07 学校での新浪
「賽。僕は完全に怒ってるよ。何故だかわかるかい?」
その日の朝、四島は珍しく怒っていた。
「分からんな」
「じゃあ、教えてあげよう。それは……林道のせいで僕に変なあだ名がついているからだ!!」
抑えていたのか、最期のほうは溢れんばかりの怒りで拳を握る四島。
四島がエロ本を拾った日から、彼のあだ名は『エロ本野郎』になっている。
「まぁ、確かに安直ではあるな」
確かに、それは怒っていいのかもしれない。エロ本野郎なんて何の面白味もないからだ。
それを四島に吐いたのは林道だった。
それがそのまま呼び名となった感じ。面白さというよりはインパクトでついた名前。
コロコロと一緒だ。最初は「粘着カーペットクリーナー」という名前だったらしいが、コロコロという愛称がついてから爆発的に売れた。実用性なんて変わってないのに、それだけで印象が左右されてしまうことを考えれば、確かにエロ本野郎という名前は最悪だと言える。
「だろ? 俺がエロ本をその時持っていただけで、なんでエロ本野郎になるんだ! これには断固反対運動をしなければならない!」
四島は熱く語った。俺はそれを話半分で聞き流す。
別に四島がなんと呼ばれようが興味がなかった。
「……だからさ、僕はこの汚名を返上しようと思うんだ!」
「どうやって?」
「ふっふっふっ。そんなの決まってるだろ? 新たな名前を上書きするのさ!」
四島は得意気に鼻を鳴らした。
まぁ、悪くない考えではある。人の印象というのは払拭できないからだ。
それをするにはその人の記憶ごと消さなければならない。事実は消せない。なら、新しい記憶を更新してしまうほうがずっといい。
「何を上書きするんだ」
「それは……まだ考えてない」
「考えてないのかよ」
「賽も一緒に考えてくれ! このままじゃ僕の青春はエロ本野郎で終わってしまう!」
四島は手を合わせて頼んできた。正直、それをされて悪い気はしない。
手なんて仏壇が神社でしか合わせることはなかった。
だから、まるで俺が神にでもなったかのような気分になれる。
ふぅむ。上書きか……。
それに、これは数少ない友人の頼みでもある。
俺が一肌脱いだところで、罰は当たらないだろう。
「よし。やるか!」
「さすが賽! 頼りにしてるぜ!」
こうして俺は、四島のエロ本野郎という面白味のないあだ名を変えるために動き出した。
そして昼休み。
『エロ本売ります! 報われない男子に愛の手を!』
「……なぁ、幾人。本当にこれで良いのか?」
「あぁ、バッチリだ四島」
昼休み。四島はそんな看板を机にでかでかと下げている。
懐疑的な四島だが、まだ何の説明もしていないためその態度は真っ当だろう。
「まず、お前にエロ本野郎なんてあだ名が付いたのは、皆がエロ本を持っていたお前しか知らないからだ」
「たっ、確かに」
「人はどんな悪行にだって、そこに正義を見いだしてしまうと絶対に嫌悪することはできない」
「つまり……?」
「つまり、お前はただエロ本を持っていたわけじゃなく、譲れない信念と人のために役立つ正義があったからこそ持っていた……それをみんなに知らしめれば良い」
そこまで説明すると、四島の顔が明るくなり目が見開かれた。
「……そうか! 僕は報われない男子にエロ本を売るために持っていたのか!」
「そういうことだ」
「どういうことだッッ!」
「ギャー!!」
見開かれた四島の両目に、林道のピースがズビシッと炸裂した。
いわゆる目潰しというやつだ。
ゴロゴロと教室の床を転がる四島。それに肩を竦める林道。
「何また馬鹿なことしてんの?」
「馬鹿なことじゃない。四島は不名誉をどうにか上書きしたいらしい」
「不名誉を上書きって……」
顔をひきつらせる林道。
だがな林道……元はといえばお前のせいなんだぜ?
「とにかく! 私は昼練いかなきゃいけないし、これ以上面倒見きれない! 黒井がちゃんと四島のこと見張ってて!」
「見張るって……四島はそこまで子供じゃないだろう」
「子供よ。遊んでばかりで勉強もろくにしてないし」
「いや、成績に関してはお前もどっこいどっこいじゃなかったか?」
「私は部活で忙しいもの」
「……あぁ、なるほどね」
林道の言葉に、俺はもう納得してやるしかない。
それ以上話を続けたところで無駄だからだ。
彼女――林道薫は、部活で優れた成績を残してるわけじゃない。だから「部活で忙しい」というのは理由になっていなかった。
それでも、その理由は間違ってはいないのだろう。
何故なら、林道にとっての部活とは『頑張って練習して良い成績を残す!』という認識ではないから。
彼女にとっての部活は『仲の良い友達と同じ時間過ごす!』というものだからだ。
「かおるー! 早く行かないと三年来ちゃうよー!」
「あー待って! すぐいく!」
廊下側の窓から林道を呼ぶ同じテニス部の女子生徒。
それに林道は返事をしてから、俺へと視線を戻す。
「いい? 四島のこと頼んだわよ?」
「任せろ」
俺はぐっと親指を立ててやると彼女は浅く息を吐きだし、諦めたように昼練へと向かう。
「おのれ薫のやつ……一度ならず二度までも……」
ようやく復活を遂げた四島は、よろよろと立ち上がる。
その瞳には、復讐の炎が灯っていた。
「切り替えていこう四島。まだ手段は残されている」
「賽……ッッ! お前は本当に良い奴なんだね。僕が女なら惚れてるところさ」
「次の作戦だ」
「よぉーし!」
俺はそこまで乗り気じゃなかったのだが、林道という共通の敵を得たことによって少しやる気を出していた。
「四島。そもそも、なぜエロ本がみんなに嫌悪されるか分かるか?」
「エロだから?」
それに俺は首を振る。
「違うな。……まぁ、エロ本が嫌悪されるというよりは、現実的なエロを捨てて自分だけの妄想に浸っている姿こそが嫌悪されているんだ」
「ん? どういうこと?」
首を傾げる四島。そんな彼に俺はゆっくりと順を追ってもう一度説明する。
「そもそもの話だが、男はみんなそういうことを考えているだろ?」
「うむ」
「だが、それを周りの女子には挑戦しない」
「失敗が怖いからね」
「そうだ。そうやって自分だけが気持ちよくなれる妄想の世界に逃げ込むからこそ嫌悪されるんだ。エロ本は手段でしかない。そして、正しい手段を取れば嫌悪されることはないっ!」
四島は腕を組みうんうんと考えていた。
やがて。
「つまり……エロ本にあることを現実の女子に挑戦すれば……嫌悪されない!?」
どうやら、四島はその境地にたどり着いたらしい。
「流石だ四島」
「さっ、賽!!」
答えは出た。なら、あとは行動あるのみ!
……そして。
「――日向先生! そのおっぱい触らせてください!」
昼休みの職員室に乗り込んだ四島は、この学校で誰よりも胸が大きいと噂されている日向千夏先生に己の欲望を告げた。
「ふぇ? えぇぇええ!?」
告げられた彼女は顔を真っ赤にしている。
俺はその様子を扉の隙間からこっそり覗いていた。
「……四島ぁ、ちょっと来い」
しかし、やはりそこは職員室。
日向先生の他にも他の先生はいて。
「あっ! ちょっ、何するんですか!? まだ話は終わって!」
「午後の授業はでなくて良い。これから俺と生徒指導室でたくさん語らおうじゃないか」
よりにもよって……めちゃくちゃ厳しい体育教師の長熊に捕まってしまった。
「……まぁ、現実そう上手くいかないよなぁ。だからエロ本なんてものがあるわけだし」
俺は南無南無と手を合わせて四島の供養をする。
ちょうどそこへ。
「……そんなところで何してるの」
新浪が両手一杯にノートを抱えてやってきたのだ。
「はいこれ」
偶然出会した新浪は、両手一杯に抱えたノートを当たり前みたく俺に渡してきた。それを受け取ると彼女は職員室の扉を開ける。
「ついてきて」
ん? 手が塞がってるから一旦俺に渡しただけじゃないの?
疑問のついていくと、彼女は日向先生の机で止まる。
「置いて」
「お、おぉ」
なんか知らないが荷物持ちをさせられてしまった……。
「あ、新浪さん! ありがとう! 全員分のノート回収してきてくれたのね」
どうやら仕事だったらしく、目の前の日向先生は嬉しそうに微笑む。
「君も手伝ってくれてありがとう。えーっと……」
「黒井です」
「黒井くんね? 驚いたわ。新浪さんにも仕事を手伝ってくれる友達いたのね?」
それは教師の発言としてどうなんだ。
「友達じゃないです。何を期待してるのか知らないですけど、手伝ってくれただけなので」
……それだと、俺が新浪に気があるみたいだろ。
「そう、なんだ……頑張ってね……黒井くん」
ほらぁ、やっぱりそうなるじゃん。
危惧してた通りの展開に俺は呆れるしかない。というか、新浪が荷物持ちさせるの上手すぎた。
これはおそらく常習犯。
あらぬ誤解をされたまま職員室を後にすると新浪がそう言えば……と、俺も職員室に用事があったのではないか? と聞いてきた。
「いや、用事はないんだ。ただ友人の勇姿を見守っていただけ」
「勇姿……?」
「あぁ。別にお前が気にするようなことじゃない」
「そう……」
そして新浪は興味なさげに視線を外した。
「なんかあれだな。学校だと雰囲気違うのな」
率直な感想を述べてやる。
俺が知る彼女なら、好奇心だけで何でも知りたがる所があったからだ。
「そうかな。それなら黒井くんだってそうじゃない?」
「俺がか?」
「うん。なんというか……冷たいかんじする。ドライって言えばいいのかな」
「ドライ……ね」
それはよく言われた。実際に俺自身がそうだと思う。
端的に言えば、何事にもあまり興味がないのだ。通わなくていいのなら、たぶん俺は学校など来ていない。
「私は黒井くんのやっていることに興味があるだけ。だから、そういう風に見えるのかもね」
新浪はそれだけを口にした。
その雰囲気はどこか寂しげで哀愁を漂わせる。良く言えば、大人のような印象とでも言えばいいのか。
「まだ……そのことについて知りたいのか?」
「うん。あまり首を突っ込むのはよくないって分かってるけど……それでも知りたい」
何故、こんなにも素っ気ない少女は『終わらせ屋』に興味を示すのだろうか。
普通なら嫌悪して終わるはずなのに……なぜこうも知りたがるのだろうか。
「次は現場を確実にカメラで抑える」
「それを撮ってどうするの?」
「必要なんだ。証拠が」
「まさかさ……それを不倫相手の家庭に送ったりしないよね?」
冗談を言ってるのだと思って新浪を見たら……彼女は俺を睨み付けていた。
「そんなことするわけないだろ」
「……そう。なら良いけど」
一瞬、殺意のようなものが見えた気がした。
だが、その理由が分からなくて困惑してしまう。
「次も同じ曜日で良いんだよね?」
「あぁ」
「わかった。事前に決行する日が分かってるのなら、親に言い訳しやすくて助かる」
「まさか、娘がそんなことに首突っ込んでるなんて想像もしてないだろうな」
「……そうかもね」
反応が薄い。感情が希薄。心ここに在らずと言った感じ。
たぶん学校での新浪はずっとそうなのかもしれない。
だから何を考えているのか分からない。林道が言っていた「不思議ちゃん」というのは、こういったところから来ているのかもしれない。
その時、背後で職員室の扉が開く。
誰かと思ったら……体育教師の長熊だった。
彼は今、指導室で四島と語り合っているはずだ。そんな長熊が四島を置いて職員室から出てきた理由など、一つしかない。
「じゃあな新浪。俺には急な用事ができた」
「待て黒井ぃ。……お前たしか、四島と友達だったよなぁ?」
ガシッと掴まれた肩。その手は大きくて一瞬にして悟る。
逃げられない。
「先生、もうすぐ昼休み終わってしまうので授業の準備が」
「大丈夫だ、黒井。午後の授業……お前の欠席もさっき俺が独断で決めた」
そして長熊は反対の肩へと手を回し、ポンポンと軽く叩いてくる。
「……大切な友達である四島を裏切ったりしないよな? 黒井」
「友達じゃないんで。何を期待してるか知らないですけど、勝手にあいつがすり寄ってくるだけなんで」
「なるほど。なら、四島の想いに応えてやらないとな? 男なんだから」
どうやら新浪戦法でも逃れられないらしい。というか、その悪質な笑みは教師がしていいやつじゃない。
怖すぎる。
「……行こうか黒井」
「仕方ないですね」
観念して長熊についていく。気分はもはや連行される犯人。
「黒井くん」
そんな俺を新浪が呼んだ。
なにかと思い視線を戻せば。
「今度も家までよろしくね」
なんて……長熊の前で言ってのけたのだ。
「ほぅ。羨ましいな黒井。その辺も詳しく聞きたいところだ」
余計なことを……絶対にわざとだ。
何故なら、彼女は薄くイタズラっぽい笑みを浮かべていたから。
そのことについて俺が話せないことを知りつつ、わざと言ってのけたのだ。……悪魔かよコイツ。
そのまま俺は長熊に連行される。
そして昼休み終了のチャイムもちょうど鳴った。
それはまるで、平和終了の合図であるかのようにも思えたのだ。