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第31話 たとえ始まりは歪でも


 ゴブリンは仰向けに倒れていた。

 オークの一撃を受けて吹き飛ばされた矮躯の魔物、その惨状を前に理沙(りさ)は言葉を失った。

 緑色の身体は半ばまで千切れて毒々しい色合いの内臓がはみ出していた。紫色の液体が後から後から噴き出して石畳に大きな池を作っている。


「何……何なのよ、これは……」


 ゴブリンの傍にぺたんとお尻を下ろした少女は、震える指でウインドウを開き、ダンジョン脱出のために買い集めていたポーション類を次々と実体化させる。

 ポーション、ポーション、ハイポーション……

 手あたり次第ゴブリンの身体に振りかけて、口の中に突っ込んでいく。

 無残に引き裂かれた傷口からシュワシュワと煙が立ち上るも、ゴブリンの身体が治る様子はない。

 だからと言って、その手を止めるつもりもない。


「なんでよ……何で治らないのよ!」


 苛立たしげに声を荒げながら、一心不乱に薬品を投じ続けていると、


「理沙、私のも!」


 フラフラと近づいてきた瑞希(みずき)も自分で確保していた薬を取り出し、理沙と同じようにゴブリンに使用する。

 日頃は前衛同士ライバル意識で張りあうこともあったけれど、心の中では認めていた。

 パーティーメンバーの窮地とあっては黙っていられない。瑞希もまた性根は優しい少女である。

 ひっきりなしに投じられる薬品が傷口に反応しているせいか、ゴブリンは顔を苦痛に歪めている。

 でも――千切れかけの身体は一向に元の姿に戻ろうとしない。ファンタジーアイテムを全力でぶち込んでいるのに。

 理沙の指がウインドウを開いて――固まった。薬が尽きたのである。

 救いを求めて瑞希を見やると、こちらも『どうすればいいかわからない』と言いたげな顔を理沙に向けている。

 おそらく、彼女の手持ちもなくなったのだろう。


「そうだ、店長!」


 途方に暮れかけていた理沙の頭に電流が奔る。

 手持ちの薬で足りなければ、黒猫店長の店で治してもらえばいいのだ。

 幸いここは地下20階への階段に近い。

 前に毒を受けて傷だらけにされた瑞希の身体を治してくれたように、きっと今回も……


「理沙、ゴブリンはお店に入れない」


 瑞希が呟いた。正確には地下20階に入れない。


「でも!」


「私、行ってくる! 薬買ってくるから!」


 理沙の返事を聞くことなく、瑞希は階段に向かって走っていった。

 自身も相当なダメージを負っているはずなのに。

 漆黒のポニーテールが揺れるその背中を見つめていると、うめき声が聞こえた。

 聞き慣れた、ちょっと耳障りな声。


「……大丈夫?」


 仰向けに転がっていたゴブリンがうっすらと目を開けた。

 その小さな手を握りしめながら理沙は問う。


「ぎゃぎゃ」


 弱々しい声だった。

 その動きには見覚えがあった。

 奇妙なダンスだ。意味はわからないが、嬉しいときに踊っていた気がする。


「アンタ、何で逃げなかったのよ?」


「ぎゃ?」


 悲痛な理沙の声に、ゴブリンは踊りを止めて首をかしげた。

 褒められると思ったら怒られた。解せぬ。

 言葉はわからないが、多分そんな感じ。


「怒ってない。怒ってないけど……」


 理沙は思わず目を閉じた。


『なぜこのゴブリンが逃げなかったのか?』


 それはとても理不尽な問いだった。

 答えは簡単。このゴブリンは……魅了スキルで理沙に支配されていたからである。


 そう、このゴブリンの自由意思を奪ったのは理沙自身だ。

 地球がアップグレードした4月1日。初めてダンジョンに放り込まれたあの日。

 自分が生き残るためとはいえ、理沙は魅了スキルを駆使してこのゴブリンを支配し、同族を殺させた。


 その後も何度もスキルを上書きして戦わせた。繰り返し、繰り返し。ただの一日も欠かすことなく、飽きることもなく。

 今日だって地下19階に上がってくるなり、待っていたゴブリンに『ピンクシュート』を打ち込んだ。

 ゆえに『なぜ?』と問うのは筋が違う。少なくとも、理沙が問うて良いことではない。


「なんでアタシを助けるの? アンタにとってのアタシって何なの?」


 それでも問い続けた。未解決の謎があったからだ。

 理沙が魅了スキルを使ったのは、何もこのゴブリンだけではない。

 この2か月ほどの間に数えきれないほどのモンスターを魅了し、互いに戦わせ、殺し合わせてきた。

 そしてそのモンスターたちは、ただ一匹を除き、すべてこのダンジョンから姿を消している。

 なぜなら、彼らはスキルの効果が切れるなり正気に戻って理沙に襲いかかってきたからだ。

 魅了が切れれば敵味方。だから殺し合う。そこに疑問を差し挟む余地はなかった。


 唯一の例外が、このゴブリンだった。


 ずっと胸の奥でモヤモヤしていた。

 このゴブリンは、理沙の魅了スキルによって精神を支配されているだけのモンスター。

 たまたま魅了が効果を発揮したから生かしておいただけ。

 もしスキルが効いていなかったら、互いに殺し合うだけだった。

 今だって無理やりスキルで従わせているだけ。

 いずれ自分たちも他のモンスター同様殺し合う。そう思っていた。


――違う。


 理沙は硬く目を閉じたまま頭を振った。

 眦から零れた涙が頬を伝ってキラキラと流れ落ち、死相を浮かべたゴブリンの顔に弾ける。


 いつの間にか、このゴブリンは自分にとって大事な相棒となっていた。

 朝起きて地下20階から地下19階に足を踏み入れると、奇妙なダンスで出迎えてくれる愉快な仲間。

 きっかけは一方的で強引なものだったけれど、それでも互いに心は通じ合っている。

 そう自分勝手に信じていた。信じて疑うことはなくなっていた。

 だから――


「死んだらダメよ。死んだら……ダメ……」


 目蓋を開くと視界が歪んでいた。もともと不細工なゴブリンの苦痛に塗れた顔が更に酷いことになっている。

 誰かに指摘されなくとも、頭のどこかで理解している。回復アイテムが効かないということの意味。

 ステータスを見ることはできないけれど、このゴブリンは――


「なんで……なんでアタシの代わりにアンタが死ぬの! そんなの絶対許さないんだから!」


「ぎゃ? ぎゃ……ぎゃ」


 胸の内、その奥底から喉をせり上がってきた叫びがピンクの唇から放たれる。

 ゴブリンは理沙の眼前で少し困ったような……見たこともない顔をしている。

 その表情が……心に刺さる。


――諦めたらダメ!

 

「何かないの……何か!」


 理沙はウインドウを開いて血眼になって目を走らせていく。

 自分の気付いていない方法、気付いていないアイテム、気付いていないスキル。

 何でもいい。なんでも……


「……何これ?」


『魅了スキル』に『NEW』の表示があった。

『魅了補正(小)』が発現してから、沈黙を守っていた項目だ。

 おそるおそる指を伸ばして詳細を表示させると――新しいスキルが追加されていた。


――――

『ピンクプリズン』:消費MP10:魂を奪う桃色の牢獄。魂を奪ったモンスターは『スレイブ』として召喚できる。精神抵抗が強いと成功しない。『モンスターカード』は1枚のみ作成可能。

――――


「何これ……牢獄? 『モンスターカード』?」


「ぎゃぎゃ!」


 戸惑い気味な理沙の呟きが聞こえたのだろう、ゴブリンが嬉しそうな声を上げた。


「え……これを使えって?」


「ぎゃ」


 弱々しい声だった。

 もはや命を絞り出しているような声。

 首を縦に振ろうとして、ほとんど動いていない。


「いや……嫌よ……これはダメッ」


 理沙は首を横に振った。

 だって……テキストが不穏に過ぎる。

『スレイブ』という言葉から想起されるのは――奴隷。

 そして魂を奪う牢獄というフレーズ。

 これは絶対ロクでもないスキルだ。使えばきっと後悔する。


「ぎゃ」


 剥き出しになった理沙の太腿に、ぺたりとゴブリンの手が置かれた。

 ほとんど力が籠っていない。

 小さな緑色の掌がぺちぺちと理沙の太腿を何度も叩く。

 命の最期を振り絞って。

 理沙にスキルを使えと訴えかけている。

 例え言葉が通じなくとも、わかる。

 ここまで一緒に戦ってきた――仲間なのだから。


「……本当にいいのね?」


 ゴブリンに向けられた蒼い眼差しに光はない。

 桃色の唇から紡がれるその声に力はない。

 でも――胸の奥に小さな灯がともった。


「ぎゃ」


「本当にいいのね……アタシ?」


 ゴブリンはすでに承諾している。

 足りないのは理沙自身の覚悟。

 じっと痩身矮躯の相棒を見つめる。ゴブリンの澱んだ瞳と視線が絡み合う。

 そこには、桃色のハートマークは浮かんでいない。


 ゴクリと唾を飲み込んだ。

 目を閉じて深呼吸。

 時間がない。こうしている間にもゴブリンの命は失われようとしている。


「わかった。やる」

 

 見開かれた瞳に宿る、強い輝き。

 覚悟を、決めた。

 たとえどんなことになろうとも、その結果を受け入れると決めた。


「ぎゃ」


 ゴブリンはゆるゆると身体を動かそうとした。

 いつものダンスを踊っているつもりらしい。

 もう、その身体は1ミリたりとも動いていない。

 このモンスターに残された命の炎は、もはや消える寸前だ。


 理沙は目を閉じて胸に手を当てた。

 心臓の鼓動がバクバクと鳴っている。

 目を開いて下腹部に手を当てた。

 そこに鎮座している『ピンクハート』が鈍く胎動している。

 両手でゴブリンの手を握りしめ、そして濡れた唇を開いた。


「『ピンクプリズン』!」


 理沙の白い肌に刻まれた桃色の紋章が、今までにないほどに強く激しく明滅しダンジョンの闇を払う。

 ピンクの光に目を灼かれた理沙は、その見えない視界の中でゴブリンの骨ばった手の感触が消えたことに気が付いて、息が止まりそうになった。

 ややあって視力が回復すると……先ほどまでゴブリンを握りしめていた手に、一枚のカードが握らされていた。



 ★



 地下20階から薬を抱えて戻ってきた瑞希が目にしたのは、床に腰を下ろしたまま呆然と宙を眺めている理沙だった。

 その瞳はうつろで、手には見覚えのないカードらしきものを握りしめている。

 世界がアップグレードされて以来、何から何まで訳のわからないことだらけだったが、今の理沙が尋常な状態ではないことだけは理解できる。

 慌てて薬をウインドウにしまい、相棒である金髪の少女に肩を貸して地下20階への階段を降りる。

 店で出迎えてくれた黒猫店長は、理沙の無事を喜び、憔悴した表情に顔を顰め、そして手に持っていたカードを見て、カッと金色の目を見開いた。


「それは『モンスターカード』ミャ?」


「……『モンスターカード』?」


 霞がかった声。ケットシーに向けられる瞳は焦点を結んでいない。

『そうミャ』と頷いた店長は説明を続ける。


「これは契約したり従えたりしたモンスターを閉じ込めたり召喚したりするのに使うのミャ」


 主に『テイム』や『召喚術』といったスキルで活用するものとのこと。

『そういうスキルもあるのか、あるのだろうな』とまともに働かない頭のどこかで納得した。

 

「でも、リサにゃんのはちょっと違うみたいミャ」


 理沙の手からカードをもぎ取ってじーっと睨み付けていたケットシーはそう付け加えた。


「違う……って?」


「このカードはリサにゃんにしか扱えないミャ。自分で見てみるといいミャ!」


 店長に手渡されたカードを蒼い瞳がじっと見つめ、そして念じる。


――――


 名 前:

 種 族:ゴブリン

 年 齢:5

 職 業:理沙の奴隷


 身 長:75センチ

 体 重:45キログラム

 体 型:????


 ギフト:????

 スキル:技能・槌

     言語理解(人間)

     生存欲求

     身体強化(小)


 レベル:9

 H P:1/80

 M P:1/20


 攻撃力 :65

 守備力 :35(+5)

 素早さ :30

 魔法攻撃:10

 魔法防御:20

 運   :55


 装備品:下 半 身:粗末な腰蓑

     武   器:大きすぎる棍棒(攻撃力+45 素早さ-5)

     武   器:棍棒(攻撃力+20)


――――


「何よ……アタシの奴隷って」


 理沙の声は震え、涙に濡れている。口をついて出るのは悲しみと怒りの感情。

 何となく予想はついていたけれど……やはりとんでもないスキルだった。

 魅了して意思を奪うに飽き足らず、ついに仲間を奴隷にしてしまった。

 自分のために尽くしてくれたゴブリンの最期がそれでは、あまりに報われない。

 覚悟していたとはいえ、その事実は理沙を容赦なく打ちのめした。


「ひととおり話は聞かせてもらったミャけど、このゴブリンはリサにゃんについていくって自分で決めたのだと思うミャ」


「自分でって……コイツはアタシのスキルで」


「きっかけがスキルだっただけミャ。最初に魅了して、その次の日に再会しても襲いかかってこなかったミャ?」


「それはそうだけど……」


 黒猫の金の瞳に問われて逡巡する。


「最初の日に、スキル以外にも何かやったんじゃないかミャ?」


「そんなの……覚えてないわ」

 

 力無く頭を横に振った。ツインテールが揺れる。

 このダンジョンに落っこちてからの数日は、とにかく必死の日々だった。

 色々ありすぎて、細かいところまでは記憶に残っていない。


「きっと魅了効果はリサにゃんと別れた後に解除されてたはずミャ。そこから後は自分の意思でリサにゃんの傍で一緒に戦いたいって決めたんだミャ」


「そんなこと、アタシに言われても……」


「困るかミャ?」


 黒いケットシーの問いに、理沙は首を横に振った。先ほどよりも強く、そして激しく。

 自分の意思で理沙について来てくれるのだと言われて、胸の中にわだかまっていた黒い靄に一筋の光が差し込んだ気がした。


「ねぇ……コイツ、生きてるの?」


「もちろん生きてるミャ。死んでたらカードにならんミャ」


 理沙の言葉に、店長は首をブンブンと縦に振る。

『ただしアンデッドは除くミャ』などと余計なひと言まで付け足してくれた。


「HPが1しかないんだけど、大丈夫なのよね?」


「魔力を注いであげれば回復するミャ。薬では治せない深手でも、こうすれば死なずに済むってわかってたんだミャ」


 普通のゴブリンではありえない気付きは、習得していた幾つかのスキルによるものかもしれないと店長は分析した。

 さらに『死んで魅了スキルから解放されるよりも、たとえ奴隷になろうとも、理沙と共に戦い続けたいと願ったのだろう』と付け加えた。

 このゴブリンが何を見て、何に駆り立てられて理沙を助けようとしているのか、肝心の理沙本人にはさっぱりわからない。

 でも……自分に向けられたその思いは金髪の小悪魔の胸を熱く焦がす。


「他には? ほかにアタシに出来ることってないの?」


「ミャミャミャ……それなら」


「それなら?」


「名前を付けてあげればいいミャ!」


 もったいぶった黒猫妖精の提案に理沙の涙腺は決壊した。

 膝から崩れ落ちた理沙は声を上げて涙をこぼした。少女の嗚咽が石造りの店内に響く。

 その背中を、これまで沈黙を守っていた瑞希が優しく撫でた。


明日は2話投稿の予定です。

うち1話は掲示板回

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