11 新浪への報告
終わらせ屋として受けた依頼が終わった。
それはつまり、新浪にことの顛末を報告する必要があるということでもある。
まぁ、引っ越しの手伝いなんかはまだ残っているものの、取り合えず終わりとしていいだろう。
本当なら、そんなクソ面倒臭いことなどしたくなかったが、いかんせん彼女は俺の秘密を握っている。
それをバラされてしまう危険性を考えれば、媚びへつらいお伺いを立てるのは当然だろう。……なんというか社畜にでもなった気分だ。
一応、夜にLINEで全てが終わったことは伝えた。
そうして返ってきたのは。
――レポート用紙五枚でよろしく。
ふざけるなよ……。教えを乞うてきたのはそちらであろうがぁ!
思わずベッドにスマホをぶん投げると、再びスマホ画面が点滅。
見れば。
――やっぱり読むの面倒臭いから明日の放課後で。
どこまで我が儘を通すつもりなのだろうか。
そろそろ本気で彼女に対する策を考えなければならないのかもしれないな。
俺は力なく項垂れるしかなかった。
そして翌日の放課後。
「――そっか。ちゃんと新しい職場見つかったんだ」
そこは俺が普段いくことのないオシャレな喫茶店。そこで新浪と待ち合わせをした俺は今回の件について報告をしていた。
彼女はソフトが乗っかっている可愛らしいアイスラテをストローですすっている。随分とカロリーが高そう。
「まぁ、立ち直るにはもう少し時間がかかるかもしれないが、それでもあんな関係を続けるよりはずっとマシだろう」
その対面で、俺はアイスコーヒーを飲んでいた。
「依頼してた人は?」
「……あぁ、まぁ、普通に喜んでたな」
川栗さんの事は言わずにおく。あれは教える必要のないことだ。
「……そっか」
返事には、なんとなく消化不良の色があったものの、それでも俺は強引に終わらせた。
「終わらせ屋はこういう仕事なんだ。分かっただろ」
「うん」
「じゃあ、もうこれで良いか?」
「……うん」
それを聞いた俺はアイスコーヒーを飲みほして立ち上がる。
「約束は果たしたからな」
最後、確認するように言ってから去ろうとした。
「あっ……待って!」
だが、そんな俺を新浪は引き留める。
「……なんだ」
「あのさ、もう一度座って」
少し迷ってから、再び対面に座る。
彼女は目の前のカップを両手で包み込むように持っており、分かりやすく深呼吸をした。
「あのさ」
「いや、だからなんなんだ」
「実は、さ」
勿体ぶる新浪に首を傾げていると。
「うちのママ、ね。去年……再婚したの」
突然、そんなことを言われた。
「というか、そうじゃなくてね? ……中学生のときに離婚したの」
「中学のとき離婚して、去年再婚したんだな?」
「うん。で……離婚の原因が浮気だった」
そこで俺は、新浪の声が震えていることに気づいた。
「ある日ね……学校から帰ったら家の中が荒れてて……電気もついてなくて……最初、私は泥棒だと思ったの。でも違くて……ママがおかしくなってて、それで――」
震えた声は、言葉さえもを滅裂にしていく。
なにか伝えたいことが空いた穴から流れていくように、それらは要領を得なくなっていった。
「どうした?」
そんな変化についていけず問いかけると、うつ向いた新浪の顔から涙が零れたのを見つけてしまった。
たぶん、本人は気づいていないのだろう。
何故なら、それを拭うこともしないまま俺へと顔を向けてきたからだ。
「机の上に……浮気の写真があった」
何か冷たい鈍器で殴られたような感覚が走った。
新浪の目からは涙が止めどなく流れていて、それはポタポタと卓を濡らした。
周囲の喧騒が遠くなっていく。衝撃で表情の動かしかたを忘れた。
何も。何もまだ説明されていない。
その言葉たちだけでは、何があったのかを知ることはできない。
だが、理解はできてしまった。
その写真は誰が撮り、誰が新浪家に送りつけたのかを。
あぁ、と新浪に対して抱いていた疑問の一つ一つが落ちていく。
それらはまるで、テトリスゲームのように凹凸へとハマっては消滅していった。
そうか。新浪は……。
彼女が終わらせ屋に対して異常なほど興味を示していた理由を、俺は今さら気づいた。
よく考えれば、分かりそうなくせに。
「――あれ? 黒井じゃん!」
その時、名前を呼ばれた気がして顔を向ければ林道がいた。
その肩からは部活終わりを思わせる多きな鞄を背負っており、後ろには複数人の女子たちがいる。
まずい。
「なんでこんなところに? 珍しいじゃん?」
林道は手を振りながら歩いていくる。
くるな。くるな。そう念じたところで、伝わるはずもない。
そして。
「つーか、一緒にいるのだ……れ……」
時が止まった気がした。
いや、たぶん止まって欲しいと俺が願っただけなのだ。
そんなことが無理なのはわかりきっている。
「あー……いや、なんかゴメン」
気まずげに出した言葉に、ようやく新浪がハッとした。
それから、自分の頬に涙が伝っていたことを知り、既に赤らいでいた顔は耳までその赤を染めていく。
「ごめんなさい!」
ガタッと椅子がずらされ、新浪は鞄をひっ掴むと勢いよく店を出ていった。
残された俺は固まったままで、林道も何も言えず、ただ、アイスコーヒーの氷がカランと音をたてたのがよく聞こえた。
「ほっ、本当にごめん! わたし、そんなつもりじゃ……」
「まぁ、待て」
取り乱す林道に俺は片手で制止させた。
たぶん、それは俺自身が落ち着くためのものかもしれない。
取り合えず、逃げた原因はわかっている。
もはや、ほぼ溶けた水だけになったアイスコーヒーをもう一度飲んでから息を吐き出した。
「たしか……前にお前言ってたよな? 新浪が援交してる噂があるって」
「……へ? あぁ、うん」
「それを止めさせようと説得し始めたら泣かれた」
「……は?」
「どうやら、その噂は嘘だな」
「ちょっ、どういうこと!?」
驚く林道に俺は顔を向ける。
「そういうことだ。取り合えず、追いかける」
呆然とする林道の肩をポンポンと叩いてから俺も店を出る。
無論、新浪がどこに行ったのかは知るよしもない。
だから、スマホを取り出すとLINEに文字を打った。
――泣いてた理由は誤魔化しておいた。
――落ち着いたら連絡をくれ。
――取り合えず、駅前で待つ。
素早く短めに三件。
既に日は暮れ、辺りは暗くなり始めている。
闇雲に探しても見つかりはしないだろう。
なら、待つしかない。
それしかなかった。
スマホは午後六時を少し回っている。もし、七時を過ぎても連絡がなければ家に向かおう。帰ってなければ警察だな。
そう決めてから駅前に向かった。
取り乱した相手が逃げる……というのは、終わらせ屋をしていて初めてのことじゃない。
もし俺が警察などの組織であれば、すぐに捕まえられるよう周囲に数人張り込ませるところだが、そんな手段はない。
だから、どんな時も逃げた相手が戻ってくるように保険は考えていた。
再び接触するのに必要なのは強制力か安心感のどちらか。
俺は新浪を戻ってこさせるだけの強制力を持たない。
だから、消去法でもう一つの手段を取らなけらばならない。
だから、それに足りうることをした。
そもそも、彼女がその場から立ち去ったのは泣いていた自分を見られて恥ずかしくなったからだ。
そこまで頭を整理してから……俺は自己嫌悪に至る。
あの瞬間、とっさに追いかけていれば良かっただけだから。
まぁ、暇潰しにはちょうどいいのかもな……。
俺は駅前につくと、広場のベンチに座って自己嫌悪に浸る。
そんなことをしても意味などないと分かっていながら、それでも俺はやめられない。
そうしていたら、ポケットのスマホが軽く振動。
見れば、LINEで新浪から画像が送られてきていた。
そこには駅前のベンチに座り項垂れている学生服の男が写っている。
その写真が撮られたであろう場所を探すと、そこには、ちゃんと新浪がいた。
「なんで、あなたが落ち込んでるのよ」
「あぁ、既読無視されてたからな」
「ごめんなさい。急に逃げて」
「すまんな。咄嗟に追いかけてやれなくて」
新浪がふっと笑う。どうやら涙は乾いたらしい。
「どうする? 帰るか?」
そう問いかけると、彼女は少し考えてから隣に座ってきた。
「もう一度話していい?」
それに俺は頷く。
そしたら、彼女はぽつぽつと話し出す。
さっきの続きを。
どうして、終わらせ屋に興味を持ったのかを。




