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31話 おせっかいは疲れる

「これは……何度もした話なんだ」


 そんな重苦しい前置きを置いてから語られた寺田さんの話は、その言葉通り、何度も誰かに説明したものなんだろうとすぐにわかった。

 内容はわかりやすく、無駄な部分が一切省かれていたから。そのうえ話はスラスラと空ででてくる。


 しかし、そんなにも洗練された話をする彼の表情は険しく、どこか痛みを伴っていた。


 それはそうだろう。


 浮気がバレて離婚。そんな経緯を得意げに話せる者など居はしない。


「彼女とは社長の行きつけのバーで出会ったんだ」


 バー、なんて聞くと、俺の歳では到底入ることの許されない大人の空間を想像させる。そのうえ「社長」という言葉が、想像上の敷居をさらに高くしたせいで、もはや頭の中ではバブルがはじける前のハイカラな時代劇を繰りひろげていた。


 それから彼は、「酒に酔って」という情状酌量の余地をのぞむ免罪符を銘打って話していたが、要は「我を忘れて彼女と関係を持ってしまった」というお粗末なながれ。


 しかも、妊娠という顛末になったところで、俺はそれが「彼から語られる主観にすぎない」と理解していながらも、ふつふつと怒りが湧いてくるのを止めようがなかった。


 なんなんだ、いい歳してこの男は!


 寺田さんは、その女性からそれを告げられたあと、どうすべきかわからなかったという。そして、どうすれば良いかわからぬまま、家庭とその女性とをこっそりハシゴする日々を送ったそうだ。


 その女性は将来をひどく不安がっていて、それを取り除くための旅行にもいった。もちろん、家族へは「仕事の出張」と嘘を吐いて。ずいぶんと忙しい日常を送っていたらしい。自分の未来に対して不安を感じることすらままならぬほどに。


「いつかはバレて大変なことになると分かっていたんだ。でも……どうしようもなくてただ、現状を維持することだけか精一杯だった」


 事実だけを話せばいいのに、彼は時折こうして人情に訴えかけてくる。


 それすら何度も誰かに話し、その度に誰かに軽蔑されてきたことだろう。


 俺が知りたかったことは、話が随分と進んだあとだった。


「流産したらしい」


 それは、衝撃的な単語を伴った。


 ただ、それには変な言い回しもくっついていた。


「らしい、というのは?」

「それっきり彼女とは連絡が取れなくなったから確認してないんだ」

「通っていた病院は?」

「それが……面目ないことに知らないんだよ。病院へは必ず彼女がひとりで行っていたから」

「送迎したことは? それなら、ある程度場所の予測がつきますけど」


 その問いに彼は力なく首を振った。まあ、そうだろうとは思ったが。


「ショックから立ち直ったら戻ってくるかもしれないと待っていた。でも、彼女はそれきり連絡もなかった。そのうち浮気の話が社内にも知れ渡ってね? あとはご覧の通りさ。実家に帰ってきて農作業の手伝いをしてるだけ」


 最後の方、彼は自嘲気味に笑い駆け足で話を終わらせる。


 つまり、その女性の行方は分からないということ。


 ただ、


 社長の行きつけのバーで女性と出会い、

 終わらせ屋に離婚を依頼したのも社長、

 そして、奥さんはその社長と再婚した……。


 断片的な情報だけで憶測をするのなら、それらの点を結んで星座でもできてしまいそうなほど簡単な推理ができてしまう。


 星座の名は『陰謀』とでもいったところか? とてもじゃないが夜空を見上げた子供に教えられるような天体物語じゃない。


「流産が本当かどうか疑ってしまったこともあったんだけどね……それを確かめる資格なんて僕にはなかった」


 それに俺は何も言えず。ただ、「まだ高校生なので」と情状酌量の余地を望んで感想を拒否することしかできない。


「話はわかりました」


 俺が知りたかったのは、あくまでも浮気相手の女性のこと。そして、それは知ることができなかった。


 それと同時に、新浪の実父がどういう人なのかを知る目的は果たせた。


 俺はそれだけ言って別れに移行しようとした。


「彼女を……探すのかい?」


 しかし、そんな空気を彼は引き止める。


「取りあえずは」

「その、もしも……全てが仕組まれたことだったとしたらどうするんだ」


 そう言った瞳の奥には、何かしらの期待が見えた。それに俺は再び失望。


 もし――それらが憶測通りだったとしたら、彼が違えてしまったものを取り戻せるとでも思っているのだろうか?


 浮気は罠だった。すべて奴の陰謀だった。間違いを正して、本来手にするはずだった幸せは自分のものだ。


 そんな言葉を吐いて、もう一度やり直そうとでもいうのだろうか?


 無理だ。そんなことできるはずがない。


 終わってしまったものをセーブ地点に戻って再開するなんて、それこそできるはずがない。


「どうもしませんよ。というか、それを決めるのは俺じゃない」


 期待という輝きを取り戻しつつあった寺田さんの顔が疑問にかげる。


「じゃあ、なぜこんなことを?」 


「俺のおせっかいは新浪に向けられたもので、あなたに向けられたものじゃありません」


 それでもしつこく聞いてくる寺田さんにハッキリとそう告げると、彼はハッとしたように目を見開いたあと、恥ずかしそうに視線をそむけた。


「じゃあ……晴香のことを教えてくれないか? その、学校でのこととか……」


 今度は実娘を心配する父親の言葉。しかし、それにも答える気はない。


「そんなのは本人から聞いてください」

「それは……無理だよ。晴香にとって僕は悪者だから」


 あぁ、どうやら父親ヅラしていたわけじゃなく、悪者ヅラのつもりだったらしい。なら、なおさら話す必要はないだろう。


「俺から話せることはないです」


 毅然として言ったあとも彼はすがるように見つめていたが、やがて再び視線を逸してから渇いたように笑う。


「そうか……わかった」


 それに息を吐き、俺は肩を落とす彼からすこし離れたあと、彩芽さんへと連絡を入れる。


「――ふむ、人捜しか。それはもう探偵の領域だね」

「できませんか?」

「こちらが依頼すれば済む話だ。無論、きみ負担にはなるが」

「構いません」

「わかった。依頼しておこう」


 事務的なやり取りだけで彩芽さんとの会話を終える。そうして振り返ると、すこし離れた場所で寺田さんが待っていた。


「話は終わったかい?」


 俺がどんな内容を話したのか知りたそうな表情がそこにはあった。それでも、盗み聞きなどせず離れていたのは罪悪感か常識からか。


「はい」


 短く返事をすると、俺が何も話さないと悟ったのだろう。もう名残惜しそうな顔をすることはない。


「……駅まで送ろう。それともどこか宿を取ったのかい?」

「駅までお願いします」

「……わかった」


 帰りの道も舗装されたところは少なく、軽トラはガタガタと揺れる。


 その間、俺と寺田さんのあいだには一切会話はなかった。


 話しづらいというわけじゃない。話すべきことが何もない、というのが沈黙の正体。


 それに……彼は、運転をしながら何かをじっと考えている様子でもあったから。


「晴香を頼みます」


 その考え事が何なのかを知る術は、最後、彼が俺に放った言葉にあった。


「わかりました」


 それに俺はそれだけ答える。


 彼は新浪の実父だろうが、父親と呼ぶにはあまりにも不足しているような気がした。


 いや、不足していたからこそ今の状況になったというのが正しいのだろうか? なにはともあれ、俺から言えることなんて何もない。


 そこにどんな事情があったにせよ、まだ子供どころか結婚さえしていないたかだか高校生が口を挟める話では決してなかったから。


 ただ、彼がその憶測によってすぐに復讐に走るような衝動的人間じゃなかったのは幸いかもしれない。そして、相手を外見だけで判断せず弁えられるような人で良かったとも思う。


 最後の言葉、彼は俺に対して敬語を使っていたからだ。


 ちなみに内容のことはあまり気にしていない。気にしていたなら、「実の娘のことを、今日あったばかりの高校生に頼むなんて……!」と憤慨していたことだろう。


 なんにせよ、彼の抱える問題が解決したのか、はたまた解決するのかどうかはわからないが、何かしら良い方には向かうのかもしれないと感じさせる兆しは感じた。


 それが、こんな片田舎に戻ってきたからなのかどうかは知らないが、もしかしたら、彼が満足できる未来もそう遠くはないのかもしれない。


 とすれば、彼がここに帰ってきたのは正しかったのだろう。


「違うな……」


 間違いを犯してかえってきたのだから、あながち間違いではなかったと結論づけるのが正しいのかもしれない――。


 なんて。そんなしょうもないことを、ベンチも設置されていないむき出しの駅のホームで、ブツブツと唱えながら突っ立っていたら、


「……きみ、ひとりかい? なにか悩みがあるのなら事務室で聞くよ?」


 ここに来たとき、無賃乗車を疑るような視線を俺に向けていた駅員が、柔らかい声で、どこか警戒するように俺へと話しかけてきた。


 どうやら、今度は自殺者に疑われたらしい……。


 俺はその提案通り、駅の事務室で今回のこと全てを打ち明けてしまおうか? そんなことを一瞬考えたりもしたが、すぐにニヤリと笑って口をひらく。


「もしも俺が電車に飛び込んだとしたら、たぶん背中をつよく押されたときですよ。……そういえば、駅員さん以外この駅には誰もいません。あなたが殺人犯として疑われないためにも、俺は生きて電車に乗らなきゃいけませんね?」


 駅員はそれにぽかんと口を開けていたが、やがて「大人をからかうんじゃない」と怒ったように駅舎へ戻っていった。


 心配してくれてありがとうございます。その言葉が出てこなかったのはきっと、余計な心配をしたこせいで俺がこんなことになっていたからだ。


 おせっかいも大概にしなければならないなと、そんなことを思った。

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