里愛はその間に入って切り出した。

「あるない喋ってるところ悪いけど、私はまだメイド服を着ているわよ」

「あれいつの間に。じゃあお前に耳かきしてもらうわ」

「どうぞ」

 ロリメイドの膝も心地良く、神田はニヤニヤしながらリラックスした。万里愛は宿敵に母性を感じ、柄にもなく優しく掃除してしまうのだった。その時。


 ピシャァァン!


 稲光と音とがほぼ同時にやってきて、驚いた万里愛は身体を縮めて神田を抱きしめてしまった。

「んぐぐ」

 胸を耳に押し当てられた神田は悶絶して声をあげたが、万里愛は神田を強く抱きしめたまま余韻がなくなるのを待った。

「ちょっと万里愛、あんた自分から押し当ててんじゃん!」

「違うわよ!雷が怖かったからで!」

「むごご」

「ああ神田が死んじゃう!」

 神田は起き上がり、鼻のイライラを解消するべく思い切り鼻をかんだ。血の混じった鼻水が出たが、出血は止まっていた。お礼は済んだのだからメイド服を着ている必要はないのだが、過剰なまでに包まれていることと、コルセットの圧迫感とが安心を誘うようで、万里愛は脱ごうとしなかった。


 万里愛は悩殺が神田に有効だと知ったので、バラエティ豊かな悩殺を会得しようと研究を始めた。小豆のスマホを借りて思いついたワードで検索をかけると、恐ろしいくらい詳しいサイトにあたった。恋愛のテクニックと書かれているが、もはや性的嗜好に訴える手段である。万里愛は頬を少し赤くしながら最後まで見た後、寿司だけでは足りないと言って昼食を作り始めた神田に忍び寄った。その不穏な感じを小豆は察知していたが、敢えて何も言わなかった…神田の幸せのために。

「ご主人様、何かお手伝いすることはありますか?」

 神田が包丁をまな板の上に置いて振り返った。万里愛は両手を丁寧に身体の前で重ね、主人の返答を待っている。裏があると思った神田は流れに乗せられないようにするために、感情の籠もらない声で返した。

「座ってな。今料理してるから近づくと危ない」

「うーん…」

 不服そうに踵を返した万里愛が何かを意図していることは神田の中で断定されていた。恭しい態度で敬意を表して心を近づけておいて、その扉をこじ開けんとしているのだ。踏み込まれれば支配されるから、神田は門番としての言葉を用意せねばならない。

「私が料理を作ろうか?」

「あ、お前作れるの?」

「少しはね。この先を私に託してもいいわよ?」

 神田は踏み台を用意して万里愛に包丁を任せた。包丁と言えば他ならぬ彼女の武器なのだが、神田に通用しないことは既知のことだから襲ってこない。襲うことが目的ではないようだ。

「んじゃ俺はゲームでもやるかな。小豆、お前やりたい?」

 先日買ったゲームを勧めると、小豆はコントローラーを持った。小豆の選んだゲームは協力プレイができるから、2人はそのモードを選んだ。

「委員会ではゲームはできたの?」

「うん、スケジュールをすべて管理されてるわけじゃないから、空き時間は自由だし、給料は何に使ってもいいんだよ。あたしは集会場に集まってみんなでやってた」

「ああ、じゃあゲームはけっこうやってたんだ。じゃあ大丈夫か…」

 しばらくゲームで遊んでいると、料理がテーブルに届けられた。中断してテレビに切り替えて振り返ると、よくわからない料理があった。

「…おかしいな。生姜焼き作ってたはずなんだけど」

 残る工程はタレを入れて焼き目がつくまで焼くだけだったのだが、どうしてか黒焦げのロース肉ともやしがある。

「どうぞめしあがれ。私の渾身の料理よ」

「…万里愛さん?」

「なにかしら。さあ、遠慮しないで」

 神田は万里愛に顔を近づけ、真顔で訴えた。しかし万里愛は平然としている。どうやら素でこれを作ったようだ。おそらく、もやしに火が通るまで熱していたら肉が焦げたのだろう。神田は試しにもやしを食べてみた。これは食べられる。肉を食べてみた。苦い。

「作ってくれてありがとう…」

 気分を害したくなかったからお礼を言ったが、怒りたい気持ちを抑えるのに必死だった。万里愛は自分の料理を食べず、小豆に勧めた。

「うん、いただきます…」

 一口食べると、皿を神田の前に移動させた。

「私もお寿司でお腹いっぱいなんだ。神田、残りいいよ。あんたの金で買ったもんだし…」 神田は小豆の感想を聞くまでもなく察して苦い肉をマシなもやしで上書きしてなんとか食べきった。

「万里愛、実は俺、料理の資格を取ろうとしてるんだ。実技もあるから練習しておきたくて、これから俺が毎回作ることにしたいんだけど、どう?」

「あら、私に挑むつもり?上等じゃない。せいぜい頑張ることね」

 見下されていることが全く気にならないくらいの安心があった。

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