第8話 最高の秋葉原を約束する
不動産屋に行ったらそこは仲介業者ではなく管理会社だったので、契約の話がすぐにまとまった。金を払えばすぐにクリーニングと鍵の交換が始まり、1週間後には入居できるとのことだったので、神田は全費用をその場で支払った。
帰って小豆と万里愛にそのことを報告すると、2人は大喜びで家具を検索し始めた。引っ越しが実現するということで、単にネットでのウインドウショッピングに留まらず、実物が家に届くかもしれない。
「スーパーとかコンビニは別のところを使うことになるけど、そっちもそんなに高くはないから大丈夫。駅には近くなったから外出も楽だね」
「神田は電車使ってどっか行くことあるの?」
「高尾山行くのと、たまにアキバ行く」
「アキバかぁ。オタクの聖地なんだっけ?行ったことないなぁ」
「私もないわね。映像ではよく見たけど」
「行ってみる?」
秋葉原駅のある場所は神田と呼ばれている。それとは全く関係がないが、神田はかつて頻繁に通ってはゲーム屋やオタクグッズショップに入り浸っていたという。最近は行っていないので、どのように変容しているのか興味が湧いた。2人が乗り気だったので、オシャレな服に着替えて家を出た。立川駅から御茶ノ水駅まで中央線の特快で移動し、総武線に乗り換えて秋葉原に着く。殆ど直線で、1時間もかからない。
高層ビルの立ち並ぶ秋葉原に降り立った3人は名の知れた家電量販店に入り、客の多さに驚いた。
「立川もけっこう都会だと思ってたけど、やっぱり都心はすごいね」
「迷子になりそうだわ。神田、手を繋いでいなさい」
「おう。マジで迷うぞ。俺スマホ持ってなかった頃に友達とはぐれて呼び出し喰らったことある」
神田がスマホを手にしたのは高校に入ったときのことだから、ここに通っていた中学の頃は持っていなかった。1階あたりの面積も広ければ、階数も多いこの巨大な建物ではぐれて再び会うことは極めて難しい。神田は小さくて目立たない万里愛と手を繋いだ。
すれ違う人の中には特徴的な外見をしている人がたくさんいて、この場所がとてもグローバルに開かれた場所だと認識させられる。
「さっきの人すごく綺麗だったねぇ」
「ルーマニア人かな?モデルみたいだった」
「聞き慣れない言語がいっぱい」
「アジアからの客も多いみたいだね」
神田が向かったのはコンピュータ関連の売り場。彼には夏に向けて買わねばならないものがある。
「エアコンつければいいだけの話なんだけど、夏場は熱で壊れやすくなるから排熱の仕組みをちゃんとやっとかないといけないんだよね」
CPUにはグリスを塗って熱が逃げるようにしなければならないし、ケースの中に熱気が籠もらないように工夫しなければならない。ケースを大きくするとかファンを新しくするとか様々に考えられるが、神田はいっそ水冷式にしようと思っていた。冷却効率が空冷式より高く、夏場はエアコンなしでもケース内の温度をしっかり下げてくれるという話だから、ゲームを主目的とする神田に推奨される。
「ただ、構造がよくわかんないから全部作ってもらおうかと思ってる」
「いくらするの?」
「知らんけど数十万はするだろうね」
「うわぁ…家移りでお金使ったばっかりなのに」
ごもっともな指摘だった。万里愛がエアコンを使い続ければ買い換えの必要はないと言うと、神田は思い留まった。
「確かにスペースをとるしメンテの方法を知らないままやるのはよくないかな…今のもちゃんと動くし」
「そうだよ。でもなんか綺麗だね」
「そうね。パソコンの中ってこんなイルミネーションみたいにできるのね」
「自分で組むパソコンとかもはや趣味だからね。一般人はできてるやつで十分だもん。車みたいなもんじゃない?シート交換したり計器つけたりガワを弄ったり」
「ああ、来るときに見たね。痛車だっけ?」
「ああ、あれも改造車だな。奥が深くてハマると抜け出せないんだってさ…」
3人は別の売り場も見て回った。楽器やフィットネス用具、寝具もある。自分の身体より大きなテレビが売られているのを見ると、万里愛がはしゃいで言った。
「こんなに大きなテレビ、お家に入らないわよ!」
「富豪の家だな。50万もするし」
「50万…途方もないねぇ」
新居に置いても画面が大きすぎて目を悪くしそうだ。30帖くらいの部屋に住んでいる人が買うのだろう。高価なものに近づくと壊しそうで怖いので、神田は2人を連れてゲーム売り場に向かった。いくつかは体験できようになっていて、小豆はコントローラーを持ってゲームをやり始めた。
「なにこれ楽しい。神田、家にこれある?」
「ないよ。やりたいの?」
「あったら楽しいと思わない?」
大人気タイトルだが発売してから数ヶ月経っているため値段が少し下がっている。ハードごと買っても5万円に収まるから、神田は小豆のために買ってやることにした。
「複数人で遊ぶゲームもあるし、いつか買おうと思ってたから」
「やったぁ!ありがと神田ぁ!」
やはり金があれば好感を稼げるのだと神田は実感した。万里愛にも何か買ってやろうと思い、気になるものを探してもらった。万里愛が手に取ったのは女性向け恋愛ゲーム、所謂乙女ゲームだ。
「カッコいい男の人がいっぱいいるわよ。この人たちと恋愛できるのかしら?」
「そういうゲームだね。やりたいの?」
「ええ、このイラスト、好みだわ」
「じゃあ買ったるよ」
「あら、嬉しいわ」
神田は18禁のガンアクションゲームのシリーズ3作品をすべてかごに入れ、フロアのレジに持って行った。
「6万8079円でございますぅ」
若い女性の店員が在庫を持ってきて袋に入れてくれた。神田は現金で支払い、ポイントカードにポイントを貯めた。昔貯めていたものは使い切ったし失効しているから0から貯めるのだが、これだけで6189ポイントを獲得できる(税抜き価格の10%還元)。
「いきなり大荷物になってしまった…」
「次はどこ行く?」
「お前らアニメとか見る?」
「あんまり見なかったねぇ。神田の家の漫画は読んだけど」
「うーん、俺も最近店舗じゃなくてネットで買うからなぁ…じゃあ先にあっち行くか」
「あっち?」
神田が向かったのは細い路地から入るビルにあるメイドカフェ。目立たない場所にあるが、通の間で大人気の店だ。可愛い子が多いらしい。
「お帰りなさいませ、おにーちゃん!おねーちゃん!」
メイド妹に迎えられた神田はデレデレした顔で奥へ入っていった。小豆と万里愛もそれに続いて席に座ったのだが、完全に空気に呑まれている。
「飲食店なんだよね?」
「メイドレストランだよ。ここのはマジで美味いから」
「なんでメイド?」
「アキバって言ったらメイドだろうよ。中央通りには至る所にメイドがいてチラシ配ってるぞ」
メニュー表には奇抜なデザインの料理がたくさんあり、小豆と万里愛は頭を抱えた。神田は慣れた様子で注文し、ワクワクした様子で待った。しばらくするとオムライスが運ばれ、メイドがケチャップでハートを描いた。
「それじゃあおにーちゃん、もっと美味しくするために魔法をかけるね!おねーちゃんも一緒に!」
手でハートを作った神田に倣ってハートをつくると、小豆と万里愛は何が起きるのか怯えた。
「おいしくなーれ、萌え萌えきゅん!」
神田は完璧にやって見せたが、小豆と万里愛は少し遅れた。
「はぁい美味しくなりましたぁ!どうぞ召し上がれ!」
「んふふ、ありがとぉ」
神田が気色悪い声でお礼を言って食べ始めた。
「…今のなに?」
「メシ食うときはああやるんだよ。メイドカフェではお決まりよ」
「へぇぇ…」
仕草は可愛いと思っているが、ノリノリな神田のことを気持ち悪いと思った小豆はジト目になった。
「うーん…」
「はいお待たせしましたぁ、おねーちゃんの料理にも魔法をかけるよぉ!」
2回目は遅れずにできた。神田はまたもノリノリで、メイドに負けない明るさで魔法をかけた。
「ンフフッ」
「神田ぁ…」
これが彼の楽しみだというのであれば貶さないが、これによって気分を良くする彼の精神状態が不安視された。しかし料理が非常に美味しいので、最終的には小豆も万里愛も笑顔になった。
「チェキ撮ろうぜ」
神田はメイドを呼んで隣に立ち、小豆と万里愛を集合させた。写真が撮られるとすぐにプリントされて神田の手に渡った。
「ンフフゥ」
「また来てね、おにーちゃん、おねーちゃん!」
「んふ、また来るよぉ」
神田は終始デレデレだった。メイドレストランとは何かを知った女子2人は少し引いていたが、その文化を嫌っているわけではなかった。
「神田はああいうのが好きなの?」
「いいよね、メイドさん。フリフリの衣装が可愛い」
「ふーん…ねぇ神田、その服ってメイドさんしか着られないの?」
小豆はあることを企画していた。話を聞いた神田は2人をある店に連れて行った。メイド服専門店だ。ここには様々なデザインのメイド服があり、オーダーメイドもできる。メイドだけに。
「かわいいー!」
「だろ?お前が着たいってなら買うぞ。万里愛も」
「あら、いいわね。私も興味があるわ」
ここは本格的なメイド服を扱っているため、値段が非常に高い。しかし神田は金持ちだから、高価な娯楽でも楽しむことができるのだ。
「お姉さん、試着してみていいですか?」
「どうぞどうぞ」
店員のお姉さんもメイド服を着ていて可愛らしい。神田が見蕩れていると、こんな提案があった。
「姉妹店に執事の服を扱っているところがありますから、是非ご覧になってください」
「あら、いいですねぇ。メイドと執事で揃えれば映えそうですね。ただ俺スタイル超悪いっすよ?」
「丈の調節も承ってますよ。お兄さん顔がいいから似合いますよぉ」
「あらまあ」
神田はおだてられてニヤニヤした。そこへメイド服を着た小豆と万里愛が出てきたから、さらにニヤニヤして漫画みたいな顔になっている。巨乳メイドとロリメイドを前にした神田は鼻息を荒くして見入り、財布を出して購入を断行した。
「まいどぉ~」
23万円が飛んだが、神田は全く悔いていない。どころか上機嫌で執事の店に入り、自分の分も買って両手を袋まみれにした。
「神田、そろそろ持ちきれないでしょ…」
「そうね。お前らといるとこんなに楽しめるってのを知っただけでも大きな収穫だったね。もうお腹いっぱい堪能したよ。帰って撮影会しようか」
「下からは撮らないでよ?」
「もちろん」
神田は電車で小豆と万里愛を座らせ、その上に荷物を置いてつり革に掴まった。帰りも乗ったのは特快。駅を出ると次の駅になかなか着かないのだが、それが示すリスクが起きてしまった。
『急停止します。お掴まりください』
「なんだ!?」
神田は狼狽える周囲を落ち着かせ、アナウンスに耳を傾けるよう促した。
『ただいま強い揺れを感知しましたため緊急停止しました』
停車するとわかるが、確かに揺れている。地震が発生したのだ。揺れているまま走れば脱線して大事故につながる可能性があるため、止めるのは致し方ないことだ。排泄を我慢している人にとっては地獄だが、きっと多くの人が理解してくれる。他人事と思っていると、目の前の万里愛が腹を押さえた。
「神田ぁ、トイレ行きたい…」
「マジか…地震だから収まればすぐに発車できると思うよ」
「うぅ」
神田は目隠しをつくることを考え始めた。しかしこれだけ多くの人が乗車している状況で、孤立させることはできそうにない。荷物を重ねてバリケードのようにしたとしても、完全に密封することは不可能だし、音を聞かれるのは避けられない。そんなはしたないことは万里愛にはできないだろう。神田はそっとビニル袋を差し出した。
「敷いとけ。最悪そこだ」
「えぇ…!?」
「椅子を汚したらおしまいだぞ。都合良くスカートなんだから、その中で見られないようにゆっくり出せ」
神田は最善を尽くしている。万里愛はそれを感じ取り、神田に言われたとおりにスカートの中に袋を入れた。それと同時に、アナウンスがあった。
『揺れが収まったため発車いたします。お待たせ致しました』
「ほっ…」
神田たちは三鷹駅で降車し、万里愛は漏れないようにトイレに急いだ。
「地震かぁ。久しぶりだなぁ」
「ね。あんまり大きくなくてよかった」
神田がスマホで検索すると、千葉県北西部を震源とした最大震度4のものだと判明した。ここは震源に近かったため、震度4を観測したらしい。それならば電車も止まるだろう。「あぁぁ間に合ったぁ」
万里愛が満面の笑みを浮かべて戻ってきた。神田の尽力に感謝すると、彼の腕をとって身体に寄せた。
「救われたから何でもお礼をするわ。本当にありがとう」
「大げさな…まあ確かに我慢してるときに助けてくれる人には一生かけてでもお礼をしたくなるよな。うちで漏らすのと外で漏らすのって違うからね」
神田家でよく漏らす万里愛には刺さる言葉だった。
家に戻ってくると早速着替え、神田のスマホで撮影会を行った。
「あぁいい!すごくいいよぉ2人とも」
「あんたもなにげ似合うじゃん。なんなの?」
「そうよね。スタイルは悪いけど上だけ見れば似合ってるわ」
神田は褒められて嬉しかったので2人のことをさらに褒めた。このままだと興奮が臨界に達して爆発してしまうので、神田はスマホを閉じた。それと同時に2人もメイド服を脱ぎ、事態は収束した。
「これを機にメイドのこと調べようかな」
「おう、深いぞ」
「神田、チェキは?」
「ああ、ここに飾っておこう」
神田のパソコンの傍のコルクボードに留められたその写真は、神田にとって忘れられない日の宝物となった。
だるいのでまとめて投稿します。