第19話 目覚める少女たち
眠りから目を覚ました理沙が最初に感じたのは、石畳でも木製の床でもなく、身体を包む柔らかな感触だった。
多少の違和感はあるけれど……それがいつも泊まっている部屋のベッドのものだと思い至ったところで、パチリと目が見開かれる。
慌てて上体を起こすと、そこは見慣れた黒猫商店の一室。理沙はぺちぺちと頬に手を当てた。
「……そっか、助かったんだ」
脳裏に蘇ったのはホブゴブリンとの激闘の記憶。そして意識を失っていた女性を抱えての撤退行。
地下20階への階段を降りたあたりまでは何とか覚えていたのだが、そこから先は……
「……あれ、あの人は?」
室内を見回してみても自分以外は誰もいない。
黒いケットシーがいないのはともかくとして、自分が運んできた女性がいないのはなぜだろう?
わからない。頭が回らない。なぜなら――
「臭い……」
鼻がおかしくなりそうな汚臭で寝起き早々頭痛がヤバい。とてもじゃないが耐えられない。まともに物を考えられる状況じゃない。
『いったい何なの?』と眉を顰めつつ自身の身体を見下ろして――驚愕。
肌も露わなプチデビル装備を纏った少女の肢体は、薄汚い紫色の液体――ゴブリンの血液に塗れ、凄まじい異臭を放っていた。
当然の如くベッドもドロドロに汚れており、見るも無残な様相を呈している。色が赤だったら殺人現場と見間違いかねないシチュエーションである。
黒猫店長は店の入り口で意識を失った理沙をベッドまで運んでくれたらしいが、それ以上は何もしていないようだ。
前に服を脱がされたときにぶー垂れたので、あちらも余計な手出しは無用と考えたのかもしれない。
商店の備品をここまで汚してしまってもよかったのだろうか? 店長がやったのだからOKなのか?
疑問は尽きないが……
「風呂……」
ポツリと呟いた理沙は、ゾンビのごときフラフラした足取りで部屋を後にして一階への階段に向かった。
姿が見えない黒髪の彼女についても店長に聞けばわかるだろう。
階下では、おなじみの黒ケットシーがカウンターに頬杖をついて大あくび。
理沙に見咎められ慌てて目許の涙を拭っている。仕草があざと可愛い。
「リサにゃん、起きたかミャ!」
「うん、起きた。えと……あの人は?」
「リサにゃんが連れてきた人は、別の部屋で眠ってるミャ」
最後に理沙が残した言葉どおり、黒猫店長が店の商品を使って傷を癒してくれたとのこと。
理沙の方はかなり雑な扱いになっていたが、重要度で言えばあちらを優先するのは当然。
この店には他にスタッフがいない。限られたキャットパワーは適切に割り振られるべきなのだ。
「よかった……それじゃ、お風呂いいかしら?」
「沸いてるから入ってくるといいミャ!」
「ありがと。あ、あと部屋、汚しちゃってごめんなさい」
「別にいいミャ。お風呂から上がってくるまでにきれいにしておくミャ」
なんだか凄いことを言われた気がする。
まぁいいか。理沙は適当に流した。
「……服、どうしよう?」
「そっちもお風呂に入っている間に洗っておくから、安心するミャ!」
「ほんとうに? ……じゃあ、お願いするわ」
頭がぼんやりしていてうまく回ってくれない……当面の脅威が認められないため、割り切って浴場に向かう。
理沙の柔肌を部分的に覆っているプチデビル装備を脱いで籠に入れ、もうもうと湯気が立ち込める浴室に足を踏み入れる。
椅子に腰かけシャワーを浴びて、寝ぼけ眼のまま頭を洗い身体を洗う。
ぶっかけられたゴブリンの血液と染みついた汚臭を落とすために、何度も何度も薬液を泡立てては隅々まで身体に塗りたくって、お湯で流す。
どれほど繰り返したか自身でも数えきれない。薬液の消費量がトンデモナイけど文句言われないのでスルー。
念入りに泡を流して立ち上がり、ようやく覚めてきた蒼い瞳で鏡に映った自身の姿態を舐めるようにチェック。
幸いと言うべきか、ポーションをケチらなかったおかげと言うべきか、珠のお肌には傷ひとつ残っていない。
なんだかんだ言って理沙は年頃の女の子だ。その事実に安心して、ようやく湯船に足を踏み入れる。
「ふぅぅ~~~~~~~」
溶ける。
長い溜め息とともに理沙はお湯と一体化してしまった。
凝り固まっていた筋肉がほぐれ、緊張しっ放しだった心も平穏を取り戻す。
……平穏を取り戻し過ぎて意識が消失しかかった。湯船に顔が沈んだところで慌てて体を起こす。
「危ない……ここで溺死とかマジで笑えないから」
「リサにゃ~ん」
曇りガラスの向こうから黒猫店長の声がする。
相手がケットシーだとわかっていても、思わず前を隠すように抱きしめる。
湯船に全身を落としてから、脱衣所に向かって声を放つ。
「ど、どうかしたの?」
「ん~、装備のメンテナンスが終わったからご報告ミャ」
ウインドウを開くと『黒猫店長に預けていた装備品が返還されました』というお馴染みの表示がポップアップ。
早すぎる。というか預けた記憶がない。お風呂に入っているうちに処理されたのか。店長凄すぎない?
色々と疑問はあったけれど、たいして重要な話でもなかったので口にはしなかった。
「あ、それと……」
「何? まだ何かあるの?」
擦りガラス越しだから裸を見られる心配はないし。店長はそもそも猫だし。
ブツブツと言い訳しつつ、ケットシーの次の言葉を待つ。
「リサにゃんが連れてきた人が、そろそろ目を覚ましそうだミャ」
それは朗報。むしろそっちを先に言ってほしかった。
「わかった。すぐ行くから」
「カウンターで待ってるミャ」
店長の気配が消えたのを確認して、ざばっと湯船から立ち上がる。
脱衣所で身体を拭い、きれいになった黒ラバー製のプチデビル装備一式を身につける。相変わらずピチピチだ。
頭はそのままにしておこうかと思ったけれど、ツインテールにしてリボンで結ぶ。
「うん、完璧」
武器こそないものの、プチデビル理沙の復活である。
脱衣所を後にして、カウンターの店長と合流。今度はあくびをしていなかった。
女性の居場所がわからなかったので案内してもらう。行き先は――理沙と同じ2階の1室。
店長曰くまだ眠っているそうなので、音を立てないようにドアを開けて部屋に入る。
そーっとベッドに近づくと、『すぅすぅ』と規則正しい寝息が聞こえてくる。
セミロングの黒髪、整った顔立ち。汚れを拭ってみれば、いかにもヤマトナデシコといった容貌をしている。美人さんだ。
――良かった、大丈夫そうね。
ほうっと胸をなでおろすと、ちょうど女性がうっすらと目を開けた。
蒼と黒の視線が間近で絡み合う。
「……えっと、おはよう?」
ほとんど初対面と言っていい状況、とりあえず挨拶から入ってみた。
女性は長いまつ毛に縁どられた目蓋の奥の黒い瞳を、ぼんやりしたまま理沙に向けてひと言。
「悪魔?」
「誰が悪魔かッ!」
「ひいっ!」
思わず突っ込むと女性は盛大に後ろにずり下がり、そして……
「私、生きてる? ここは……いったい……」
部屋の中をぐるりと見まわし、理沙を見て、二足で直立する黒猫を見て、黒髪の女性は目を大きく見開いた。
「えっと、説明するから。驚くなってのは無理かもしれないけど、最後まで聞いて」
★
4月1日に謎の声が告げたとおり、世界がアップグレードされたこと。
ダンジョンの生成に偶然巻き込まれたこと。
ここが地下20階であること。
そして――
「ダンジョンには危険なモンスターがいることは……説明する必要はないわね?」
理沙の問いに女性は身体を抱きしめながら頷いた。
「それで、今度はあなたの話を聞かせてほしいのだけれど?」
「はい。私は『鷹森 瑞希 (たかもり みずき)』と申します」
おずおずと語り始めた瑞希の話は、ある意味予想どおりの内容ではあった。
4月1日に街を散歩していたら、いきなり世界アップグレードの話を聞かされて。
ぐにゃりと視界が捻れたと思ったら、いきなり石畳の通路に放り出されて。
見たことのない異形――ゴブリンたちに慄きつつも、姿を隠して一週間。
ついに発見されてしまった瑞希はゴブリンたちに追い回されて、もうダメだと諦めかけたちょうどその時、通路の奥から理沙が現れた。
要約するとそんなところであった。
腑に落ちない部分がある。
「えっと、鷹森さんだっけ? 一週間もモンスターに見つからずに隠れてたの?」
「……はい」
「どうやって?」
「さあ?」
ごく自然な応答である。すっとぼけているわけではないらしい。
黒猫店長に目配せするも、こちらもよくわからない様子。
「う~ん……いきなりで悪いんだけど、ステータスを教えてもらってもいいかしら?」
「ステータス……って何でしょう?」
瑞希は首をかしげている。
やはりすっとぼけているようには見えない。
と言うことは……この女性は自分の能力を理解しないまま地下17階で1週間以上サバイバル生活を送っていたことになる。
見たところ特に厳つい風体でもなく――理沙よりひとつかふたつ年上の、普通の……と呼ぶには際立ち過ぎた容姿を持っているだけの女子高生にしか見えない。
「自分の状態を見たいって念じながら『ステータスオープン』って言ってみて」
「はぁ……『ステータスオープン』って、何ですか、これ!?」
『この人、何を言っているの?』的な表情を浮かべながらも、理沙の後について『ステータスオープン』と唱えた瑞希は、驚愕に目を丸くした。
どうやら目の前に現れた(と思われる)光景に困惑しているようだ。
その反応から察するに……
「鷹森さんはゲームとかやらない人?」
理沙の問いに瑞希は首を縦に振った。
艶やかな輝きを取り戻した金色の前髪を弄りながら、悩む。
――これは難しいわね。
その手の物語に慣れている理沙はあまり気にすることなく順応したけれど、新しい世界のルールはゲームやネット小説などに詳しい人間以外には理解しがたいのではないかと言う疑問が、今更ながら頭によぎった。
日本はともかく、発展途上国とかはどうなっているのだろう? 地域ごとにスタートダッシュで大きな差がついてしまいそうだ。
「とりあえず……そこに書かれているのがあなたのステータス――えっと、能力なの」
「……」
瑞希は無言でステータスに魅入っている。
客観的に自身の能力を数値化されるというのは珍しい体験だろう。
……身体測定や学力テスト、スポーツテストがあるから、現代日本の子どもたちの能力は意外と数値化されている。
考えれば考えるほど、それほど珍しくもない気がしてきた。見せ方の問題だろうか?
「もしよければ、内容を教えてくれると嬉しい、みたいな?」
地下でと言うか、地球アップグレード以降に出会った初めての人間、純粋に興味がある。
どんな能力を持っているのかはもちろん、自分とどれくらい違うのかという点も気になる。
控えめに頼んでみると、瑞希は理沙の瞳をじっと見据えてくる。
そして――
「後で、あなたのステータスも教えてもらっていいですか?」
「……ええ、それはそうね。構わないわ」
瑞希の要求は当然のものであると納得させられた。
一方的にステータスを教えろというのはマナー違反だったかもしれない。
ゲームに詳しくないと言っておきながら即座にこんな応答ができるところから察するに、かなり頭が回る人物のようだ。
モンスターに追い立てられて瀕死の状態だったところを救ったからと言って、目の前の女性を甘く見るべきではないと気付かされた。
――――
名 前:鷹森 瑞希 (たかもり みずき)
種 族:人間
年 齢:15
職 業:女子高生(?)
身 長:164センチ
体 重:51キログラム
体 型:89-56-85
ギフト:生存本能
スキル:なし
レベル:1
H P:20/20
M P:10/10
攻撃力 :7
守備力 :7
素早さ :6
魔法攻撃:3
魔法防御:5
運 :8
装備品:なし
――――
「15歳って、アタシと同い年!?」
衝撃の事実が発覚してしまった。
大人びた容姿と並外れたスタイルから、てっきり年上だとばかり思っていたのに。
理沙はあまりのショックに耐えきれず、膝から崩れ落ちてしまった。
ぽんぽんと肌に当たる肉球の感触、店長の慰めが悲しかった。




