第6話 地下にて目覚める淫欲の小悪魔 その1
本日6話目です。
部屋に据え付けられた時計を見ると、午後4時を少し過ぎたところだった。
世界がアップグレードされたのが午前12時。この宿に転がり込んで気を失っていたのが3時間ほど。
ガチャや着替えの時間を除けば、オークに追い回されていたのは正味30分ほどということになる。
「さて、今日はこれでおしまい……というのも、ちょっともったいない気がするわね」
理沙は度重なるイベントのせいでテンションがおかしくなっていた。
とりあえず一泊して気力体力を回復させるのが筋だと理性が訴えてくるのだが、新しい装備を手に入れたら試してみたくなるのがゲーマーという生き物だ。
「外に出るミャ?」
「ええ。ダメかしら?」
「別に止めんミャが、夜の間はモンスターが狂暴化するから早めに帰ってきた方がいいミャ!」
「それはいい情報をありがと」
余裕を持って帰還することを想定するならば、使えるのは1時間程度といったところか。
「ま、何かあったらすぐに逃げ帰ってこられるように、階段の近くで様子見するわ」
「それが良いミャ」
猫妖精の賛同を得られたところで部屋を出る。
階段を降りると様々な商品が陳列された区画が目に飛び込んできた。
その奥にはいくつかの大きいテーブルとカウンターが見受けられる。どうやらあちらは食堂のようだ。酒場かもしれない。
「ねぇ」
「どうしたかミャ?」
「その、これで最期になっちゃうかもしれないから聞いておきたいんだけど」
「縁起でもないこと言うなミャ」
「うん、それもそうね」
「で、何が聞きたかったんだミャ?」
「いえ……何でこんなに親切にしてくれるのかなって」
躊躇いがちに問いかけた理沙。
一文無しのボロボロで押しかけた人間に、ここまで親身になってくれる理由が知りたかった。
「別に大したことでもないミャ」
「そうなの?」
「お客さんが来てくれないと、ウチは商売あがったりだからミャ!」
つまり理沙にはしっかりマネーを稼いでもらって、商店でガンガン買い物したり宿を利用してもらいたい。
黒猫妖精はそう語った。
「ふぅん。まぁいいけど」
「だから気にすることないミャ」
「……でも、ありがと」
ドアノブに手を掛けて外に踏み出した時、背後から可愛らしい声が響いた。
「行ってらっしゃいだミャ! 頑張るミャ!」
その声は、理沙の背中を強く推してくれた。
「行ってきます!」
★
地上と見紛うばかりの光景は、しかし未知のファンタジー技術による偽装。
ここはれっきとしたダンジョンの中、地下20階とのこと。
21階からやってきた方向と逆に進路を定め、道沿いに進む。
頭の左右でまとめた黄金のツインテールがぴょこぴょこ揺れる。
しばらくすると、少女の視界に建築物が映り込んできた。小走り気味に接近し、様子を窺う。
外観はガゼボ(西洋風の東屋)のように見えるが、入り口以外は石造りの壁で固く閉ざされている。
中に足を踏み入れると、そこには螺旋階段が上方に続いている。
「凄い技術だけど……ここまでやるならエレベーターでもつけておいてくれればよかったのに」
益体もない愚痴をこぼしつつ階段を登っていく。
手に入れたばかりのラバーブーツは、しっかりと足を保護してくれており石の階を踏みしめてもまるで痛みは感じない。
壁に手をついてしばらく進んでいくと、階段の先の天井にぽっかりと穴が開いている。
朗らかな空気はいつの間にか消失し、ひんやりした風が露出した肌を撫でる。
理沙は穴を見上げてゴクリと唾を飲み込んだ。
「あの先が……地下19階」
黒猫店長の言葉を信じるならば、そこは魔物が蠢くダンジョンだ。
地下21階で理沙を追いかけ回したオークのような化け物が、手ぐすね引いて獲物を待ち構えているだろう。
小さな身体を支えている脚が震える。あとほんの少しの階段が――地下19階が遠い。
宿を出るときは上げ気味だったテンションは、螺旋階段を登っているうちに段々と萎えていった。
――このままじゃいられないのよ……覚悟を決めろ、アタシ!
両の手で身体をぎゅっと抱きしめる。
ダンジョンに放り込まれたときに比べるとあまりにも頼りない姿。
でも、新たな理であるステータスを信じるならば、きっとあの時よりも今の方が強い。
右の太腿に括り付けられた短剣に指を這わせる。
産まれてこの方15年の人生で、生き物の命を奪ったことは――ある。
でも、それは料理の際に魚の捌いたりとか、そんな程度。蚊とかゴキブリは除く。害虫に慈悲はいらない。
どんなモンスターがいるのかはわからないけれど、自分と同じような姿をした生き物を殺すことができるのだろうか。否、やらなければならない。
大胆に晒された白い肌、その小さな胸に手を当てて大きく大きく深呼吸。
――敵がいたらとにかく魅了。ダガーは最後の手段よ。
プチデビル装備は攻撃力を補正してくれていない。
理沙の攻撃力は結局のところ地上にいたころと変わりなく、少女の細腕と短剣でモンスターと渡り合う自信はない。
最後に白い下腹部に陣取るピンクのハートに指を這わせる。魅了効果を補正するというSSレア装備。
桃色の妖艶な輝き、その脈動を見つめていると……胸の内に溜まっていた重苦しい空気が消え失せてくれたような気がした。
「いくわよ!」
左右の頬を軽く手のひらで張って、理沙は地下19階に足を踏み入れた。
★
まずは頭だけ。
階段に身体の大半を沈めながら蒼い瞳をキョロキョロさせて地下19階の様子を窺う。
幸か不幸か、近くに理沙以外の気配はない。
階段は行き止まりの広間にあるようで、奥に向かって狭い石の通路が続いている。
覚悟を決めて乗り込んだ19階の通路は、左右の壁にぼんやりとした明かりが灯っている。
ほの白い光の間隔は数メートルごと。目視できる範囲は10メートル……いや、15メートルと言ったところか。
光源は炎ではない。もちろん電気でもない。魔法的なナニカと思われる。考えても仕方がなさそう。探索に支障はない。
数歩ごとに背後の階段をチラチラと見つめながら、そろりそろりと通路を進んでいくと――曲がり角。右。
――手鏡があればなぁ。
近接戦闘能力に乏しく戦闘経験のない理沙にとって、角を曲がったらモンスターとばったりという状況は避けたい。
鏡があれば、曲がり角を覗き込むことなく奥の様子を見ることができるのに。
オタク知識に詳しい理沙は、そんな日常生活では役に立たないテクニックを脳内にせっせと蓄えていた。
レディの必須アイテムのひとつである手鏡は21階で失ったウエストポーチの中に入っていたのだ。今更ながら本当にもったいないことをした。
気を取り直して耳を澄ますと――物音はしない。腹をくくって通路に身を投げ出してみるも――何もいない。
ホッと一息ついてさらに奥へと歩みを進める。コツコツと響くヒールの足音。通路の闇が深くなる。十字路だ。そして――
――いた。
十字路のど真ん中に小柄な人影がふたつ。背丈は理沙の腰あたり。
禿げ上がった歪な頭とポッコリと出た下腹部。醜悪な顔と枯れ木のような手足。
汚らしい緑色の身体に纏っているのは粗末な腰蓑だけ。片方はこん棒らしきものを持っている。
――あれ、どう見てもゴブリンよね。
ファンタジーの定番モンスターであるところのゴブリンに酷似している。
ゴブリンと言えば人間の子ども程度の力と知能しか持たない最弱の雑魚モンスター。
しかしその一方で、数を頼みに襲われれば熟練の冒険者でも命を落とすと語られる場合もある。
――強いのか弱いのかはっきりしなさいよ!
理沙との距離は10メートルと少々。二匹のモンスターは互いに顔を寄せ合っている。
闇の蔓延るダンジョンにあってひと際目立つ理沙の容貌――金髪ツインテールと真っ白な肌――に気付いていない。視力が弱いのだろうか。
怖気づいた少女は一度曲がり角のあたりまで後退し、ステータスウィンドウを開いた。
「この『ピンクシュート』ってどうやって使うのかしら?」
ガチャで手に入れたポーションたちはアイテムウィンドウに格納されており、文字を指でなぞると実体化する。
同じフォーマットと考えれば、魅了スキルの『ピンクシュート』も文字をなぞることによって発動するように思うのだが、指先で触れてみても何も起こらない。
「魔法的なものと考えれば、ターゲットを狙って詠唱ってところ?」
ぶっつけ本番で試すのは怖い。
しかし地下20階には理沙と黒猫店長しかいなかったし、店長に魅了スキルを仕掛けるのは憚られる。
敵対行動と取られれば、どんな報復があるかわかったものではない。せっかく友好的な関係を築きつつあるというのに、リスクが高すぎる。
せめて試すのならばモンスターが一匹しかいない時を狙いたいのだけれど、同士討ち戦法は敵が2匹以上いないと成立しない。
「しかも射程5メートルって……」
短い。
子どもだって1秒あれば詰められる間合いだ。
一発目を外したら二発目の前に組み付かれてしまうだろう。
そうなったら理沙の武器は太腿のダガーのみ。
……その後に待っている18禁な展開が容易に想像できてしまう。
「一匹だけこっちに来なさいよ、もう……」
曲がり角から顔だけ出して通路の奥を窺うも、ゴブリン2匹は全く動く気配がない。
後ろに背を向けると、そこは静謐に満たされた通路。階段までは一直線。
冷え冷えとした闇を見つめていると、心の中に微かに灯っていた希望が失われてしまいそう。
――やってやる、やってやるわよ!
最弱モンスター相手に背中を見せているようでは、どの道ダンジョン脱出など儘ならない。
命を、尊厳を賭けなければならない瞬間が今ということだ。
下腹部で鈍く光る桃色のハートマークを撫でる。
次に両の掌を組み合わせ、ピストルを形作る。
『ピンクシュート』のターゲットは1体。狙いをつけるなら形から入った方がいいだろう。
たとえ意味がなかったとしても……心構えの問題である。最善を尽くしたいという思いの表れでもある。
目を閉じて聴覚を研ぎ澄まし、壁に背中を預けて呼吸を整える。
胸の内で鼓動を刻む心臓の音まで聞こえてきそうな静寂の中で、理沙はカッと目を見開いて角から飛び出した。
10メートル……7メートル……
近づいてくる足音に気付いたらしいゴブリンが理沙を視界に収める。
地下にそぐわない美貌の獲物を発見して、醜い顔に喜悦の表情を浮かべる。
小鬼たちは、乱杭歯が映える口から奇声を発して向かってくる。
5メートル……今ッ!
白い指で作られた魔性のピストルを近い方のゴブリン(こん棒持ち)に突き付けて、叫ぶ!
「『ピンクシュート』!」




