16 新しい依頼
終わらせ屋の事務所に着いた俺は、新浪に出入りしている所を見られないよう注意をしてからチャイムを鳴らす。
「遅かったね」
やはり寝起きなのか、ひどい顔をした彩芽さんが出迎えてくれた。
「ん? そっちは?」
「新浪晴香です! その――」
「取り合えず、中で……」
「ん。まぁ、入りたまえ」
こんな所で話をしていたくなくて、新浪を中へと促す。
彩芽さんもすぐに了承してくれた。
「なんか探偵事務所みたい」
新浪がそんな感想を洩らす。
「やってることは探偵とあまり変わらんからね」
彩芽さんが電気ケトルからお湯を入れつつ答えた。
「探偵とは、どう違うんですか?」
「簡単に言えば、ここは探偵がやってる延長線上さ。たとえば浮気を疑って探偵に調査を依頼して、それが本当だったとき別れたい人がここにくる。まぁ、内容によって法律事務所を勧めて終わりなんだがね」
「へぇ、じゃあ探偵さんの方で紹介されてくる人もいるんですね」
「ところがどっこい。探偵事務所の方では終わらせ屋を紹介しちゃいけない決まりになってるのさ」
「どうしてですか?」
「彩芽さん。その話はそれくらいで」
長くなりそうだったので、俺は会話に割り込んで止めた。
というか、事務所に入っていきなり質問する新浪も新浪だが、簡単に答えてる彩芽さんも彩芽さんだ。
「まぁ、君が連れてきたということは例の子かね?」
「はい。終わらせ屋の仕事を教えるために連れてきました」
「そうか。まぁ、その辺に関しては一任してあるし困ったことがあったらすぐに言うといい」
「ありがとうございます。それで依頼の件なんですが」
「座りなさい」
俺は事務所のソファーに座った。
新浪は迷っていたようだが、俺の隣に座ってくる。
彩芽さんは淹れおえたお茶を俺と新浪の前に出すと、壁際に設置してあるプリンターから一枚の紙を持ってきて机の上においた。
――依頼人:敏伸英幸。25歳、会社員。
そこには、依頼人の簡単な情報だけが載っている。内容はまだわからない。それは、本人と会ってから聞かなければならないことだからだ。
「独身だから、離婚みたいな話ではないだろう。予算額も低い。職場関係が妥当な線だね」
淡々と彩芽さんが言った。
「日にちはどうなんです?」
「急ぎらしくてね。出来れば今日にでも相談したいらしい」
「急ぎ……」
なんとなく嫌な予感がした。
依頼人と会うための日にちと時間なども決めなければならないのだが、たまに急ぎで相談したいという人がいる。
そういう人は大抵、お金関係の問題を抱えていることも多かった。
そして、お金関係だと話は少し厄介になったりする。
事件性の臭いがするからだ。
「まぁ、君が心配していることはわかるが、変な先入観で話したりしないように」
「……はい」
それを彩芽さんも考えたのだろう。鋭い声音で注意されてしまった。
「もし、大丈夫なら今から事務所にこれるか連絡するがどうかね?」
「俺は大丈夫です。新浪は……」
「大丈夫です!」
「そうか。少し待ちたまえ」
彩芽さんは、俺が置いた紙を拾うとパソコンが置いてある机に移動してから電話をかけはじめた。
「ここで相談を受けるの?」
新浪は少し気を遣って、小さめの声で聞いてきた。
「ここで受けるのが普通だ。依頼人が遠くて事務所までこれなかったり……あとは、俺があまりここを出入りしたくなくて彩芽さんが外での待ち合わせを設定してくれたりする」
「黒井くんはここ嫌いなの?」
「いや、終わらせ屋の事務所を出入りしてるなんて知られるのはダメだろ」
「あぁ……」
ようやく理解したのか、彼女は納得するように首をゆっくり縦に振った。
「――三十分後くらいにはこれるらしい」
受話器を置いた彩芽さんが言った。
三十分か。……だいぶ焦ってるな。
嫌な予感が膨れ上がる。それを考えないようにした。
「取り合えず、向こうには"助手たち"が相手をすると伝えてある」
「彩芽さんは?」
「私は用事があってね。これから出なければいけないんだ」
「私たちだけでやるんですか……」
新浪の表情が強ばったが、俺はそんな彼女に言ってやら。
「新浪は聞いてるだけでいい。全部俺がやるから」
「……そ、そっか」
安心したように安堵の息。
その後、彩芽さんは未だ眠そうに奥の扉へと消えてしまう。
新浪は緊張してるのか、そわそわしながらトイレを借りたりして、俺は書類の整理をして依頼人を待つ。
チャイムが鳴ったのは、約束の時間よりも十分も前だった。
「――あの、依頼した敏伸ですが」
「どうぞ」
「えっ、あの……君、高校生?」
「はい」
扉の外にいたのは、少し猫背で大きな鼻と眉毛が特徴的な作業服の男性だった。
「弱ったな……電話口の女の人は?」
「先生なら出掛けてました」
「うーん。どうしようかな」
まぁ、こういったことは日常茶飯事である。
「取り合えず、話を聞きます。急ぎなんですよね?」
「あぁ、そうだ。うーん……仕方ない」
そう言いながらも彼は事務所内へと入る。
「新浪、お茶出せるか?」
「そ、それくらいなら」
立ち竦んでいた彼女に言うと、慌てたように準備をしはじめた。
俺は、依頼人である男をソファーへと誘導し、先ほどの紙とメモ用紙を取って反対側に座った。
「早速ですが、依頼内容をお聞きしても?」
「あっ……は、はい」
まだ立ったままの彼を見上げると、ハッとしたように返事をしてから、いそいそとソファーに座ってきた。
「あの、実は……先日、職場の後輩から告白をされて付き合うことになったんですが」
男はそう言って話を切り出した。
「関係を終わらせたいのはその方ですか?」
「いっ、いや! とんでもない! あっ……ただ、俺にはすごく勿体ない子だとは思うんですよ。可愛いし気立てもよくて、職場内では結構人気で……」
えへへ、と彼はニヤけた。
「ただ、俺がその子と付き合うためには、終わらせないといけない関係があって……」
……なるほど。乗り換え、というわけか。
職場で告白された可愛い後輩と付き合いたいから、今付き合ってる女性とは別れる……そういうことなのだろう。
言葉にするのは悪いが、正直目の前の男がモテるようには見えなかった。そんな彼が持ってきたその依頼内容に少しだけイラついてしまう。
終わらせ屋なんかに頼まなくても、自分で解決できそうな事だからだ。
きっと彼は、今付き合ってる女性をあまり傷つけたくなくて……そんな紛い物の優しさでここにきてしまったのだろう。
ため息を吐きそうになって止める。
まぁ、お金関係じゃなかったのは良かった……そう自分に言い聞かせて。
「それで……関係を終わらせたい人なんですが」
彼はポケットから財布を取り出すと、そこからラミネートされてある写真を一枚取り出して机の上に置いた。
「おそなん!?」
お茶を淹れてきた新浪が声をあげた。
……おそなん?
写真を見ると、それはブロマイドのようだった。
アイドルの格好をした女の子がポーズを決めて笑っている。
写真には「尾曽永愛」と名前が載っている。
……え? アイドルなの? この子。
「えっ、おそなんと知り合いなんですか!?」
新浪が興奮したように言い、俺は冷や汗が出てくるのを感じた。
待て待て。終わらせたい関係って、アイドルなのか!? だとしたら……これ結構ヤバい案件なんじゃ。
目の前の男は今現在、写真に写っているアイドルと付き合っているかもしれない。
それはどこぞの週刊誌が、大金を払ってでも得たい情報のはず……。
「いっ、いや! まさか! 僕がおそなんと知り合いだなんて! ……もしそうだったら死んでるよ!」
だが、男は新浪の言葉を早口で否定した。
違うのか。……あれ? 知り合いでもないのに、なんでこの子と関係を終わらせたいんだ……?
そう疑問に思った時だった。
「ぼっ、僕は、おそなんを密かに推しているオタクなんだ。でも……この事を彼女に知られたくない。だから……もうオタクを止めようと思うんだよ」
「……」
その話の流れから俺はなんとなく依頼内容を理解してしまったが、内心は「まさか……」と否定する気持ちが強い。
「僕はおそなんとの関係を終わらせたいんだ。頼む! 推しとオタクの関係を終らせてほしい!」
言葉を失った。
きっと、今の俺は依頼人にしてはいけないような表情をしていたに違いない。
だが、仕方ないだろう。
なにせ、彼は"始まってもいない関係を終わらせたい"なんて言ってきたのだから。
「素敵です!」
そんな彼に反応したのは……新浪だった。
「付き合うために自分を変えたいだなんて……感動しました!」
彼女は男の手を掴み、キラキラとした瞳を向ける。
「ぜひ、お手伝いします! 頑張って、彼女に胸をはれる男になりましょう!」
「はっ、はひぃい!」
男は手を触れられた時点でしどろもどろになり、声を裏返らせて返事をした。
……何もするなって言ったよね?
目の前で恥ずかしげに悶える依頼人と、目を輝かせる新浪。
そして、依頼内容は「オタクを止めたい」。
俺はもう、何を言えばいいのか分からなくなっていた……。




