第28話 ソイツは突然現れた
「ふぅ……」
薄暗い地下迷宮に映える白い肢体は、程よい運動で朱に染まっていた。
肌に貼りついた黄金の髪を指で梳き、額から流れ落ちる汗を拭う。
胸に溜まった熱い息を吐き出しつつ視線を横にやると、漆黒のポニーテールを揺らしている瑞希も好調な様子。
――いい感じよね。
ふたりの少女とゴブリン一匹のパーティーによる地下17階の探索と戦闘にも大分余裕が出てきていた。
『BKシリーズ』を装備し『コスプレ:じゃがーのーと』を発動させた理沙は、MP効率の改善と戦闘能力の大幅な向上を果たした。
『プチデビルシリーズ』に比べて魔法攻撃力と魔法防御力に劣る『BKシリーズ』を身につけることに懸念はあった。
これまで魔法を使うモンスターが出てこなかったことから、魔法防御力の低下については今のところ気にすることではないと軽く考えていたが、問題は――魔法攻撃力。
以前に瑞希を相手に試した『シャドウバインド』の検証で、この数値はどうやら状態異常魔法の成功率にも関わっていることが判明していた。
ゆえに、いざ格上のモンスターに相対したときに『ピンクシュート』や『シャドウバインド』が効かなくなるかもしれないという不安があったのだ。
どちらも理沙にとっては主力と言って差支えない重要な魔法である。攻撃力の高い斧を振り回せるようになっても基本が疎かになるようでは話にならない。
しかし……こちらも現在のところ杞憂で終わっている。地下17階最強と思しきホブゴブリンはじゃがーのーと理沙に魅了されるし動きを封じられる。
「魔法がらみの数値は盛り過ぎだったのかもしれませんね」
魔剣で両断したホブゴブリンの跡から魔石を拾いつつ瑞希が微笑む。
自身のギフトである『生存本能』の効果の不確かさに気落ちすることもある彼女だが、剣士としては着実に成長を遂げている。
もはやホブゴブリン程度なら理沙の援護無しでも問題ない。かつて自身を追い詰めた巨体のモンスターをひとりで斬殺する程の技量を身につけている。
ステータスの数値の問題というよりは、日々の修練の成果が彼女の技能を高めているように見える。
毎朝、理沙が目を覚ます前に店の外で素振りをしていると黒いケットシーが教えてくれた。本人が隠したがっているようなので、今のところは気づかない振りをしている。
「そうかも」
瑞希が援護無しでホブゴブリンと戦えるのであれば、ますます理沙が後方で待機している理由がなくなる。
前衛3人体制は前のめり過ぎるのではないかと思わなくもなかったけれど、現状のところうまく回っている。
今もホブゴブリン3匹が率いる群れをふたりと一匹で掃除し終えたところだ。ほぼノーダメージで。
「ぎゃぎゃ!」
大棍棒を担いだゴブリンも瑞希に同調するように奇妙なダンスを踊っている。
瑞希の急成長に気を取られがちだが、この小鬼も最初に出会ったころとは比較にならないほど力を増している。
どちらも頼れる仲間であることには変わりない。むしろ、理沙が置いて行かれないか不安に思うほどだ。
「MP消費も大したことなし。上手く行きすぎてて怖いくらいだわ」
時折魔法を使うことはあるが、その分だけ『BKグリーブ』の効果であるMP吸収の発動で回収している。
それほど安定して吸収できているわけでもないとは言え、地下17階の敵を相手にするぐらいなら支障はない。
「マップももうすぐ出来あがりですよね」
「ええ」
地下19階と地下18階を往復するのに合計4時間かかるので、地下17階の探索は1日当たり実質4時間。
これまでのフロアよりも日数はかかっているものの、戦闘経験を積むために何度も足を運んできた結果、おおむね地図も埋まってきた。
バトルに躓くことなく、埋めるべき地図が完成に近づいてきたということは――
「次は地下16階?」
「ええ」
瑞希の声に頷く。振り向けば、じっと天井を見つめる黒い瞳の奥に揺れる危惧の色が見て取れた。言わんとするところは理解できる。
この調子で地下16階に挑むとすれば、そこで滞在できる時間は1日約2時間。
フロアの面積が地下17階までとほぼ同程度と仮定すると、マップを埋める作業だけでも相当な日数を取られてしまうことが推測される。
さらには――
「地下15階より上は……」
「日帰りは無理……よね……」
「ではダンジョン内で野宿?」
理沙は首を縦に振った。見つめてくる瑞希の表情は、どこかしら不安げである。そんな顔をする気持ちはわかる。理沙だって同じだ。
各階層の踏破にかかる時間、その数字を単純に足し合わせていけば、地上へたどり着くためには途中で休息を挟まなければならないことは明白。
しかし……キャンプ地として想定されるのは、薄暗い通路と硬くて冷たい石畳で構成される地下迷宮。
お風呂とご飯とフカフカベッドが付いた安全な黒猫商店とは違いモンスターが徘徊するダンジョンである。好き好んでこんなところで野宿なんてしたいと考える15歳の女子などいない。
いざ実際に、敵影に怯えながら石畳の上で休息するシチュエーションを想像すると……頭痛がする。
「なんかこう……地下20階にワープできるアイテムでもあればいいのに」
「そんな都合のいいアイテム、あるんですか?」
ピクリと眉を動かす瑞希。
彼女はゲーム的な事情には詳しくないので、そのあたりのさじ加減というか風土とでも言うべきアレコレがわかっていない。
「わかんない。でも、あったら店長が勧めてくると思う」
「ですよね」
ゲームだとダンジョンには中断用のセーブポイントが設置されていることが多い。
理沙の両親が子どもの頃には理不尽な長さのダンジョン(中断不可)を擁する作品は普通にあったらしいけれど、21世紀のゲームでそんなダンジョンがあったらクソゲー扱い待ったなしである。
ではこのリアルダンジョンはどっち寄りの構造なのか……
「便利アイテムはありそうな気がするんだけど……期待しすぎるとなかった時のショックが大きいのよね」
「それは確かに」
「とりあえず、地下15階に挑む前に地下19階か地下18階で宿泊訓練もしましょうか?」
あるかどうかも定かでないアイテムに期待するよりも、実際に配られている手札をいかにして活用するかを優先する。
金髪ツインテールの少女が打ち出す探索計画は、概ねこの地味な思想に基づいている。
「理沙はそう言うところ、凄くマメよね」
「命懸ってるから」
「あ、別に悪いつもりで言ったわけじゃないから。私、いつも理沙に助けてもらってばっかりだし」
ポロリと零れた自分の言葉を失言と感じたか、瑞希が慌てて言い繕ってくる。
「アタシも瑞希に助けてもらってるからおあいこだし」
ホブゴブリンの魔石を袋に入れて、微笑む。
今日の稼ぎもなかなかのもので、装備品を新調した分の穴埋めは早々に叶いそうだ。
強くなれば儲けも大きくなる。そして稼いだお金でさらに強くなって……RPGの基本ルーティンである。
「もちろん、アンタにも助けられてるから」
踊りまわっているゴブリンに声をかけると、小鬼は顔をくしゃくしゃにして喜んだ。
その姿を見て瑞希も顔をほころばせた。最初にこのゴブリンを見た時のような警戒心はすでになく、頼りになる相棒としてすっかり打ち解けている。
ひとりと一匹の微笑ましい姿を見て頬を緩ませた理沙は、アイテムウインドウから黒猫商店で買った懐中時計を取り出して時間を確認。午後2時半。
「そろそろ戻りましょうか」
「え、もうそんな時間ですか?」
瑞希にも時計を見せると納得したように頷いた。
ここから歩いて地下20階に戻るとなると、今から帰っても到着は午後5時ごろ。
「ところで、ちょっと気になってたんですけど」
ふいに瑞希がそんなことを言いだした。
「何?」
話の先を促すと、瑞希は髪を弄りながら言いにくそうに口ごもり、そして――
「時間を確認したいだけなら、『Eちゃんねる』の書き込みを見ればわかるんじゃないかなって」
適宜書き込みを行いタイムスタンプをチェックすれば、現在時刻は容易に知れるのではないか。
ゲームにもインターネットにも詳しくない黒髪の少女は、そう指摘する。
「……あ」
★
地下19階に降りるなり脳裏に警鐘が響く。
一行の中では最も鈍い理沙でも、すぐに気が付いてしまったほど。
思わず身を固くして息を潜める。久しく忘れていた。ここが危険極まりないダンジョンであることを。
「これは……」
ただ事ではない雰囲気を敏感に察した瑞希は、モンスターの姿を目にしたわけでもないのに腰に佩いた魔剣に手を伸ばしている。
「ぎゃ?」
ゴブリンも落ち着かなさげな仕草できょろきょろとあたりを見回している。
「……静かすぎるわね」
理沙の小さな唇から零れた言葉に、瑞希も頷く。
大胆に露出した肌にピリピリとひりつくような感覚を覚える。
地下19階と言えばゴブリンが散発的に出現するだけ。
今の理沙たちにしてみれば、ほとんどスルー上等のフロアである。
こんな異常な――そう、異常な緊張感に包まれていることはない。
重い。空気が重いのだ。まるでふたりと一匹の身体に圧し掛かってくるよう。
「どうしたのでしょう、これ?」
「わからない。わからないけど……店まであと少し、気を抜かずに行くわよ」
「ええ、そうね」「ぎゃ」
理沙もバトルアックスを強く握りしめつつ一同に警戒を促す。
金髪少女よりもずっと鋭い感覚を持つひとりと一匹は素直に頷いて、戦闘態勢のまま歩みを進める。
いつもよりずっと気を張ったまま、いつもよりずっとゆっくりと地下20階への階段に向かった一行は――目的地の直前で足を止めた。
黒猫が待つ地下20階へ降りる階段の真正面。いつもならゴブリンが理沙たちを待っているそこに『ソイツ』はいた。
黒い肌。理沙たちよりも、ホブゴブリンよりも高い背丈。全身を守る分厚くて鈍重そうな肉の鎧。
豚に似た凶悪な顔立ち。左目には大きくひっかき傷があって目玉は醜く潰されている。
「……ッ!」
理沙は――その姿に見覚えがあった。
気が付けば全身が震えている。鳥肌も立っている。
初めてこのダンジョンに放り込まれた、あの4月1日の記憶が蘇る。
まだ無力な少女に過ぎなかった自分を散々に追いかけ回し、弄び、そして何もかもを奪おうとした怨敵。
「オーク……どうして……」
地下21階の住人であるはずのオークが、なぜか地下19階にいる。
しかもあの目。潰された左目は……きっと理沙を追い詰めた個体だ。間違いない。
バトルアックスを握りしめた両腕に力が籠り、全身が強張る。精神の均衡が乱れる。緊張に加え恐怖が入り混じる。
理沙の態度を怪訝に思った仲間たちに気遣う余裕もなく、金髪のじゃがーのーとは階段前に座するモンスターを蒼い瞳で睨み付けた。
少女の視線を感じ取ったのだろうか。
巨大な肉切り包丁を肩に担いだ隻眼のオークは、かつて取り逃がした獲物を見つけてニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。




