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第18話 決着。そして撤退!


 武装解除を要求されたとき、理沙(りさ)の脳裏に閃光が奔った。

 断片的なアイデアを具体的な形にまとめるために口を閉ざして必死に思考を走らせ、逆転の勝機にたどり着いた。だから――武器を捨てた。

 勝利の条件はふたつ。ホブゴブリンを油断させること。至近距離まで近づくこと。

 上位種だろうと何だろうとホブゴブリンだってゴブリンだ。これまで戦ってきたほかの雑魚と同じように理沙に欲情するはずだ。

 要求に従って武器を捨てて見せればチャンスはあると思った。全身を這いまわる無遠慮にして粘着質な熱い視線に耐える。

 じわじわと接近され視姦されながら、理沙はただひたすらに顔を伏せて待った。逆転の一手があると悟られてはならないから、その可愛らしい顔に浮かぶ表情は見せられない。


 そして――時は来た。


 理沙の下腹部に浮かぶ淫紋もとい『ピンクハート』を目にしたホブゴブリンの瞳に、うっすらと桃色のハートマークが浮かんだ。

 発動中だった『ピンクシルエット』が、ほんの僅かだけ効果を及ぼしたのだ。

 その一瞬が勝負所だった。


「来なさい、ストームバイト!」


 理沙はアイテムウインドウを開き『魔剣ストームバイト』を実体化。

 戦い続けて疲労がたまった身体に魔剣は容赦なく重量を感じさせてくれるが、歯を食いしばって一息で振り上げた。

 両腕が、背筋が悲鳴を上げる。普段使ってない筋肉がおかしな方向にねじ曲げられて不満を訴えてくるも――理沙はその全てを無視した。

 刃の煌めきが闇を奔る。さすがはSレアの魔剣。黒猫店長が10000マネーで売りつけると豪語するだけのことはある。

 剣の心得のない理沙が無茶な体勢から放った一撃でも――容易にホブゴブリンの腕を切断することに成功した。

 モンスターの太い右腕と共に、黒髪の女性がどさりと地面に落下する。ここまでで半分。

 さらに――


「はあああああぁぁぁぁっ!」


 ホブゴブリンが状況を理解する前に、振り上げた魔剣を叩きつける。度重なる酷使に全身に苦痛が走った。

 しかし魔剣はホブゴブリンにめり込んだものの、その身体を断ち割るところまでは叶わない。

 元々筋力が足りていないうえに体勢も崩れていた。腕一本持って行けただけでも奇跡に近いのだ。


「ギィィィイイイッ……ゴガァッ!」


「キャッ!」


 苦悶のうめきと血しぶきを上げつつも、ホブゴブリンは残った左腕に力を込めて理沙の小さな身体を殴りつける。避けられる間合いではなかった。

 吹っ飛ばされた少女は再び壁に叩きつけられ、痛みと衝撃で硬直。もはや身体に力は残っていない。

 右手を失い身体を切り裂かれた痛苦と、それを上回る怒りに顔を歪めたホブゴブリンが近づいてくる姿を、呆然と見つめることしかできない。

 

「ガッ!?」


 巨躯の魔物がブレて――倒れた。


「……え?」


 何が起きたのか、わからなかった。

 でも、ホブゴブリンの横には理沙のゴブリンがいて。

 その手にはホブゴブリンが握っていた大きなこん棒があって。

 ゴブリンは小さな身体に渾身の力を込めてホブゴブリンに殴りかかっていて。

 そして――ホブゴブリンの巨体は光となって消失した。



 ★



 地下17階の曲がり角。

 戦い終わって生き残ったのは、理沙とゴブリンと名も知らぬ人間の女性。

 勝利の余韻はなかった。そんなものを噛みしめている余裕などない。

 理沙は痛む身体に鞭を入れてアイテムウインドウを開き、ハイポーションを実体化。

 コルクを歯で抜いて、試験管に口を直付けして半分ほど喉に流し込む。液体が喉を通って胃に流れ込むと、身体の中から活力が湧いてくる。

 もう半分を身体に振りかけようとして、ホブゴブリンを殴殺してくれたゴブリンに視線が吸い寄せられた。

 すっかり見慣れたそのデフォルメチックな身体は元々汚いのだけれど、今は全身傷だらけで目も当てられない状態だった。

 理沙が見ていなかったところで短剣ゴブリンと激闘を繰り広げていたようだ。

 あの短剣には毒と思しき液体が塗られていた。ゴブリン同士で毒の効果があるのかはわからないが、用心するに越したことはない。この状況でこのゴブリンに脱落されては困る。

 理沙はゴブリンを招き寄せ、右手に握りしめていた試験管を口の中に突っ込み、さらにポーションを出して自分とゴブリンの身体に何回もかけた。


「く、くぅぅ~」「ぎゃぎゃぎゃ」


 全身から煙が立って、痛みと共にひとりと一匹の傷が癒されていく。

 しかし、その痛みが引くのを待っている余裕はない。ここは危険なエリアだ。せめて地下18階に退避しなければならない。

 いまだ倒れ伏したままの女性に近づくと――意識はないものの呼吸は続いている。ちょっと安心した。

 戦闘の跡を見回して、ダガーと鞭を回収。魔石も回収。ホブゴブリンひとつ、ゴブリン3つ。ゴブリンが連れていた犬の分がひとつ。

 あと目についたのは……毒の塗られた短剣とホブゴブリンの大こん棒。ドロップアイテムらしい。これも回収。

 大きすぎるこん棒は重くて持ち歩けないのでアイテムウインドウに放り込んだ。毒短剣もあまり手で触りたくないのでしまっておく。

 女性を肩に抱え、ゴブリンに背中を任せて通路を撤退。幸い追撃はなく、一行は無事に階段までたどり着いた。


「ふぅ……」


 階段の途中で腰を下ろして大きく息を吐き出した。まずはひと安心。

 半分飲んだハイポーションのおかげで体力は戻っているし、身体の傷もほぼ回復している。

 ゴブリンの方を見ると、こちらは薬が足りなかったのか苔を傷口にまぶしている。

 いつもと変わらない様子を見せられて、何だかホッとした。


「大丈夫? 悪いけど、ポーションは使えないの」


 理沙の問いに、ゴブリンはニヤリと笑みを浮かべた。

 きっと『問題ない』と言おうとしているのだろう。笑顔が不気味というのは色々と損をしていると思った。

 今ここでひとりぼっちになってしまうと理沙の命も危ういので、どうか無理はしないでほしい。

 でも、ポーションが使えないのは本当だ。女性の意識が戻らない。身体の傷も完全には回復していない。

 万が一のことを考えれば、ポーションは温存しておかなければならない。


 ここから先はいつもなら比較的安全なエリアだ。

 しかし今は消耗しているし、足手纏いを抱えている。

 十全に力を発揮できる状態ではない。

 あと2フロアを、大量のゴブリンを突破しなければならない。


――やれるのかしら……ううん、やるのよ!


 気合を入れて弱気の虫を抑え込んだ。

 せっかく助けた女性を見捨てる気にはなれなかったし、死なせる気もなかった。

 黒猫商店まで戻れば薬が買える。きっと助けられる。希望があれば前に進める。


「いける……行けるんだから!」


 地下18階、地下19階ともに『もはや余裕』と鼻で嗤っていたエリアだ。

 ホブゴブリンすら倒してみせた今の自分たちなら何とかなると言い聞かせる。

 ……絶対に大丈夫。でも絶対に油断してはダメ!


 油断は死を招く。

 あの強敵だったホブゴブリンだって、最後に明暗を分けたのは油断だった。

 理沙が武器を捨てて降参したと思い込んだ、その心の間隙を突かれて死んだのだ。

 だから、理沙は油断しない。油断は死を招くと身を持って思い知ったから。


「アンタも、頼むわよ!」


 指先から桃色のハートマークをゴブリンに打ち込んで、理沙は重い腰を上げた。

 地下20階、拠点である黒猫商店に思いを馳せて、目の前の通路を一歩一歩確かめるように進んでいく。

 


 ★



 地下18階、そして地下19階をマップ頼りに最短距離で突破した。

 途中で何度もゴブリンに襲われ、そして撃退した。魔石を拾う余裕はなかった。

 もったいなかったけれど、背に腹は代えられない。

 短気に任せて急いで駆け抜けたかったところを、何度も歯を食いしばって我慢した。

 前後からの挟撃を避けたかったし、理沙たちの状況は万全ではなかったから。

 見通しのいい場所を選んで休憩を挟み、女性の状態をその都度チェック。少しずつポーションを口に含ませる。

 大きな傷は大体塞がれていたが、顔色が戻らない。彼女の身体を傷つけていた短剣、あれに塗られていた毒の影響が残っているようだ。

 これまでずっと普通のゴブリンばかりを相手にしてきたせいで、理沙には毒消しのストックがなかった。迂闊。

 ゲーム的に表現するならば、『毒』の状態異常でどんどんHPが減少している最中にポーションをつぎ込んで無理やり持たせているようなもの。

 非効率的なやり方であることは重々承知している。他に有効な手段がないから仕方がない。HPが0になるよりはマシだ。

 いつもなら2時間で踏破できる道を倍の時間をかけて進んだ。安全面を考慮しつつ可能な限り急いだ。

 鞭を振るい、時にはダガーを抜いて幾度の襲撃を退け――ようやく地下20階への階段に辿り着いた。

 階段を目にした瞬間、安堵のあまり身体から力が抜けかけて、ぐっと堪えた。

 遠足は家に帰るまでが遠足なのだ。ダンジョンならば拠点に戻るまでが探索だ。油断は死を招く。


「ここまでありがと。……また明日ね」


 ずっと先行して同族を討ち果たしてくれたこん棒ゴブリンとは、いつもと同じくここでお別れ。

 低い角度からの視線を感じながら、階段に足を踏み入れた。

 ひんやりとした石の階段を降りると、地下20階の長閑な光景が眼前に広がる。しかし――ここからが遠い。

 自分より大きな人間、それも意識を失ったままの人間をひとり抱えて歩くには、この田舎道はあまりに長い。

 それでも――理沙は頑張った。疲労困憊、満身創痍のふたりは無事に黒猫商店に帰還を果たした。


「おかえりミャ。今日はどれくらい儲かったかミャ……ミャミャミャ!?」


「店長……この子、よろしく」


 全身が悲鳴を上げる中、薄暗く明滅する視界に飛び込んできた黒猫店長にそれだけ告げて、理沙は意識を手放した。

 どさりと倒れ込む音が聞こえた気がした。

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