第24話 地下17階への挑戦 その1
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「緊張してる?」
「ええ……」
理沙の問いに神妙に頷く瑞希。普段は足元をウロチョロしているゴブリンも、今はどことなく身を固くしている。
「実は、アタシも」
緊張をほぐすつもりで話しかけたものの、瑞希の表情は晴れない。
理沙も何となく気分が落ち着かない。高揚しているわけではない。
周囲に敵影が見当たらないことを確認して、ことさら丁寧に準備運動。
暖気が済めば戦えるようになっているはずと己に言い聞かせる。根拠はない。
ただ……他に出来ることがないのは確か。戦い方については事前に相談が終わっている。
隣の瑞希も、そしてゴブリンも理沙に倣って柔軟体操を始めている。
ふたりと一匹は出会いの地――地下17階に再び足を運んでいた。
★
経験則ではあるが、地下19階と地下18階にはゴブリンしか出現しない。
ふたつのフロアの違いは一回の戦闘あたりの出現個体数。
地下19階では基本的にゴブリンは単独で出現する。稀に2匹現れることもある。
地下18階では最低でも2匹で、多いときは10匹にも及ぶ場合がある。
理沙たちはまず地下19階でモンスターとの戦いに慣れ、そして地下18階で集団戦闘の訓練を積んだ。
パーティを結成して人数が増えたからと言って、単純に戦力が増強されるわけではない。
前衛を務める瑞希とゴブリンが横並びになれば、理沙はその奥に手を出すことが難しくなる。
これでは、せっかく3人編成なのに、実質的には2人編成の頃と変わりない。
味方同士でお互いに戦力を把握し合い、アイコンタクトを通じた意思疎通の訓練を積極的に取り入れる。
より効率的なフォーメーションや戦術を模索する日々が続く。黒猫商店に戻ってからは眠気がやってくるまで毎晩ミーティングだ。
敵が弱いゴブリンだらけであるがゆえに、余裕を持って様々な戦い方を試すことができる。
度重なるトライアンドエラーによって、一行の総合戦力は飛躍的に増大している。
もちろん並行してマネーを稼ぐことも忘れない。
瑞希を助けた戦いで使い切ってしまったポーションの補充は、回復魔法を使えない一行にとっては最優先事項のひとつ。
他にも、これまであまり気にしていなかった毒物への対策アイテムなど、買い揃えるべきものはたくさんあった。
逸る気持ちを抑えつつ、地下18階で数日の足踏みを経て――ようやく理沙たちは地下17階にチャレンジすることに決めたのだ。
★
「敵は……いないようです」
闇が支配する通路の奥を睨みながら、瑞希が呟いた。小さくて、よく透る声。
剣士の少女がパーティの中では最も感知能力が高い。次にゴブリンが続き、一番鈍いのが理沙である。
いつもは凛としている瑞希の声は……しかし今この時に限って僅かに震えており、魔剣を握る手には必要以上の力が込められている。
無理もない。ここは彼女にとってのトラウマの地。
モンスターから逃げ回り、追い回され、殺されかけてから、まださほど時間は経っていない。
それでも瑞希は戻ってきた。
理沙と出会ってから今までの日々は、これから挑む戦いへの準備期間だった。
ダンジョン探索の先達である理沙から支援とアドバイスを受けつつ剣を振るい、腕を磨いてきた。
その成果を発揮するときこそが今であった。瑞希にとっての冒険は今日から始まると言っても過言ではない。
なお、理沙と出会う前に瑞希が目にしてきた地下17階のモンスターに関する情報については、すでに共有済みだ。
まず頻繁に見かけるのは、これまでと同じゴブリン。短身痩躯の醜悪な魔物。
一匹当たりの戦闘能力は地下18階より下層の個体と大して変わらないものの、このフロアでも基本的に集団行動をとっている。
ただ、その生活は怠惰かつ放埓で、理沙たちが連日繰り返してきたような戦闘訓練を積んでいるようには見えなかったとのこと。
次にゴブリンたちが連れている犬。
瑞希曰く、ゴブリンよりも犬の方が厄介らしい。
地上の犬と同じく感知能力(特に嗅覚)に優れており、犬を連れた集団には奇襲を仕掛けることも、逃げることも困難を極めると推定される。
戦闘能力的にも素手のゴブリンよりは上だと、バトルの経験を積んだ剣士は断言した。
鋭い牙と爪、四つ足から繰り出される低姿勢の突進。そしてタックル。
地球アップグレード以前でも、本気で犬に襲われたら危険だというような話を聞いた覚えがある。
最も厄介と思われるモンスターは、もちろん巨大な体躯を誇るホブゴブリン。
身の丈は2メートルに迫ろうかという身体に、ゴブリンとは比較にならない隆々とした筋肉。
大抵は棍棒をはじめとした武器を持ち、知能も他の雑魚ゴブリンとは比較にならないほど高い。
その戦闘能力は――すでに体験済み。あの時は我が身を顧みぬ奇襲を持って重傷を負わせ、大棍棒を奪ったゴブリンに殴られて消失したが……真正面から戦えばどうなるかはわからない。
そして、最大の問題は……
「あの大きなゴブリンは群れの中心的存在ではあるのですが、この階層に一匹しかいないと言うわけではありません」
食堂で瑞希の話を聞いて、理沙は思わず頭を抱えてしまったものだ。
ホブゴブリンは群れのリーダーではあっても、地下17階を支配するボスではない。
再出現を待つこともなく複数の個体が同時に存在しうる、このフロアにおける強敵の一匹に過ぎない。
地上を目指してダンジョンを駆け上がっていくためには、いざという時に素早く撤退するための退路を確保することが必須。
退路を確保するためには概ね階層を踏破してマップを完成させる必要があり、その過程で多くの戦闘が勃発する。
すなわちリポップを考慮するまでもなく複数回ホブゴブリンと戦う――連戦を想定せざるを得ないのだ。
強敵との連戦、そして余裕の勝利。これが叶わないようであれば、地上への脱出など夢のまた夢。
上の階層から地下17階を経て、さらに撤退を強いられるシチュエーション――相当な不利を背負った状態でも、鎧袖一触で蹴散らせるくらいに強くならなければならない。
「出会わなければいい……ってものでもないのよね」
「……ですね」
嘆息する瑞希が――身体を震わせた。
その秀麗な顔に緊張が走る。
「瑞希?」
「来ます! 犬が1……2……ゴブリン多数!」
「ホブゴブリンは?」
冷静に!
胸を押さえつつ、心の中で唱える。
まだ理沙には敵の気配が捕えられない。
ここは――瑞希を信じる。信じて任せる。
理沙がなすべきことは別にある。パーティーリーダーとしての判断だ。
「今のところは……いえ、います。数は1!」
「了解! 後退しつつ迎撃するわよ!」
地下18階へ上がってきた階段からここまではモンスターに出会っていない。
今のところは通路の安全は確保されている。
だったら何故後退するのかというと――これにはれっきとした理由がある。
前述のとおり敵集団は大きく分けて3種類のモンスターで構成されている。
最も素早いのは犬。ゴブリンとホブゴブリンの足の速さは似たり寄ったり。全力を出した状態ならホブゴブリンの方が速いと思われる。
しかし群れのリーダー格であるホブゴブリンは、基本的に配下に獲物を襲わせてから悠然と姿を現すと言う。
だから――後ろに下がる。
するとどうなるか。もっとも足の速い犬が先行し、その後をゴブリンが追いかけてくる。最後にホブゴブリンが続く。
彼らは自身の身体能力によって分断され、各個撃破の対象となる。
この作戦を披露したとき、瑞希はものすごい尊敬のまなざしを理沙に向けてきた。
理沙は頭を掻いて誤魔化したが、本作戦の元ネタはかつて父のコレクションからチョロまかした時代劇の漫画である。
瑞希を不安がらせるのはよくないと思ったので、出典については黙っておくことにした。
いずれはこの地下17階のモンスターも楽勝で撃破できるようにならなければならない。
しかし、それは今ではない。今である必要はない。
少しずつこの階層での戦いに適応し、レベルを上げて能力を高める。
時間はかかるかもしれない。それでも、これが最も安全に強敵と渡り合うための戦い方なのだ。
ぶっちゃけると今日は一回戦ったら地下18階に撤退する予定である。
そのためにも、戦場は階段に近い方が都合が良い。実に合理的な作戦と言えよう。
抜き身の魔剣を握りしめていた瑞希が脚を止めて反転。
振り向きざまに剣を一閃させると、突っ込んできていた犬が上下に切り分けられた。
ブシャッと噴き出す血に怯むこともなく一歩踏み込み、今度は剣を振り下ろすと――後に迫って来ていた犬が左右に真っ二つになった。
隣で大きな棍棒を担いでいるゴブリンにドヤ顔を決めているあたり、前衛同士の間でライバル意識が目覚めているらしい。
初めて下僕ゴブリンを目の当たりにして竦み上がっていた繊細な少女は、もうどこにもいない。
そのゴブリンが棍棒を振りかぶって……叩きつける。
息を切らせて接近してきた敵ゴブリンが、その手に持っていた短剣ごとぐしゃっと潰れて消失。
身体に比して大きすぎる得物にもすっかり慣れた様子で、瑞希と並んでどんどんモンスターをあの世に送っている。
――あれ、アタシの出番ない?
鞭を構えていても狙うべき相手がいない。
パーティーリーダー(仮)としての己の存在意義に疑問を抱きかけたその時、瑞希の叫びが耳朶を打った。
「すみません、ホブゴブリンの後ろにさらに集団。そっちにもホブゴブリンがいます!」
ホブ2、ゴブリン多数。犬多数。
そんなに都合よくはいかないか。
理沙は嘆息しつつ思考を切り替える。
――瑞希もゴブリンも強くなった。雑魚は任せて問題ない。だから……
鞭を振るって下僕の横合いから襲いかかろうとした犬の顔を打ち据える。
キャンと悲鳴を上げて壁際に下がった犬の頭に大棍棒が落とされる。重量感タップリの打撃音ひとつで終了。
普段は何かと反目しあっている瑞希は、ゴブリンのフォローに回り敵集団が付け入る隙を与えない。
ナイスな連携だ。これまでの訓練の賜物と言えよう。
他方、敵からしてみれば、獲物を追い詰めたつもりが逆に手下をどんどん殺されている状況。面白いはずもない。
しびれを切らした群れのリーダー格、巨体の片割れが棍棒を構えて突進を開始。
理沙は――その一部始終を冷静に観察していた。頼りになる仲間のおかげで、戦場を俯瞰する余裕がある。
これぞパーティープレイの醍醐味と言ったところだ。状況は把握済み。仕掛けるべき一手の準備は完了している。
「『シャドウバインド』!」
少女の魔法が発動し、突進してきたホブゴブリンは大きな音を立てて地面に倒れ込んだ。




