第21話 少女の決意
「ん~、これでよし。じゃあ、行ってくるわ」
動画投稿を終えた理沙は、何と言うこともない様に付け加えた。
しかし……その言葉に瑞希は敏感に反応を示した。
目を剥いて、掠れた声で問いかけてくる。間近で見れば、全身が細かく震えている。
「行くって……どこへですか?」
「どこって、もちろん上」
天井を指さす理沙。
黒猫商会の屋上に登るという意味ではない。
「でも、上の階にはモンスターが……」
「地下19階、18階あたりは大丈夫だから」
「……」
なおも無言で見つめてくる瑞希の視線を受けて、軽く肩をすくめた。
「ここに泊まるにしてもマネーがいるのよ」
理沙がこれまで貯め込んできたマネーはほとんど散財してしまっている。
大半がポーション――特に瑞希の傷を癒すために使われたのだ。本人の前では絶対に言わないけれど。
瑞希を抱えて戻ってきたとき、理沙は店長に『この子を頼む』とだけ伝えた。
黒いケットシーは理沙の言葉を守り、瑞希の身体に刻まれていた傷を商品のポーションを用いて癒した。
金髪ツインテールの少女の手持ちで払える限り最大限のポーションを、傷だらけの新顔に遠慮なくブッ込んでくれたのだ。
理沙の懐事情に関しては店長に筒抜け状態になっている。
何故なら――ここには理沙以外に客がいないから。
店の出納簿をつぶさに見つめれば、少女の財布の中身はバレバレだ。
幸いなことに理沙が貯め込んでいたマネーはそれなりに多く、ふたりの身体に傷跡が残ることはなかった。
でも……その幸運と引き換えに残されたのは、ホブゴブリンたちの魔石とドロップアイテムのみ。
店長曰くホブゴブリンの魔石はひとつ100マネー、犬の魔石は10マネーとのこと。
ゴブリン3、ホブ1、犬1だったので、合計で170マネーしかない。
毒の塗られた短剣が100マネーで、ホブゴブリンのこん棒が200マネー。
理沙は短剣を売却してふたりの宿泊費を購っていた。
「ストームバイトを売ってくれたら5000マネーになるミャ」
「ストームバイトのお陰でアタシたち命を拾ったの。売らないから」
「ミャッハッハッハッ」
「ウフフフフフ……」
困惑する瑞希を差し置いて、不気味な笑みを浮かべるひとりと一匹。
「心配しなくても戻ってくるから、あなたはゆっくり休んでて」
なおも引き留めようとする瑞希を置いて部屋を後にする。
これ以上この点について議論する気はなかった。
★
地下19階に登ると、いつものとおりゴブリンが待ち構えていた。
「待たせたわね」
理沙が声をかけると、小鬼は喜び(?)のダンスを舞う。体調はすっかり元通り……に見える。
右手の人差し指から桃色のハートを飛ばすと、ゴブリンは自らこれを受け入れる。
ここまでは定番の流れ。すっかりルーティーンと化している。今さら『ピンクシュート』を躱されると、困る。
「さてっと……」
アイテムウインドウを開いた理沙に不思議なものを見つめる目を向けるゴブリン。
その視線を無視してウインドウを操作すると、ゴブリンの前に大きな質量が現れた。
「それ、持てる?」
ホブゴブリンが使っていた大棍棒を顎で指し、下僕ゴブリンに挑発的な眼差しを向けると、ゴブリンは両腕に力こぶを作ってこれを持ち上げた。
「あら、ほんとに持てるんだ?」
ひょっとしたらという期待を込めてはいたが、まさか装備できるとは……
今さらながらに気付かされたが、理沙が連日連れ回しているこのゴブリンもまた、少しずつ強化されている。
初めて遭遇した時に比べると、お腹が引っ込んで手足が逞しくなってきている。断じて見間違いではない。
「アンタのステータスも見られたらいいんだけど……」
具体的な戦力を知ることができたら、戦いやすくなると思うのだが。
さすがにそれは贅沢というものだった。
「まぁいいわ、今日は軽く流すだけだから。よろしくね」
理沙の言葉をすっかり理解している(ように見える)ゴブリンは、投げキッスの直撃を受け、喜び勇んで駆け出した。
プチデビルの少女は下僕の様子を満足げに眺め、黒革の鞭を片手に鼻歌交じりで後に続く。
地下19階そして地下18階のゴブリンにとっては不幸極まりない、ひとりと一匹の殺戮ショーが幕を開けた。
★
「ただいまー」
瑞希たちが待つ黒猫商店に理沙が戻ってきたのは午後4時過ぎ。
少女が腰に下げた魔石入れの袋が大きく膨らんでいるのを見て、カウンターの黒猫が小さく舌を鳴らした。
「店長ったら、そんな顔してもダメだから。換金お願い」
「わかってるミャ。軽い妖精ジョークだミャ」
理沙が放り投げた袋を器用にキャッチ。
ぶつくさ言いながらも魔石を数える手が止まることはない。
今日の稼ぎは約1000マネーほど。
都合50匹のゴブリンがあの世に旅立ったことになる。
「好調だミャ~」
「お陰様で」
微笑む理沙は上機嫌だ。
新しい武器――大棍棒を担いだゴブリンの活躍は目覚ましいものだった。
これまでは小さな棍棒で何回も殴らなければ倒せていなかったゴブリンの頭を、一撃でカチ割っていったのだから。
後ろから見る限りでは、以前の棍棒に比べると隙が大きくなったように感じられたが、それは理沙が鞭なり魔法なりでフォローすれば問題ない。
ゴブリンの腰には前から持っていた小さな棍棒がぶら下がっており、大小2本の武器を使い分けることができるようになった。戦略の幅が広がったことは大きな前進と言える。
「理沙さん!」
二階から瑞希が降りてきた。
階段の手すりに寄り掛かりながらの頼りなさげな足取りではあったけれど、モンスターに襲われたショックで部屋に引き籠ったりせずに済んだことは、きっと彼女にとってポジティブな流れだろう。
「ただいま、瑞希」
軽く手を挙げて答えたその言葉に、理沙は少なからず驚きを覚えた。
これまでだって店に戻ってくればフワフワモコモコのケットシーが出迎えてくれた。
しかし、今日、今この時。人間相手に返した『ただいま』は、何かが少しだけ違う。
面映ゆくて、胸の内がぽうっと温かくなるような、そんなくすぐったい感覚。
「そんな心配そうな顔しなくっても大丈夫だって言ったじゃん」
「でも……」
顔を曇らせる瑞希から目を逸らせて、
「店長、今日もふたり一泊ずつね」
「承ったミャ。リサにゃんはお風呂かミャ?」
「ええ。汗を流してくるわ。ご飯はその後で」
「装備はどうするミャ?」
「うーん、今日は大丈夫だと思うけど、一応見ておいてくれるかしら?」
「わかったミャ。どうせサービスだから遠慮することないミャ」
「確かに」
そう笑い合って地下の浴場に向かおうとしたところで、
「私も……お風呂に入りたい、です」
ポツリと瑞希が呟いた。
言われてみれば『それはそうだろうな』と納得させられる。
傷を治す際に黒猫店長がある程度はきれいにしてくれたようだが、彼女にはまだ汗やら埃やらがこびりついている。
いや、それ以前の問題として一週間以上風呂に入っていないという状況は、15歳の少女にとって耐えがたいはず。
「だったら一緒に入りましょ」
★
これまで独り占めだった浴場に新しい客が足を踏み入れた。
店の地下に広がるくつろぎ空間は、もはや理沙ひとりのためのものではなくなったのだ。
……別に気にしてなんかいない。
シャワーやら椅子やら備え付けのソープやらの使い方を教えて、それぞれに頭のてっぺんから足のつま先まで丹念に身体を洗う。
理沙も身づくろいには手間暇かける方だが、今日の瑞希はそれを軽く凌駕して見せた。一週間ぶりのお風呂ともなれば当然か。
磨き上げられた瑞希の姿を間近で見せつけられて、理沙は羨望と感嘆のため息を漏らした。
ステータスを聞かされたときに気づいていたが、瑞希は女子としては背が高くスタイルは抜群。
背中の中ほどまで伸ばされたストレートの黒髪は艶やかに煌めいていて。
純和風な整った顔立ちは汚れを落とすと文字どおりの意味で輝いていて。
100人が見れば50人が美少女と答え、残りが美女と答えると思われる、この年頃特有の大人と子供が入り混じった美貌は、理沙の眼にすら眩しく映る。
――これは完璧すぎるでしょ……
日頃は自分のロリ体型にコンプレックスを抱いている理沙だったが、今日はその容姿に感謝していた。
瑞希と同じベクトルで競い合っても勝てる気がしない。生半可なルックスで隣に並ぶと惨めになる奴だ。
金髪ツインテールロリという属性てんこ盛りの理沙であれば、『それはそれ、これはこれ』と納得できる。
「「ふぅ~~」」
ふたりで湯船に浸かって溶ける。
この快楽に勝てる者はいない。
「理沙さん」
「……なぁに?」
快感に我を忘れかけていた理沙に、瑞希は語気を強めて言い寄った。
「私も……戦います」
「……どういう気持ちの変化かしら?」
チラリと横に視線を向ければ、そこにあるのは決意を秘めたマジ顔。
冗談ではなさそうだ。
だから……あえて試すような口ぶりで問う。
「理沙さんはダンジョンの上を目指し続けるんですよね?」
「ええ」
救援要請の動画をアップしたからと言って、地下20階で手をこまねいているつもりはなかった。
「だったら……こんなことを言うのはよくないと思うのですが……」
「まどろっこしいのは嫌いだから、ハッキリ言って」
「万が一かもしれませんけど、やられてしまう可能性がありますよね?」
「……ええ」
事実だった。シビアに現実を見ることができているのは、ホブゴブリンに殺されかけた経験ゆえか。
瑞希は目にしていないけれど、あのゴブリン上位種との戦いではかなり危険なところまで追い詰められた。
今後も同じような窮地に陥ることがないとは言えない。いつ死んでもおかしくないというのが正確な表現だろう。
「私、考えたんです。もし理沙さんに何かがあって、ここに戦えない私がひとりきりになったら終わりだなって」
「……そうね」
戦うことができなければマネーが稼げない。
マネーが稼げなければ宿を追い出される。
それは食料や水の調達ができなくなることを意味していて、行きつく先は――死だ。
数ある死因の中でも、餓死は相当辛い部類に入ると聞いたことがある。
「だったら、私も一緒に戦った方がいいんじゃないかって」
瑞希は頼りになる戦力が傍に居るうちにできるだけ強くなっておきたい。
理沙から見れば地上脱出のための戦力が補強される。
お互いにとってWIN-WINの関係が築けるはずだ。黒髪の少女はそう続けた。
ただし……瑞希が強くなることができればという条件が付くが。
「今の私はただの足手纏いですけど、絶対に追いつきますから」
力を貸してください。
瑞希はそう言って頭を下げた。
「いいわよ」
「え?」
即答した理沙に驚いて、瑞希は顔を上げた。
何を言われたのかよくわからない。そんな顔をしている。
「やる気があるなら大歓迎って言ってるの」
理沙だって最初はレベル1だった。ヒーローでも何でもないザコ、あるいはモブだった。
オークから逃げて、ゴブリンにやられかけて、たまたま勝ちを拾っただけ。運が良かっただけとも言う。
それでも、めげることなく試行錯誤を繰り返し、小さな勝利を重ねた結果として、今のちょっと戦えるようになった理沙があるのだ。
……な~んてカッコつけてみても、積み上げてきた期間はたったの10日ほど。
自分と瑞希にそれほどの差があるとは思っていない。
「ほ、ほんとうに?」
「ええ。でも、多分あなたが考えているよりもずっと危険だと思う。それでもいい?」
「もちろんです! 私、頑張ります!」
「ありがとう。これからよろしくね!」
ふたりの少女は湯船に浸かりながら、互いの拳を軽く打ち合わせた。
白くて細い二本の腕が奏でる水音が、湯気で曇る浴室に木霊した




