第25話 地下17階への挑戦 その2
『シャドウバインド』という魔法は実に有用である。
それが初めてこの魔法を使った時の率直な感想だった。
効果はシンプルで、敵の影から出現した鎖で相手の身体を拘束するというもの。
射程が10メートルというのも良い。
同士討ちを狙える魅了スキル『ピンクシュート』の方が効率的にモンスターと戦えるように思えるが……残念なことに『ピンクシュート』の射程はたったの5メートル。
5メートルと言う間合いは外すと敵に懐に入られる危険性がある距離だ。近接戦闘能力に難のある理沙にとっては、『ピンクシュート』に頼り切るのは怖い。
ゆえに、最近では『シャドウバインド』の使用率が激増している。
何度か使っているうちに気が付いたのだが、この魔法には少し変わった特徴がある。
あまり深く考えずに発動させると、影の鎖はターゲットをぐるぐる巻きに拘束する。
しかし、発動時に理沙が具体的なイメージを伝えると、拘束のカタチが変わるのだ。
同じMPを消費している以上、一回の魔法発動における全体的な拘束力自体は変わらないはず。
だったら……無作為に全身を縛り付けるよりも、部位を狙って小さく拘束した方が強度が増すのではないか?
思いついたら実践あるのみ。いきなり実戦に投入するのは勘弁願いたい。
小柄なゴブリン相手では思うようなデータが得られなかった。ホブゴブリンに試すのは躊躇われる。
と言うわけで白羽の矢が立ったのは瑞希。
渋る彼女に頭を下げて了承を貰い、何度となく魔法を試行してみた結果、この思い付きが正しかったことが判明した。
だから――大柄なホブゴブリンを相手にするならば、全身を拘束するのではなく身体の一部を強力に縛る方がいい。
具体的には足を縛る。片足でいい。
突進し始めたホブゴブリンの片方の足を拘束できれば、あとは勝手に転倒するのだから。
勢いをつけたまま石畳に顔面から突っ込んだホブゴブリンは、何が起きたか理解できていない模様。
顔面を強かに打ちつけた痛みにもだえ苦しみ、ヘヴィな咆哮で地下17階の空気を震わせた。
しかし、巨体のパワーで床に転がったまま暴れまわっても、足を縛る影の鎖は壊れない。
残る一匹のホブゴブリンが動き始める前に、雑魚を討ち果たしたゴブリンが転倒したホブの頭に棍棒を叩きこもうと振りかぶり――
「ガッ!?」
振り下ろされた棍棒は――床に転がったままのホブゴブリンの左の手のひらに掴まれていた。
慌ててこれを振りほどこうとするも、地力では敵の方が上回っているようで、ゴブリンの身体が棍棒を掴んだまま宙を振り回される。
しかも、相棒(?)の窮地を救おうと接近を試みた瑞希に向かって、ゴブリンの小さな身体が投擲される。
不意を突かれたひとりと一匹は正面衝突し、お互いにノックダウン。
「ううッ……」
『シャドウバインド』が解除されたホブゴブリンと、後ろに控えていたもう一匹が理沙に狙いを定める。瑞希とゴブリンを無視するつもりのようだ。
前衛同士で2対2の状況になれば自分たちが有利であると判断し、後ろからおかしな魔法を放ってくる人間のメスの方が煩わしいと考えたのだろう。
間合いを詰めていた方のホブゴブリンがそのまま理沙に向かって突進。今度は足を縛られないよう慎重になっているように見受けられる。
その証拠に歪な眼差しは理沙ではなく自分の足元を注視しているし、突進速度もこれまでよりもずっと遅い。
だから、そのホブゴブリンは気づかなかった。
獲物と定めた少女が左手の指先を自分に向けていることに。
黒いラバーに包まれた指先に桃色の光が宿っていることに。
大きすぎる自らの身体が格好の的になってしまっていることに。
「『ピンクシュート』!」
少女の声が耳朶を打った次の瞬間、ホブゴブリンの意識は耐えがたい快楽に翻弄され、搔き乱され、そして――
★
「面目次第もございません」
階段に戻るや否や、瑞希が見事な土下座を披露した。
その隣ではゴブリンも彼女の真似をして床に額を擦りつけている。
ふたりが謝っているのは、言うまでもなく『シャドウバインド』で拘束したホブゴブリンへの追い打ちの件。
優位を取ったはずの状況を一撃で引っ繰り返されて、後衛の理沙を危機に晒した。
前衛を任せられたひとりと一匹にとっては猛省するべき状況である。
「別に怒ってないし。次に同じことを繰り返さなければいいじゃないの」
「そう……ですか?」
瑞希は釈然としない様子だ。
『次』などと悠長なことを言っていられるのは、安全が約束されている人間のみ。
ひとつの間違いが全滅に繋がるダンジョン探索では、『次』がある保証などどこにもないのだ。
そのあたりは理沙も重々承知してはいるけれど、だからと言ってせっかくの勝利に水を差すのもどうかという気もしている。
あまり細々と説教を繰り返していては、テンションもモチベーションもガタガタになってしまう。長期にわたるダンジョン探索や狭い人間関係を鑑みれば、そっちの方が余程怖い。
瑞希もゴブリンも今回の件については深く反省しているのだから、これ以上責めたところで良いことなど何もない。
「ええ。ほら、結果的にほとんど無傷だったし」
先ほどのバトル自体は勝利に終わった。
理沙の『ピンクシュート』で魅了されたホブゴブリンが、もう一匹と殴り合っている隙に、瑞希が正気のホブを背中からバッサリ。
残されたホブゴブリンも、目にハートマークを浮かべながら瑞希の剣とゴブリンの大棍棒によってその命を散らせている。
巨体のモンスターが自らの死の間際まで恍惚とした表情を浮かべていたのが良くも悪くも印象的だった。
スキルの効果とは言え、自身の魅了にそこまでの力があることに15歳の少女は我が事ながら戦慄した。
「でも……その分MPをかなり消費しましたよね?」
「それはまあ……そうなんだけど」
少女はポリポリと首筋を掻いた。そこを突かれると辛い。
バトル前に『ピンクシルエット』を発動し、『シャドウバインド』と『ピンクシュート』を一回ずつ。合計でMPを15も消費している。
レベル8の理沙のMPは装備補正込みで最大でも50しかない。
この調子で魔法を使い続けていたら3連戦でガス欠を起こす。
後衛寄りの中衛として魔法やスキルに依存しがちな理沙にとって、MP切れは致命的な問題だ。
「こういう時、普通はどうするんですか?」
「普通と言われると困るけど……MP回復用のアイテムがあったり?」
ゲームに詳しくない瑞希に問われて答えるものの、現在のところ、それらしいアイテムは見つかっていない。
黒猫商店にも売り出されていない。店長曰くMP回復アイテム自体はあるらしい。まだ入荷していないだけ……入荷時期は未定とのことだった。
「今回の件を置くとしても、長期の探索にMP運用の問題はついて回るのよね……」
思わずため息を漏らす。これまで目を逸らしていた部分である。
地下19階および地下18階には強敵がいなかったので、初期はともかく最近ではゴリ押しでMP消費を節約できていた。
理沙の鞭と瑞希の剣、ゴブリンの大棍棒が加われば敵なし状態だった。
でも――この地下17階からは、戦い方を改める必要がありそうだ。
「MP消費をケチってピンチに陥るってのもダメなのよ」
戦闘中のMP消費を厭うた結果、HPが削られて戦闘終了後に回復魔法を連打。
結果として、より多くのMPが失われる。RPGあるあるだ。
……理沙たちの中に回復魔法の使い手はいないのだが。
「そうですよね」
わかっているのかいないのか、瑞希はうんうんと頷いている。
なお、黒猫商店には投擲武器も売り出されているので、これを大胆に投入するという手も考えた。
MPの代わりにMPがゴリゴリ削られる作戦だ。
遠距離から安全に戦えるならいいじゃないと言いたいところだが……理沙パーティーの主力は近接アタッカーで、揃いも揃って『技能・投擲』を所持していない。
スキル面の問題を置くとしても、稼いだ分だけ消耗品代として飛ばしてしまうと遠からず足止めを食らうことは明白で、そうでなくともアイテムウインドウを圧迫しまくってしまう。
今のところは念のために瑞希が投擲用の短刀を何本か備えておく程度にとどめている。
「あれこれ考えるのは後にして、今はまず地下17階に慣れましょう」
「そうですね……」
困ったときは問題の先送り。
マネーさえあれば地下20階の黒猫商店で問題なく暮らしていける。
レベルを上げていけば、そのうち魔法無しで地下17階を突破できるようになるかもしれない。
「レベルを上げて物理で殴れ……か」
身も蓋もない現実であった。
魔法系後衛としてはあまり認めたくない。
……何か大切なものに負ける気がするのだ。
「確かに。レベルを上げておいて損することはありませんよね?」
「……まぁね」
理沙の呟きを異なる意味に捕らえた瑞希。彼女の反応を否定はしない。
黒髪の少女剣士はそのフレーズが気に入ったらしく、小さな声で繰り返している。
――これは……一度きちんと話をした方がいいかも。
『レベルを上げて物理で殴れ』……そこには確かに一面の真実がある。
技術も戦術も戦略もへったくれもない、圧倒的にシンプルなバトルの真理と言ってもいいかもしれない。
ただ、相棒である少女剣士がいきなり脳筋になられると、ちょっと困る。悲しみ。
ステータスウインドウを開いてMPの値を確認し、軽く両の頬を挟むように叩いて気持ちを切り替えた金髪の小悪魔が腰を上げた。
その動きは軽やかで、瑞希もゴブリンも魅入ってしまっている。
「それじゃそろそろMPも戻ってきたし……もう一戦行ってみる?」
元々はバトル一回で撤退する予定であったのだが、ホブゴブリン2匹を相手にほぼ無傷で勝ててしまった。
これは地下17階でも十分戦っていけるのではないかという思いがむくむくと首をもたげてきている。
引き際を誤ってはならないことは重々承知している。
だけど……今から地下17階に再挑戦するのも、引き返して日を改めるのも、あまり変わらない気がするのだ。
「ハイ!」
「ギャウッ!!」
瑞希もゴブリンも戦意は十分。むしろ先ほどの失態を取り返そうと気合が入っている。
そんな仲間の様子を頼もしく思いつつ、理沙は地下17階へ階段を登っていく。
少しずつ、ほんの少しずつでも前に進んでいるという実感が、希望となって道を照らす。
その明かりは儚くて小さくて、しかし強く激しく燃えさかる可能性を秘めた炎でもある。
決して途絶えさせてはならない。そのためにはどうするべきか?
少女たちは――すでに答えを得ている。




