第34話 さよならは言わない
地下16階のマップを完成させて地下20階の黒猫商会に帰還した理沙たちは、いつもと同じように宿を取り、いつもと同じように風呂に入った。
広い浴場で一日の汗と汚れを流し、湯船で疲れを溶かす。この風呂は……生きがいだ。
ほっこり暖まって新調された部屋着に着替え、10マネーのフルーツ牛乳を一気飲み。
「「ぷはぁ」」
働きづくめの後の風呂、そして火照った身体にひんやり冷えた甘味と酸味のハーモニー。犯罪的だ。病みつきになる。
10マネーぐらい別に良いかと軽い気持ちで手に取って以来、毎日欠かさず口にしている。
もし一日一本のフルーツ牛乳を我慢できていたら、今頃どれほどのマネー的余裕が……と考えなくもないが、無理なものは無理だった。
爽やかな味わいに満足し、大きく息を吐き出したふたりの顔は、しかし晴れやかなものではなく。
「ふたりとも、もうすぐ晩ご飯ができるミャ」
「は~い」
食堂の方から聞こえる店長の声に理沙だけが答える。
わずかな沈黙ののち、少女たちは互いに目配せをして脱衣所を後にした。
テーブルにつく間もふたりは終始無言。
何となく重い空気を纏ったまま顔を突き合わせていた理沙と瑞希のもとへ、程なくして店長が料理満載のワゴンを押してやってきた。
ドカッと置かれた料理を見て、ふたりは目を丸くする。
「店長、今日はずいぶん豪勢ね」
「特別料金とか払ってませんけど……」
目の前の威容に沈んだ感情は吹き飛び、思わず声が零れた。
鉄の皿の上でジュージューと音を立てる分厚いステーキ。
シャキシャキと新鮮なサラダは、いつもより3割増しで皿から溢れていて。
透明なスープから漂う芳醇な香り、見慣れた感のある焼きたてパンが放つ香ばしい匂い。
そしてワイングラスに注がれた――赤くて透明な液体、その芳香が混然一体となって……
目に耳にそして鼻にデラックスな直撃。少女たちの意に反して、胃が強烈に欲求を主張してくる。
「ミャミャミャ、今日はサービスミャ!」
「サービス?」
問いかけた理沙に頷いた店長は『前祝いだミャ』と付け加える。
ますます持って意味が分からない。訝しげに眉を寄せる。
「本格的に地上に向かうんだミャ?」
何と言うこともない口振りで、黒猫はサラリと言ってのけた。
理沙と瑞希はズバリと切り込まれて絶句し、大きく頭を揺らす。
「言わんでもわかるミャ。寝袋に携帯食、水に薬にカンテラに。しっかり装備も整えてレベルも上げて。準備万端ミャ?」
店長の言葉どおりだった。
幾たびかのトラブルに巻き込まれはしたものの、元々そのつもりで準備を整えてきた。
ここは緊急時に駆け込んだダンジョン内の拠点に過ぎず、ふたりの家でもなければ終の棲家でもない。
いつかは地上に帰る時が来る。それがたまたま今なのだ。
レベル1でロクに装備もなかったころから頑張ってきた。ようやくここまでやってきたのだ。
『Eちゃんねる』の理沙スレにも進展があった。
自衛隊がインプに苦戦しつつも地下14階に到達したという書き込みがあったのだ。
理沙たちが地下16階のマップをコンプリートしたことで、合流がかなり具体的な見込みになってきた。
「本当は地下15階のマップ完成まで待とうかとも思ったんだけど……」
理沙は言いにくそうに口ごもる。
ダンジョンに閉じ込められた少女たちを助けるために突入しているはずの自衛隊の進捗が思わしくない。
魔法を使うインプが出現し始めてから『名無しの自衛隊員(おそらく内藤二曹)』の悲鳴じみた書き込みが目に見えてわかるほどに増えたのだ。
魔法防御力に優れる理沙にとっては雑魚にも等しいインプ相手に自衛隊が苦戦している状況を鑑みると、一刻も早く合流してカバーに入った方が良いように感じられた。
理沙たちが無事に帰還するためには、サバイバル能力をはじめとする技能だけでなく、単純に人手の面から言っても自衛隊の協力が不可欠になる。地上は、本物の青い空はそれほどに遠い。
地上から降りてきた自衛隊から提供された情報と、地下を駆け上がっていく理沙たちの情報を突き合せた限りでは、おそらく地下15階に新顔となる敵はいない。
出現するモンスターは……恐らくゴブリン、犬、ホブゴブリン、そしてインプ。
いずれも理沙たちならば特に問題なく突破できる連中たちだ。
だからこそ、ここで勝負に出ることにした。理沙たち可自衛隊側に大きな被害が出たら、おそらく作戦の決行が遠のくと推測されるから。
「今すぐ出発するってつもりじゃないの」
自衛隊は一度地上に撤収して、装備を揃えて再突入を図るとのこと。突入予定は今から4日後。
理沙たちは5日後に黒猫商店を引き払って地上を目指し、途中で自衛隊と合流する手はずになっている。
「みゃんみゃん」
黒猫店長は理沙の説明を嬉しそうに聞いていた。
「その……いきなりで、ごめんなさい」
「別に謝ることなんてないミャ。リサにゃんたちは帰るところのあるお客さんなんだから、ずっとここに居てはいけないミャ」
「でも……」
店内を見回す。
食堂が併設された商店、その広い空間はガランとしている。
スタッフは黒猫店長ひとりだけ。
客は理沙と瑞希のふたりだけ。
ここで理沙たちが店を離れてしまうと、店長はひとりっきりになってしまう。
それはとても寂しいことのように思えて、後ろ髪が引かれる。
「気にせんでいいミャ……ミャけど、どうしてもって言うのなら、また来てくれたらいいミャ」
「また来る……?」
「そうミャ! リサにゃんたちはお家に帰ったらもう二度とダンジョンには潜らんミャ?」
「それは……ううん、アタシはまたダンジョンに潜る」
「私も潜ります。絶対また来ます!」
問われて即答するふたり。
理沙たちの言葉に『我が意を得たり』と店長は大きく頷いた。
「だったら別に今生の別れと言うわけでもないミャ。堂々と胸を張るミャ」
「うん……うん……」
「ほら、せっかくの料理が冷めちゃうミャ。早く食べるミャ」
「うん!」
いただきます。
理沙も瑞希も両手を合わせて料理に手を付ける。
「このお肉、凄く美味しい!」
「サラダも……パンも美味しいです!」
「そうミャ、そうミャ!」
「おかわり! 今日は思いっきり食べる!」
「すぐ持ってくるミャ! 今日はサービスだミャ!」
「私も食べます!」
「みゃんみゃんみゃん!」
理沙も瑞希も料理を口に運ぶ手が止まらない。
でも……絶え間なく開閉を繰り返す少女たちの口は、いつしか食べることを止めていた。
開かれた唇から言葉が、思いが零れる。
「アタシ……店長に会えてよかった。この店がなかったら、きっと死んでた」
「私も……私もです……」
ふたりは涙を流していた。声が、身体が震えている。
その言葉に嘘はない。あの運命の4月1日。わけもわからないままにダンジョンの深層、地下21階に放り込まれてオークに追い回された。
命からがらたどり着いたこの地下20階でしゃべる黒猫、ケットシーの店長に会えて、休ませてもらってガチャを引かせてもらった。
理沙の冒険はここから始まったのである。日々の何気ない会話、美味しい食事、そして帰る場所の存在は大きな心の拠り所となった。
地下17階で息をひそめて隠れていた瑞希は、ホブゴブリンたちに追われて犬をけしかけられて殺されかけて……そして理沙と出会った。
理沙は黒猫店長のおかげで命を拾い、その縁を瑞希と繋いだ。そうやって手に手を取っての探索行を経て、今この時がある。
長い旅路だった。辛いこともたくさんあったが、思い出すことのできる記憶は楽しいものばかりだ。
楽しいとき、嬉しいとき、ふたりの傍には常にふわふわもこもこの黒猫がいた。胸に熱い思いが込み上げてくる。
剥き出しになった少女たちの肩にポンポンと肉球を乗せる店長の眦にも光るものがあった。
理沙は頭を振り、涙をぬぐった。湿っぽい空気なんて――自分たちには相応しくない。
すかさず黒猫店長を抱きかかえヘッドロックを決める。
「よーし、今日はアタシの奢りよ。店長も飲んで飲んで!」
「みゃ? そう言うわけにはいかんミャ。他のお客さんに示しがつかんミャ」
「他のお客さんとかいないじゃん!」
「それを言われると辛いミャ……ホント辛いミャ」
素に返った店長がガックリと項垂れた。
客がほとんどいない現状が、相当気になっているようだ。
「だーいじょうぶだって!」
理沙は店長の頭をポンポンと叩いた。
「アタシたちが地上に戻ったら、たくさん客を連れてきてあげるから!」
「そうですよ。私たちが帰ることができるってわかったら、きっとたくさんの人がダンジョンに挑むと思います。だって……」
「だって……何ミャ?」
「「だって……アタシたち、今、最高に冒険してる!」」
★
『ダンジョンは危ない。命の危険だってある。なのに……どうしてこんなに楽しいのだろう?』
探索の合間に語り合ったことがある。
ゲームじみたファンタジックな世界だから?
物語の主人公じみた凄い力を貰うことができたから?
どちらも正しくて、でもそれだけではない気がした。
ここはたまたまファンタジーな世界観だったけど……時代劇でもSFでもスチームパンクでも構わなかっただろう。
別にチートが貰えなくとも、ちゃんとレベルを上げれば戦える。
『だったらどうして?』
答えを求めて天井を見上げた理沙は、唐突に理解した。
闇と石の迷宮の先、地上のさらに上に広がる空、その遥か彼方を幻視して思い至った。
ここは最先端だ、と。
自分たちは誰も知らない世界を冒険している真っ最中だと。
現代にだって前人未到の地は存在する。例えば宇宙、あるいは深い深い海の底……
フロンティアは存在する。だけど――そこはあまりに遠い。
地球に生きるほとんどの人間にとっては、目指すことすら、否、憧れることすら憚られる世界だ。
ましてや『冒険』なんて、大半の人間は縁がないままその生涯を終えてしまうもの。
でも、ダンジョンは地上に出現した。世界中のそこかしこに出現した。
理沙たちは元々ただの女子高生(仮)だった。どこにでもいる15歳の少女だった。
特殊なチートを手に入れたかもしれないが、特別にチートを与えられたわけではない。
『声』は『各員の健闘を期待する』と言った。誰もが『ギフト』という超常的な能力に目覚めている。
だから――この『最先端』は、きっと誰にだって手が届く。誰だって『冒険』にチャレンジできる。
ダンジョンは、この新しい世界はそういう場所だ。
『Eちゃんねる』にもダンジョンに憧れる書き込みが溢れている。
たとえリスクがあるとわかっていても、スリルがあってリターンがある。夢がある。
何よりも、多くの人の心に燻るフロンティアスピリットを存分に満たしてくれる。
ゆえに――人はダンジョンに挑むだろう。自らの脚で、自らの意思で。
この流れは誰にも止められない。きっと、この事態を仕組んだ『誰か』にさえ。
目蓋を閉じれば、ありありと情景が浮かび上がる。
ダンジョンの奥に広がる長閑な景色、そこに佇む石造りの店。
アンティークなカウンター、武器や防具が陳列される店内。雰囲気のある食堂。
小さな黒猫が一匹で切り盛りしているその店が、大勢の客でごった返す日々を。
冒険に旅立つ者。帰還する者。仲間を探し求める者や仕事を依頼する者もいるかもしれない。
人々は酒杯を重ね、料理に舌鼓を打ちながら、日々の戦果を競い合い、情報を交換する。
ひと目につかないところでは、いかがわしい賭博が催されているかもしれない。お上にお目こぼしされて。
物語の中でしかお目にかかることのないような、そんな日の訪れは……おそらく遠いものではないはず。
少女たちの帰還は、その未来への第一歩なのだ。
★
そして5日後の早朝。
今までにない緊張感を纏い、地下20階の原っぱで入念にウォーミングアップをする少女がふたり。
肌も露わな衣装に不釣り合いな戦斧を構えた金髪ツインテールの理沙。
もはやいっぱしの剣士としての風格を備えた黒髪ポニーテールの瑞希。
忘れ物はないか何度も見直して、『Eちゃんねる』の理沙スレに出発の書き込み。
自衛隊との共同作業になるがゆえに、互いの動向は常にチェックしておく必要がある。
「リサにゃん、ミーにゃん」
ふたりの背中に店長が声をかけてくる。
このダンジョンにやって来てから、毎日この声に励まされてきた。
理沙が振り向くと、黒いケットシーはアイテムウインドウを開いていた。
「店長?」
「餞別ミャ」
そう言った店長の前に実体化されたのは――ポーションの容器。それが3つ。
「……これは?」
「MP回復ポーションミャ。よそから分けてもらってきたミャ」
「店長!」
以前から理沙はMP消耗について何度となく相談してきた。
敵からMPを吸収する効果のある『BKガントレット』を用意してもらったことで、その問題には片が付いたと思われていた。
ガントレットの効果は不安定で、信頼できるMPリソースを変わらず求めてはいたけれど……せっかく装備を調達してくれた店長の手前、口にすることはできなかった。
でも、店長は察してくれていた。四方八方に手を伸ばして、伝手を辿って、この出発の時に間に合わせてくれた。
「そんな顔をしちゃダメミャ。これは投資ミャ」
「投資?」
そうミャと店長は胸を張った。
「リサにゃんが言ったミャ? 地上に帰ってお客さんを連れてきてくれるって。だからリサにゃん達には無事にお家に帰ってもらわないと困るのミャ」
このMP回復薬は、そのためのアイテムだと黒いケットシーは笑った。
「特別サービスで、ひとつ1000マネーミャ!」
「お金取るんかい」
「当然ミャ! それで……どうするミャ?」
「買う。アタシたち、絶対ちゃんと帰るから。絶対またここに戻ってくるから!」
「その意気ミャ!」
3000マネーを支払ってMPポーションを貰う。
「それじゃ店長……ううん、『さよなら』なんて言わないから」
――胸を張れ、アタシ!
唇から零れかけた言葉を引っ込めて、頭を振った。
仮初の青空のもと、黄金のツインテールが弧を描く。
「ええ!」
隣に並ぶ瑞希も花のような笑みを浮かべた。
ここで口にするべき言葉は、ただひとつ。
「「行ってきます!」」
「またのご利用、お待ちしておりますミャ!」
ゆらゆらと揺れる黒猫の手。その気配を背中に受けて少女たちは地上を目指す。




