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第7話 地下にて目覚める淫欲の小悪魔 その2

本日7話目です。


「『ピンクシュート』!」


 高らかに響く理沙(りさ)の声と共に、右手の人差し指の先に灯った桃色の光がハートマークに形を変える。

 奇しくも少女の白い下腹部に刻まれた紋章に似た輝きは指先を離れ、飛び掛かってくるゴブリンの――脇を掠めて虚空を(はし)った。


「外したッ……キャッ!?」


 身体からスーッと熱が抜ける感覚と桃色の弾丸を外したショックのあまり意識に一瞬の空白。そしてすぐに上半身に圧。

 重力に逆らうことができずに後退し、途中で石畳に踵が引っ掛かって尻もちをついた。

 剥き出しの臀部から広がる痛みと石畳の床から伝わってくる冷たさに顔を顰め、迂闊にも目を閉じてしまう。


「何……って、ええ、ちょっと!?」


 あわてて目蓋を開けると――すぐ間近にゴブリンの顔があった。

 頬にゴブリンの臭い吐息と粘着質な感触――舌と唾液を感じる。どれもこれもひどく臭い。


「嫌っ……いやぁっ!」


 地下21階でオークに襲われた記憶がフラッシュバックして少女は半狂乱。

 金髪ツインテールを振り回し、めったやたらと身体をバタつかせてゴブリンを押しのけようと暴れまわった。

 醜悪な小鬼は少女の反抗を物ともせず、矮躯に比して大きな左手で理沙の右腕を押さえ、右手のこん棒を高く振り上げている。

 理沙とゴブリン、襲われる者と襲う者。地下深く、ダンジョンの薄暗い通路にて互いの視線が交錯する。


――殴られるッ!


 咄嗟に空いている左腕で頭を庇い、再びきつく目蓋を閉じる。

 しかし――予想していた衝撃はいつまでたっても訪れない。

 それどころか……いつの間にやら上半身の圧し掛かっていた重みも消えている。


「え?」


 うっすらと瞳を開けると、そこに広がっていた光景は予想外のもので。

 なんと、2匹のゴブリンが互いに取っ組み合っているではないか!

 片方は先ほどまで理沙の上にいたこん棒ゴブリン。そしてもう片方は――後を追いかけていたゴブリン。


「……同士討ち?」


 小さな唇から思わず声が零れた。

 辛うじて上体を起こした理沙と同じ高さの視線を持つモンスター。

 その瞳にはピンク色のハートマークが輝いている。


――あのマーク……この状況……ということは!


 モンスターに押し倒されて混乱していた理沙は、ここに来てようやくひとつの回答にたどり着いた。

 こん棒ゴブリンに避けられた『ピンクシュート』が、もう一匹のゴブリンに命中していたのだ。

 そして魅了されたゴブリンは、理沙に襲いかかった同族を敵認定して戦闘に入った。それが、この状況。


「危ないっ!」


 理沙の眼前で――こん棒を持ったゴブリン(敵)が、魅了されたゴブリン(味方)の頭を殴打した。

 ハート目のゴブリンは頭を押さえつつ、凶器が目に入っていないかのように前進を続ける。

 しかしその身体は既にボロボロ。大きく開け放たれた口からは紫色の(よだれ)が垂れ落ちており、どう見ても正気でない。


「あ……えっと……」


――どうすればいいの!?


 尻もちをついたまま後ずさりながら理沙はとっさに思考を走らせる。

『ピンクシュート』は発動している。ゴブリンは魅了状態に陥っている。

 しかしこん棒を持ったゴブリンは、いまだ健在。

 武器持ちは理沙を脅威と認めていないようで、少女に背を向けたまま突然錯乱した同族を強かに殴りつけている。

 人間である理沙の眼には似たり寄ったりに見えるゴブリンだが、武器を持っている分だけ明確な戦力差がある。


 こん棒ゴブリンにも『ピンクシュート』するべき?

 ダガーを抜いて2対1で戦った方がいい?

 ここは十字路だから、あまり時間をかけすぎると余所から別のモンスターが来るかも?

 そもそも『ピンクシュート』ってあと何回使えるんだっけ?


 様々な疑問が頭の中をぐるぐると回って方針が定まらない。

 至近距離にモンスターがいる状態で、へたり込んで動けない自分。

 全身が震えて指先すら脳の命令に従ってくれない。

 しかし状況は待ってくれないわけで――


「そいつを倒しなさい!」


 結局まともに動いてくれたのは口だけだった。

 残念なことに、理沙の可愛らしい唇から放たれた言葉は、漫画やアニメでよくある無能な指揮官の妄言に近かった。

 命令が耳に届いたらしいゴブリンは、こん棒を振り回すかつての仲間に向かってやたらめったら接近を試みる。

 そこに知性や理性の類は感じない。


 目の前の二匹のモンスターの戦いは、控えめに言ってもみっともないもので。

 同じ種族で見た目もほとんど変わらない両者の明暗を分けたのは――やはり武器。

 理沙が魅了したゴブリンは素手だった。もう一匹はこん棒を持っていた。ただそれだけの差。

 耳障りなふたつの殴打音は、やがて硬質な音だけが一方的に鳴り響き、そこに粘着質な水音が混じり始め――


「こ、このッ!」


 一方的な蹂躙を前に、理沙の身体が動いた。

 太腿のダガーを抜いて逆手に構え、一足跳びに接近。

 無防備な背中を見せるゴブリンに組み付いて、その首筋に刃を叩きつける。

 不快極まりない感触が全裸同然の肌から伝わるも、歯を食いしばって耐えた。

 得体のしれない熱に浮かされるまま小柄なモンスターを抱きすくめ、必死の思いでダガーを深く深く押し込んだ。

 

 ブシュッ


 こん棒を持っていた方のゴブリンの首から汚液が飛び散った。

 澱んだ紫色の液体は――おそらくこのモンスターの血液。

 汚らしい噴水、その非現実な光景にゴブリンを固定していた理沙の身体から力が抜ける。

 振り向いたゴブリンに突き飛ばされ、理沙は再び尻もちをついた。

 しかし小鬼の枯れ木のような腕にすでに力はなく、虚空に泳ぐ瞳に光はなく。

 呆然としたままの理沙の全身に酷い臭いの汚液をしぶかせながら、程なくして背後に倒れ込んだ。

 命を喪ったと思われるモンスターの身体は光の粒子となって消失し――後にこん棒と鈍く輝く石が残された。


「勝った?」


 囁くような少女の声が通路に響く。


「勝った……勝ったわ、アタシ!」


 両手をぎゅっと握りしめて高く突き上げた。

 腹の底からせり上がってくる興奮が喉を通って唇の間から放たれる。

 感動があった。生存本能に直結した快感が全身を駆け巡る。

 火照った肌に滑る汚液の存在もまるで気にならない。その澱んだ熱すら心地よい。


 命を奪ったことに罪悪感はなかった。

 それは死亡したゴブリンがグロテスクな死体を残さず消えてしまったからかもしれない。

 あるいは――自身に向けられたモンスターの殺気にあてられてしまったからかもしれない。

 命を奪い合う極限状態において、そこに些細な感傷が入り込む余地などないと理解した。


 勝利の余韻に浸っていた理沙は、ふと我に返って石の通路の一点に視線を向ける。

 そこに転がっていたのは――こちらも汚液まみれのゴブリン。焦点の合っていない瞳には桃色の輝きが残っている。

 身体のそこかしこからは紫色の血液が流れ、石畳を汚している。

 息は荒く、だらしなく開かれた口からは泡を吹いている。見るからに死にかけている。


 このゴブリンが理沙からこん棒ゴブリンを引きはがし、そして囮になってくれたゆえの勝利だった。

 それはもちろん『魅了スキル』の効果ではあったのだが……理沙の薄く膨らんだ胸の奥が、桃色の紋章が鎮座する下腹部が熱く疼いた。

 身体の奥に産まれた衝動的な熱情に突き動かされてアイテムウィンドウを開き『ポーション』を選択。

 白い手のひらに実体化したポーションは、コルクで口を閉じられた試験管に入った緑色の液体だ。

 黒猫店長曰く、飲んで良し塗って良しのファンタジーアイテムとのこと。

 床からお尻を上げ、フラフラとした足取りで倒れたままのゴブリンに接近。

 コルクを抜いて液体の半分をモンスターの口の中に注ぎ、もう半分を傷だらけの身体に振り撒いた。

 すると――息も絶え絶えだったゴブリンの傷口から煙が昇り、見る見る間に傷跡は消え去っていった。

 呼吸も、素人目に見てわかるくらいに安定してきている。

 焦点を結んでいなかった瞳は、ハートマークを浮かべたまま理沙を見つめている。


「えっと……ありがと?」


 小首をかしげて控えめに感謝の意を伝えると、小鬼は顔を醜悪に歪めた。

 恐らく喜んでいるのだろうと思われるが、はっきり言って気持ち悪さが増している。

 それでも、このゴブリンが死なずに済んだことにホッとしている自分がいるのだ。

『ピンクシュート』の効果が切れたらお互いに命を奪い合う仲なのに。


「さて……」


 ゴブリンが死んだところに転がっていた石を拾い上げた。

 それはモンスターの肌と同じ汚らしい緑色で歪な形状をしている。


「お約束だと、これって魔石?」


 物語の世界でモンスターを討伐するとどうなるか、パターンは主にふたつ。

 ひとつは死体がそのまま残るパターン。この場合はモンスターの身体に有益な成分が含まれている場合が多く、自分で部位を切り取って持ち帰る。

 もうひとつは死体が消失するパターン。こちらの場合は、どういう理屈かは不明だが身体の部位や装備品がドロップアイテムとして手に入る。

 この新しい世界は後者のパターンを参考にしているようだ。今回のドロップはこん棒。見た目からして売価には期待できそうにない。


 そして、魔石だ。

 大雑把に言えばモンスターをモンスターたらしめている核のようなもの……のはず。

 用途は様々だが、大抵はこれも有用性が高く店やギルドで買い取ってもらえたりする。

 今のところ理沙には使い道が思いつかないが……


「多分あの店で買い取ってもらえるわよね?」


 地下20階に店を構える黒猫商店。その店主の顔が思い出される。

 つい先ほど別れたばかりだというのに、何だかもう懐かしく感じられる。


「で、問題は……」


 見下ろす理沙の視線の先には、目にハートマークを浮かべたゴブリンがいる。

 いつの間にか起き上がってだんだん近づいてきている……と言うか、もう至近距離だった。しかし敵意は感じない。

 その瞳の輝きから察するに、まだ魅了状態は続いているようだ

 ……剥き出しの白い太腿に熱い吐息を感じる。心なしか先ほどよりも興奮しているように見える。

 とりあえずこん棒を渡してみたら……奇妙な踊りを披露してくれた。MP吸われそう。

 イマイチ感情が読みづらい顔をしているけれど、嬉しいのだろうか。

 不思議なダンスの滑稽な動きにクスッと笑いを誘われる。


「……帰ろ」


 このゴブリンに掛けられた魅了状態がいつまで続くのかわからない。

 ほとんど裸同然の全身にモンスターの血を浴びて、今さらながらその粘つく感触と臭いに気が遠くなってくる。

 とてもではないが、これ以上探索を続ける気分ではない。


「今日は助かったわ。じゃあね」


 階段の前で立ち尽くすゴブリンに感謝のスマイルと投げキッスをプレゼント。どちらも無料である。

 いつもならカメラの前でしかやらないような照れくさいアクションだけど、ここに居るのは理沙とちびっこいモンスターだけ。

 他に誰かが見ているわけでもなし。だったら……ちょっとくらいカッコつけてもいいんじゃないの?

 おかしなテンションも手伝って、つい大胆になってしまった。ちなみに頬には薄く朱が差している。


 金髪ロリツインテールに感謝されたゴブリンはというと……これまでにないほどの大喜びで踊り狂い、はしゃぎまわっている。

 たとえモンスターが相手とは言え、ここまで歓迎されると悪い気はしないものだ。

 狂喜乱舞のゴブリンに苦笑しつつ背を向けて、理沙は地下20階へと続く階段を降りた。

 少女の足取りは地下19階に足を踏み入れた時よりも軽く、そして力強さを感じさせる。

 最弱とは言えモンスター相手に勝利したという事実が、これまで逃げっ放しだった理沙に希望を与えてくれたから。


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