第4話 無色の無職の褒めかた
神田は小豆にスマホを与えておくべきと考え、彼女と一緒に電気屋に行った。小豆が昨日行ったところとは違うところで、こちらのほうがスマホの品揃えが多い。神田がここに決めたのはそれが理由だ。
「これさえあれば遠出できるし、買い物の途中に足りないものに気付いても連絡できる」
「そうだねー。暇つぶしにもなるし、いいことばっかりだね」
「現代人だからネットリテラシーがあることを前提とするけど、わかんないなら今のうちに言っといてよ?」
この国には機能を最低限に抑えた操作の簡単なスマホがある。高齢者をターゲットにしたものだが、子供が使っても問題ない。余計なことをしてトラブルに巻き込まれないようにしたいのなら、多機能なものよりこちらを選ぶべきだ。
「委員会にいたときは使ってたし大丈夫。昔のモデルだからもう売ってないけどね」
最新モデルはやたら多機能で一般人には到底使いこなせないものだ。値段は10万円を超える。もっと簡単でいいから安くしてくれという人は多い。
「ドロ機なら安いよ」
「ドロ使ったことない。ずっとリンゴだった」
「うーん、ならしょうがない。ドロはわかんないこと多いからね」
神田は小豆が欲しがっているものをクレジット一括で買ってやった。これは神田が申請のときに自営業年収1000万と偽って作ったものだが、カード会社はその真偽を調べるほどの執着がない。
「外で使うんだからSIMカード買わないとね。どこがいいんだか見よう」
「回線が強いのがいいなぁ。大事な連絡がいざという時にできないと困るでしょ?」
「そうだね。無駄がなければ高くてもいいか」
スマホは嗜好品ではなく生活必需品であるため、小豆が高いものを求めることに苛立つことはない。むしろ信頼性の高いものを買う方が自分にとっても得である。
「いやぁ、これで神田に心配をかけずに外に出られるよ~」
「そうね。でも夜にはちゃんと帰ってきてね」
「うんー」
返事がはっきりとしていなかったので神田は不満だが、小豆はスマホを入れた袋を大事そうに抱えて満足そうだ。なんとなく温度差を感じているのは、自分が過保護だからだろうか。
小豆はスマホを箱から出して初期設定を始めた。神田のほうが詳しそうだが、余計な設定をされると困るということで1人でやりきった。神田はSIMカードの説明書を端から端まで熟読して正しい運用方法を確かめた。自分の知らないところで大きな損失を出すことは許さない。小豆が公序良俗を守り、非行に走らないようにするために必要なことの1つだ。神田は小豆に継続して金を払う人として、保護者の立場に立つ必要があるのだ。
「ヘンなサイトとか見ないでね?架空請求につながるから」
「神田経験あるの?」
「友達が引っかかって電話番号メールしちゃったんだよね。俺は強制終了からの再起動で事なきを得たけど」
「エロ動画見ようとしたんでしょ、えっちぃ…」
「俺はこっち使ってるから。スマホとか殆ど使わんし。管理会社とか歯医者に電話するために持ってるけどさ」
小豆は現代でスマホよりパソコンを使う神田が異端児に見えたので、パソコンこそ彼に関する情報の宝庫だと考えた途端にそれに手を触れてみたくなった。
「神田はそんなにパソコンばっかり使って、ゲーム以外にもなんかしてるの?」
「家計簿とかお絵かきとかちょっとした小説とか…前はプログラミングもやってた」
「ふーん…あたしも使っていい?」
「何のために?」
神田が訝しむのは当然だ。たった今スマホを手にした彼女にパソコンは必要ないはずだ。小豆はお絵かきをしたいと言って許可を得やすくした。
「壊さなきゃいいけど…サブアカ作っとくからそっちでログインして」
これで神田は自分の機密を探られない。そうであるならば、心配すべきは物理的な破損だけだ。ただ、この子はやりかねないと思っている。
「データを飛ばすのだけはマジで勘弁な。あとインターネットはスマホのほうで使うこと」
「わかったわかった。そんな警戒しなくてもだいじょーぶだよ。お絵かきするだけだし」
神田の不安は払拭されなかったが、彼は小豆のためのアカウントを作成しておいた。彼の監視下でお絵かきを始めた小豆は短時間で飽きてスマホのほうに戻ってしまった。アプリをたくさん入れて遊ぶのだそうだ。午前のうちに小豆の新スマホにはアプリがぎっしりと入った。
外でも回線を使えることを確かめるために昼食をレストランにて摂ることにした。和食レストランの席は簾で区切られ、密閉性が高い。周囲の客の声をあまり気にすることがないのが良く、神田は初めて来たここを気に入った。
「ちゃんと使えてるね。よかったよかった…あ、ドリンクバー頼む?」
奢ってもらっていることを意識した小豆は飲み物を持ってくることをお礼にしてドリンクバーを注文に加えた。和風おろしハンバーグ定食が2人のもとに届くと、神田はメロンソーダを小豆に頼んだ。
「うーん、優しすぎるなぁ…」
小豆はもっと楽しいことはないものかと思い、相手がくれないのなら自分から作ることを発想した。それは悪戯ということだ。小豆はメロンソーダに少量のタバスコを混ぜて神田に出した。
「あざっす…ん?」
「どうした?」
「いや、なんかメロンソーダっぽくないなぁって。機械洗浄したてなのかな」
機械がどのような構造をしているのかは知らないが、知り合いのコンビニ店員によるとコンビニのコーヒーマシンは酸性とアルカリ性の液でチューブを洗浄するから洗った直後は少しだけ液が残っているという。それと同じものだろうと思って飲み干したので、小豆は思い通りにならなくてつまらないと思った。
「神田って遊園地とか水族館とか楽しめる人?」
「水族館と動物園はいいね。面白い生き物がいるからね。ただ遊園地は…わかんないね。小2の頃行ったけど、あんまり記憶がない。そもそも身長制限で乗れるものが少なかった」「ふーん…」
何事も進んで楽しもうとする人と一緒にいれば楽しいはずだ。相手がそうでないのなら、自分がいくら楽しくしようとしても望み通りにはならない。小豆は内心で神田に変化を求めている。
思いついたことを話してみても長続きせず、料理が冷める前に食べたいからと急ぐような仕草をしてみる。広げようと思えばいくらでも広げられるし、そこから全く関係のない話に変えることもできるはずだった。しかしそんな気分ではなく、折角閉鎖的な空間が手伝ってくれているのも無駄にして、あっという間に店を出てしまった。ここで神田は初めて『つまらない』という感想を抱いた。
帰ってすぐに神田はゲームに、小豆はスマホに夢中になったので会話をすることはなかった。それでよいと思えてしまうから、一緒に住んでいることのメリットを一切感じられない。バッテリーが少なくなってきたので小豆が操作を止めて、久々に会話が起こった。
「神田」
「んー?」
神田は小豆が自由に暮らしていることに文句はなく、彼女に必要なことは何でもやるという気でいる。だから小豆がどことなく不満げなのがずっと心の隅で引っかかっていた。ここで素直に要求を話すことを期待して構えた。
「肉フェスってのが週末にあるらしいんだけど、行く?」
「肉フェス?」
外出は2人にとって決して安全なものではなく、肉フェスに行ったが故に襲われたということがあり得る。万全を期すなら外出をできるだけ控えるべきだが、危険を承知してでも楽しいことをしたいのだった。肉フェスのような限定イベントは最適で、神田はあっさりと賛成した。
「じゃあ行こうねー。やっぱさ、楽しいことしてかないと。折角2人でいるんだから、1人じゃ行きにくいようなとこに行こうよ」
「まったくその通りだ。なんか最近ゲームしかしてないから、違うことしたいねぇ」
神田は小豆と同じ気分になったことを嬉しく思った。仲良しとは気持ちの情報交換が頻繁に行われている状態のことで、神田と小豆は今その状態にある。
「ゲームは神田にとってすごく大事なものだからあたしは何も言わないけど、どうせなら2人でできるゲームがいいなぁ」
「んならお前これやればいいよ。そのためならパソコン買ったげる」
「でも神田ガチ勢じゃん。初心者のあたしは同じグループに入れないでしょ?」
「同じクランにいることのメリットはあるけど、同じクランにいなくても同じクエストには参加できるから、所属してなくてもいいんだよ。クランのメリットが欲しいなら入れるけど、それは育ってからだね」
ガチ勢のクランはクランバトルには全員参加を強制していて、参加しない者は排除される。首脳の神田がいま最も参加できない懸念を抱いているのは小豆の相手をしなければならないからであるため、彼女も同類になればそれは解消する。
「あたしはガチにはならないよ?あんたが熱くなってうるさくなるようなことがないなら、ちょっとやってみてもいいかなぁ」
神田は俄然元気になってパソコンのパーツを調べ始めた。自分が使っているものは以前パーツを組んで作ったもので、このゲームに適したスペックになっている。同程度の機能を持つ最新の製品を買えば間違いないだろうから、互換性に注意しながら通販で購入しておいた。
「あっさりと買うね。あたしが気まぐれでやらなくなるかもしれないのに」
「でもなんかの役に立つだろ」
一緒に楽しく遊べるものが増えれば今後を憂う必要はないので、神田はそのようなものをもっと増やそうと思った。まず思いついたのが、家の装いを改めることだった。
「なんかさぁ、小豆がいる場所にしては無機っていうか、彩りに乏しい部屋だと思うんだ。最低限でいいからこうなったけど、小豆の好みを少しでも取り入れたら華やかになるかもね」
完全に女子の部屋にするわけではないが、家具を一つ変えるだけで気分がよくなることがある。これで家具屋に行く予定ができた。
神田が豆乳をグラスに注いで日課に戻ると、イヤホンをつける前に小豆が喋った。
「こっち来てから惑うくらいの非日常が続いたからさ、日常を取り戻すとつまんなく思っちゃうんだよ。今日のあたし、露骨に不機嫌そうだったでしょ?」
神田はイヤホンを持ったまま『うん』とだけ返した。
「途中から神田もそんな感じだったから、あたしがワガママ過ぎて怒ってるのかと思ったんだ。話しかけないほうがいいかなって」
「マジで?俺怒ってるように見えた?それはスマン…なんかね、気分じゃなくて」
「ちょっと反省した。もっと神田の苦労を考えるべきだったよ」
表情からそれが本当だと判断できるのだが、神田は小豆に反省してほしいわけではないのだった。
「俺相手なら思ったこと何でも喋っていいよ。つまんないならそう言ってくれればネタ考えるから。あぁよかった、このまま不仲になるかと心配したんだよぉ?」
神田が甘えたような声を出すと、小豆はニヤニヤして言った。
「あんたのが圧倒的に有利じゃん。その気になれば追い出せるんだから」
「俺のこと、そんなに覚悟のない奴だと思ってたの?匿う奴にも責任はある。追い出して事件に巻き込まれでもしたら困るだろ」
「神田ぁ…」
不仲になってもここにいられることに胡座をかけば、本当に怒った神田に追い出されるとは思っている。小豆は失礼のないように振る舞うと決めた。
神田がゲームに戻ったので小豆は昼寝を始めた。買い物に行ってもよかったが、神田と一緒にいくほうが楽しいはずだという理由で後回しにしたのだ。神田は黙々と日課を進め、終わった後にクランの仲間と文字チャットをしながらクエストをいくつか達成すると、腹が減ってきたことで夕飯を意識した。
「刺身食いたいなぁ」
神田はスーパーのコロッケ買うとき、一緒に刺身も買う。今日はそれでよいと思ったが、折角だからコロッケを作ってみることにした。動画で作り方を学び、必要なものを手の甲にメモした。スマホにはメモ機能があるのだが、手の甲に書く方がすぐ見られるので便利だ。タトゥーと勘違いされがちだが、この地域でタトゥーを入れている人は少なくない。「小豆…」
女の子の寝顔は自分の気色悪い顔とは違って神聖不可侵な感じがする。不可侵だから撮影はしないで記憶に刻みつける。どうしてこんなに可愛いのかと考えたとき、肌色の良さやニキビのないことが魅力なのだと気付いた。ケアを怠ったことを後悔してももう遅いから、神田はひたすらBBクリームを塗る。見られていることに気付いたのか、小豆は目を覚まして起き上がった。神田は咄嗟に目を逸らし、買い物に行こうとしていたことを装った。
「神田は今日何食べたい?」
「俺がコロッケ作るわ。刺身も出すけど小豆はなんか欲しい?」
「コロッケがいっぱいあれば十分。神田が作ってくれるなら期待できるね!」
小豆は機械的に作られた料理より人の手で作ったものを好むようだ。丹精が重要だから、神田のコロッケを作る様子を見られるのは大きな意義を持つ。
「ってわけで一緒に買い物行こ?」
神田は恋人のような関係を意識し始めた。付き合いたては過剰なまでにイチャイチャするものだと思っているから、わざとらしい言葉を選んでみたのだ。
「いいよー。いい芋を見極めるスキル持ってるからね、あたし」
筋や皺が少なくふっくらとした丸みがあり、緑色に変色していないものが好ましいそうだ。荷物持ち以外にもメリットがあるなら連れて行かない理由はない。スマホをショートパンツのポケットに入れた小豆を連れてスーパーに行くと、入ってすぐのところにじゃがいもが並んでいた。
「なんか他に1品作ろうか」
「あったら嬉しいねぇ。何が合うかな?ソテー?」
「それなら俺でも作れるね。ちょっと豪華にいこうか」
神田は自分の料理で誰かが喜ぶという経験をしておきたいので、小豆の要求をすべて呑んだ。その一つに、数年前に販売中止してから人々が復刻を願って止まなかったアイスがあった。ついに復刻を果たしたのだ。神田もそれを知っている。
「10秒レンチンすると上手い具合に溶けてて美味いんだよなぁ」
「わかる、やってたわ。いやぁ、ここで再会できるとは」
小豆の笑顔に誘われてニヤニヤした神田はいつも買っているアイスを追加してレジへ向かった。ここには自動レジがあり、スキャンも客がやる。店員の雑な入れ方や別会計の面倒を嫌う人からは助かるとの声が寄せられている。
「油ものはマジで危ないから小豆はテレビでも見ててくれや」
「わかったー。余計なことしないでおくね」
大怪我どころか死亡事故、アパート全焼もあり得るから慎重に行いたい。ドジっ子の立ち入りは禁止された。
神田がスマホを見ながら下ごしらえを進めている間、小豆はスマホで家具を調べていた。これまで欲しくても買えなかったものをここでは買うことができる。心の底から欲しいと思えるものと出会うのはそう簡単なことではないが、最近は複数条件で検索をかけても見つけてくれる。いくつかにブックマークをつけておくと、ソテーの良い匂いが鼻をくすぐってきた。皿を出そうと思っていると、テレビがこんなことを言った。
『死亡したのは市内に住む24歳の無職の男性で、警察の調べによりますとこの男性は女と面識がないとのことです…』
「無職…」
委員会の仕業だと思った。いつも巧みに殺しの跡を隠すのだが、今回は目撃されたようだ。最近では万里愛がここを襲撃したので、彼女かもしれない。
「できたよー」
「ねぇ神田、あたしが言うのもナンだけど、どうしてみんな無職を敵のように見るのかな」
「そりゃ働けるのに働かないのは憲法に反するからだろ。まあ憲法って国への制約だけどな。俺も働いてないわけだし、知らない奴からしたら憎むべき存在だろう」
「あたしは神田に世話になってるからもう憎まないけどね」
「実態を知らない限りは憎むべきだと俺も思う。でもアレでしょ?『自分がこんなにも辛い思いをしてやっと金を得てるのに、楽して金をもらってる奴がいるのは不平等だ』っていう思いが憎しみになるんでしょ。そりゃそうだよ」
金は労働の対価という認識が常識なのだから、対価を払わずして金を得ることは非常識的だ。しかし人間の怠惰な性格を考えると、テイクだけの生活が理想的だ。もしすべての労働者が機械に置き換わって人間が楽してすべてを得られるようになれば、この不満はなくなるはずだ。働かなければならない人が血涙を流しながらこれを書いていることは想像に難くないだろう。
「みんな楽して稼げるようになればいいのにね。余裕がないから人を憎み、攻撃するんだよ。でも俺は仲間以外どうでもいいと思ってるから、知らない無職が死のうが構わん」
神田にチャリティーの精神はない。自分と関わった者にだけ慈愛を向けるのが彼の性格だ。その中にいる小豆は絶対的な安心を得ている。
「さ、食べようぜ~」
「うーん、美味しそう。神田はすごいなぁ」
シンプルな褒め言葉が心地良い。神田はやはり豆乳を注いで両手を合わせた。神田が初めて作ったコロッケの味は小豆曰くプロも唸るほどで、大量に作ったものがあっという間になくなった。ソテーも味付けが絶妙で、もっと多く作ってもよかったと反省するくらい美味しかった。
「神田、あたしは幸せだよ」
「そうか。俺も前と比べたら幸せだな」
「えへへ…」
小豆がしたいと思うお礼の量が明確に増えているので彼女の差し出す物の候補が減ってゆく。自分が買ったり作ったりできるものがなくなる前にお礼をしないといけないので、小豆は焦燥に駆られてありがちなワードで検索した。
この辺はめんどくせぇと思います。優しいだけじゃダメ、でも何かを提案すると文句を言ってくる人っていますよね。じゃあお前がやれや!って思うんですけど、それじゃダメなんですよね。だからこそ思考力とか発想力を成長させてくれると思えばよく捉えられるかもしれませんが、ストレスでやばくなりそうですね。




