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第2話 命からがら逃避行、からの……

本日2話目になります。


 理沙(りさ)は走った。

 黄金のツインテールを靡かせて、薄暗い石の通路をひたすらに駆けた。

 地球アップグレードからのダンジョン生成に速攻で巻き込まれた点は、紛れもなく不運であった。

 気が付けば目の前にオーク。フィクションの世界にあって女性の天敵とも言えるモンスターとの唐突なエンカウントも、もちろん不運であった。

 あえて幸運だった点を挙げるとするならば……理沙がちょうど日課のジョギングの最中だったことだろうか。

 つまり、あらかじめ走る準備ができていたのだ。

 豪奢な金髪は左右に纏められていた。服は上下ともに動きやすいスウェットで、靴は走り慣れたスニーカー。小物はウエストポーチに収納されている。

 もし理沙が身に纏っている衣服が『これからパーティーに参加します』と言わんばかりのドレスにハイヒールだったら、とっくの昔にオークに捕まって(以下自主規制)だっただろう。

 幸運と呼ぶにはあまりにもささやかではあったものの、兎にも角にも幸運であることには変わりはない。

 この世界に神様がいるのなら、神はいまだ理沙を見放してはいない。先ほどの声の主が神かどうかは置いといて。

 まぁ……仮にこの場に誰かがいて、したり顔でそんなことを指摘したら、きっと少女はツインテールを振り乱して『ふざけるな!』と中指おっ立てただろうけれど。


 理沙はひたすらに走っていた。

 仕方がない。突如ダンジョンに放り込まれただけでもアレなのに、いきなり遭遇したモンスターは到底会話が通じる相手に見えなかった。

 進むべき道などわかるはずもないとは言え、背後からは武器を握りしめたオークが迫っている。悠長なことを考えている余裕はない。

 時々左右に脇道らしきものがチラチラと見えるのだけど、そちらに飛び込もうとは思わなかった。

 今走っている通路は割と広い。対して脇道は狭い。ちょうどオーク一匹がギリギリ収まるくらいの絶妙な狭さである。

 そんな暗くて狭い道に足を踏み入れることを、理沙は本能的に拒否していた。

 行き止まりだったり、前からオークが現れて挟み撃ちになったりしたら逃げ場がなくなってしまうから。

 だけど、いつまでもこのままではいられない。

 逃げつつもチラリと後方に振り向くと――先ほどから少しずつオークとの距離が縮まっている気がする。否、気のせいではない。

 

「んもう、豚のくせになんで足が速いのよ!?」


 理沙のボヤキは割と理不尽だった。

 背後から迫るオークは豚面ではあっても、ただの豚ではない。

 見た目は鈍重でも、れっきとしたファンタジー世界の生き物である。

 どこにでもいる15歳の地球人に過ぎない理沙が頑張って逃げたところで、普通に追いつかれてもおかしくはない。

 

「ブフゥ! ぶひぃぃぃぃ!」


 オークの雄たけびに背筋が震える。

 つんのめって地面に転がった理沙の頭上を、巨大な質量が通過する。

 鈍い音が石の通路に鳴り響いた。音の発生源に視線を向けると――ひび割れた壁に長いナニカが突き刺さっていた。

 それがモンスターが右手に握っていたドデカイ刃であることに気付かされた理沙は戦慄する。

 もしズッコケなければ、今頃は……想像したイメージにはモザイク処理が施されていた。


――今、アタシ死んだ! 冗談抜きで死んでた!


 その事実が小さな身体を打ちのめした。

 腰が抜けた。立てない。手足に力が入らない。

 必死に後ずさるも、彼我の距離は縮まる一方で。

 ドスンドスンと近づいてくるオークの威容に心が砕かれる。

 たちまちのうちに、凶悪な豚の魔物は理沙の目の前で屹立する。


「……臭い」


 カチカチと歯を鳴らしながら零した言葉は、オークから臭う汚臭に対する不満だった。

 オークの方はというと、理沙の言葉がまるで通じていないよう。

 捕食者であるモンスターにとって、獲物が何を考え何を語っているかなど、どうでもよいのだ。

 ガタガタ震える人間の少女に悠々と手を伸ばし、そして――


「嫌っ!」


 (おのの)く心を叱咤して、理沙は身体を跳ね上げた。

 少女がへたり込んでいた場所に伸ばされたオークの太い腕を、すんでのところで躱す。

 しかし、完全にオークの魔手を逃れることは叶わなかった。

 再び逃走に身を投じる代償として、ビリビリと布が破ける音が耳朶を打つ。

 スウェットが破れ、ウエストポーチがはじけ飛ぶ。いまだ幼さを残す理沙の肢体が余すところなく晒される。

 日常であれば羞恥に身体を縮こませてしまうところであったが、生憎ここは非日常のダンジョン。

 この程度で済んだことはむしろ幸運と言祝ぐべきところだ。捕まっていれば豚の嫁か豚の餌の二択であったのだから。


 理沙は再び逃亡の人となった。

 しかし――先のような幸運はもう二度と訪れないだろう。

 もはや理沙は何も身に纏っていないのだ。服を身代わりにトンズラすることは叶わない。

 次に捕まったときがジ・エンドであることを骨身に刻み込まれてしまった。

 ついでに言うならば……今のところ理沙が目にした魔物は背後から追いかけてくるオーク一匹だけだが、ごく普通に考えてダンジョンの魔物が一匹しかいないわけがない。前を塞がれても終わる。

 問題はそれだけではない。体力がヤバい。

 すでに手足は重く痺れ、限界以上に稼働している肺も長く持ちそうにはない。

 酸素が不足して頭は締め付けられるような痛みを訴え続けており、思考がまとまらない。

 さらに――進むべき道が、希望が見えてこない。

 ただ一時的にオークから逃れただけで、状況は何も改善されていない。むしろ追い込まれる一方だ。

 背中から押し寄せてくる重い足音。ダンジョンの空気を震わせるその吐息。圧倒的な存在感に息が止まりそうになる。

 でも……それでも、理沙は諦めない。

 オークに怯え屈しかけたあの瞬間、理沙は自らの意志で『終わる未来』を拒絶したのだ。ならばその意志を貫かねばなるまい。

 その一念に突き動かされて逃げ続けた少女の眼前に見慣れたもの――あるいは見慣れないものが映り込んだ。


 広場、壁面、そして階段だ。上に続いている。


 ダンジョンだから階段があることはわかる。

 問題はそこではない。

 今の理沙にとって重要な点はただひとつ。

 階段はとても『狭い』ということ。

 理沙の小さな身体ならば悠々と滑り込むことができるだろう。

 しかし、理沙を追い詰めようとしているオークの巨体はどうだろう?

 

 それは希望だ。希望が理沙の身体に活力を与えた。

 そして小さな獲物を追いかけてきたオークも、金髪の少女から遅れることほんの一瞬で階段の存在に気付いた。

 先ほどまでのような悠然とした足取りではなく、苛立たしげなステップ(と呼ぶには烏滸(おこが)がましい)を踏んで加速してくる。

 理沙が逃げ切るか。オークが理沙を捉えるか。

 ひとりと一匹はそのシンプルな思考に全てを賭けて、そして駆けた。


 10メートル。


 7メートル。


 5メートル。


 理沙の背後にオークが迫る。

 熱量と重圧をすぐ背後から感じる。

 オークの口から漏れる臭い吐息が理沙の耳を、鼻を汚す。

 伸ばされた脂ぎった手が理沙のツインテールを掠めた。

 金糸を思わせる眩い髪が、するりするりとオークを翻弄する。


 あと……3メートル。


 足がもつれる。

 呼吸困難で視界が明滅する。

 

 あと1メートル。


 もう何も考えられない。

 理沙は目蓋をギュッと閉じ、本能のままに身を投じた。


 衝撃。全身に痛み。転がる感覚。痛い。

 永遠のような一瞬。

 そして――

 

「ハアッ、はぁ……ゴホッ……あ、アタシ……生きてる?」


 恐る恐る石畳から身体を起こす。息が苦しい。オーバーヒートした肺がしっちゃかめっちゃかになってしまっている。

 全身から噴き出す汗と素肌に張り付いた砂の不快感に眉をしかめる。

 ひんやりしたダンジョンの空気が火照った身体に心地よい。気持ちよかったり悪かったり……頭の中もメチャクチャだ。


「ブフォッ! ブヒィィィィッ!!」


「ヒッ……」


 背後に振り向くと、そこには――憎々しげに理沙を睨み付けるオークのひしゃげた顔。

 オークの巨大な体躯が狭い階段の入り口につっかえている。力任せに身体を押し付けるたびに、壁から小石がパラパラと零れ落ちる。

 己の慢心によって、目の前に晒された極上の獲物を取り逃がしたモンスターは怒り狂っている。隻眼の狂相の圧力が半端ない。

 しかし――届かないものは届かない。その事実は動かない。シンプルな結果。理沙は勝った。オークは負けた。


「た、助かった……」


 へたり込もうとして、ストップ。

 何もかもを蹂躙されそうになった瞬間の記憶と、今なお目の前で荒れ狂う豚面が、理沙に一刻も早くここから遠ざかるべしと促してくる。

 もちろん、否はなかった。

 暴れまわるオークの騒音を務めて無視し、疲れ切った身体を引きずるように一段ずつ石の階段を上がっていく。

 少しでも遠くへ、少しでも上へ。そうしてひたすら足を動かすこと暫し、


「まぶしっ」


 突然の光が理沙の蒼眼を灼いた。

 その輝きはまるで太陽に似て――


「出られた!?」


 悲鳴を上げる身体を無理やり動かして階段を上がり切った理沙の目の前に広がっていたのは、


「……何、ここ?」


 眼前の光景に金髪半裸の少女は絶句した。

 それはとてもおかしくて、それはとても穏やかで。

 見上げた空は高くて青く。

 見渡す限りの緑なす草原が広がっていて。

 階段の出口から土が露出した茶色の道(舗装なんてされていない)が続いていて。

 唖然とさせられる光景だったが、突っ立っているわけにもいかない。

 道に沿ってトボトボと歩いていくと、その先には、


「……家?」


 大きな家屋がそこにあった。

 

「宿屋?」


 カラカラの口から零れ落ちたその言葉は、眼前の建築物に対する的確な表現に思えた。

 その外見はファンタジー系のゲームに登場する宿屋的な建物に酷似している。

 石造りの家屋だ。窓と思しき箇所にはガラスではなく木製の板がはめ込まれていた。


「え……なにここ、ダンジョンに宿屋?」


 理沙が呆然と立ち尽くしていると、ひとりでに扉が開かれた。

 ギィ~っと音を鳴り響かせる扉に驚き、残された力を振り絞って身構える理沙の前に現れたのは、


「『黒猫商会地下20階支店』にようこそだミャ! やったミャ、初めてのお客さんだミャ!」


 黒猫だった。黒い猫。ブラックキャット。

 理沙の腰ほどの背丈で二足歩行。

 西洋風の人間の衣装を身にまとい、人語を操る猫。

 フワフワでモコモコで愛嬌たっぷり。緊張感/ZEROの姿。

 それはもちろん驚愕に値するものだけれど……


「……『地下20階支店』?」


 理沙の可憐な唇から漏れた言葉は、猫とは全然関係がなかった。

 猫がしゃべるかどうかなんて、今はまったくもってどうでもよかった。

 そんなことよりも――聞き間違いであってほしいと願いを込めて黒猫の顔を見返す。

 ぷりーずりぴーと、わんもあ。眼で訴える。


「そうだミャ! 『地下20階支店』だミャ!」


 聞き間違いではなかった。

 少女の希望もむなしく黒猫は胸を張った。

 何となくドヤッてるようにも見える。


「『地下20階支店』……地下20階ですって!?」


 理沙の絶叫が、長閑(のどか)な世界を切り裂いた。

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