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「ほらよ」
「わっ」
マインがミラの元に戻ってくると缶コーヒーを放り投げてきた。ミラは不意打ちをまともに食らって、缶コーヒーを取り損ねる。指先に缶がかすって芝生にそのまま落ちていく。
「お前、運転以外はほんっとポンコツなのな」
「す、すみません」
「あーあ、なんかこう、ぱぁっと事件っぽいものが起きてくれないものか!」
「縁起でもない……それに、山ノ手管轄はフェライトコアが仕切ってますから。出しゃばるなって圧力をかけられてしまいますよ」
苦笑いをしながらポニーテールを揺らしたミラにマインが睨みを聞かせる。
「本気で言ってるわけねぇよな? 俺たちだってちゃんと捜査も逮捕もできる立場なんだからな! 下克上だ、下克上!」
「あ」
屋内への自動ドアが開いたかと思うと、数名の黒服がなだれ込んできた。
「なんだ、なんだ?」
ミラたちだけでなく、日向ぼっこをしていた会社員らしき人も、先ほどの観光客も、黒服の登場でいきなりかわった場の空気を敏感に察して体を縮こませたり、固まったりと三者三様な反応を示した。
黒服は全員がサングラスを着用しており、人相が窺い知れないのが一層不気味なサイボーグに見えた。襟には縦長の六角形を串刺しにしたような記号のピンを刺している。
噂をすればなんとやら、フェライトコアの私警備部隊であった。
「なんでフィーファイがここに?」
「なにかありましたか」ミラは黒服の一人を捕まえてやんわりとした声で聞いた。黒服は彼らの腕章を顎で頷くように一瞥する。
「住所不登録者が我々の職務質問に応じず逃亡、こちらに逃げ込んだとの噂が」
「下町のやつが?」マインが缶コーヒー片手に目を丸くした。
「いずれにせよ、手出しは無用」黒服がサングラスを押し上げて直立不動になる。「全て我々のみで対処する」
「でしょうね」マインの低い声が届く前に、黒服は走って行っていた。
芝生や園芸の茂みを片端からかき分け、踏み荒らしていく。ミラの記憶ではホバーカーをこちらに着陸させた後、目立って人の出入りはなかったように思う。
「おわぁっ!」屋上の角から人影が獣のように飛び出してきた。
だがそれを逃す男たちではない。姿を確認して数秒も経たぬうちに、人影は組み伏せられて手を背中にねじ上げられた。
「か、勘弁してくれぇ! む、娘の、娘の誕生日なんだ」
組み伏せられたのは、みすぼらしい身なりをした男だった。ミラの目には一瞬、定年も過ぎた白髪混じりの初老の男にも見えたが、みたところ体つきはまだ老人にしてはがっしりとしているようにも見える。痩せこけてはいるが、見た目よりもだいぶ若いのかもしれない。
「貴様自身に住民登録はない。住民票に名前ない者の、許可のない山ノ手進入は禁じられている」フィーファイの一人が冷たく告げる。
「山ノ手の娘の誕生日会があるって聞きつけて、姿を見にきただけなんだ! たのむぅ、一目だけで。がっ」
組み伏せられた男は、そのまま黒服の男に顎を蹴られた。一人が背中から馬乗りになり組み伏せている。男に蹴りを避ける術はない。
「汚い下町の連中が」
「あそこは無法者の吐き溜めだ」
「大人しく吐き溜めでネズミのように暮らしていればいいものを」
「私たちが、一体どんな気持ちで下町にいると……や、やめろ。ぎゃあ」
「お前、一体どこから山ノ手に入った? 聞かせてくれよ、なぁ」
四人の黒服たちは、男を殴り、蹴った。「おいおいおい」
ミラとマインは、その様子をホバーカーのそばで見ていた。もはやそれは取り押さえというよりはリンチという状況で、一挙手一投足を凝視していたミラが、彼らの表情を見逃すはずもなかった。
笑っている。
サングラスで目元が見えなくてもわかった。仮にも私警察を名乗るフィーファイは、鉄の男たちだ。笑い声などあげるはずはない。だが、なにかオーラのような愉悦が全身から溢れているように見える。ミラになんら特別なスピリチュアルな力などないけれど、人の悪意はこうも目に見えやすいものらしい。フィーファイは鍛錬を受けた武道の有段者が列席の条件の一つだと聞く。その拳は凶器であるはずだ。それを振りかざしても、彼らを罰する人間はこの場に誰一人としていない──。
『俺たちだってちゃんと捜査も逮捕もできる立場なんだからな!』
──そうだ、自分たち以外は。
「先輩、ちょっと持っていてください」ミラは飲みかけの缶コーヒーをマインに押しつけて、下町から侵入してきたという男をリンチにかける黒服たちにズンズンと歩みを進めていく。
「お、おいクオーツ!」
芝生をつっきり、サクサクと音を響かせて、ミラは彼らの前に立つ。
「やめなさい!」
ミラの鋭い声に、黒服たちは固まった。驚いたのではない。まさか自分たちに声をかけるものがいるとは思っていなかったのだ。
マインも、普段聞かない後輩の鋭い声に、追いかけようとしていた足を止めた。
「警視庁、交通課です」ミラはジャケットから電子端末型の警察手帳をかざした。
「あなた方には我々と同じ捜査権限と逮捕権限が付与されています。しかし相手を裁く権限は未だ司法にあり、あなた方に人を裁く権限はありません。一方的な私刑・逮捕時の過剰な暴力行為は然るべき筋へ報告の上、罰せられます。いますぐその者への暴力をやめなさい!」
屋上に響き渡る凛とした声が、彼女以外の時間を止めたかのようだった。だがそれも一瞬のことで、黒服たちは口元をニヤニヤと引き吊り上げたまま立ち上がる。
「これは驚きだ。いまだに公僕でフェライトコア社にたてつく奴がいたとは。さては新人か?」
「本来、我々は対等な立場のはずです」黒服が立ち上がったことで見上げる視線となったミラは、少し声が小さくなった。その横に遅れてマインが立つ。
「住民不登録の人間を捕まえる。我々は職務を全うしただけだ。とやかく言われる筋合いはないな」
「しかし、この対応はあまりにも過剰です」
「話がわからねえのかねぇ。警視庁交通課だったか。顔は覚えたし、なんならフェライトコアから圧力をかけてやってもいいんだぞ? 運転しか能のない連中だとはいえ、公務員を懲戒になんかなりたくはないだろう。それとも、職にあぶれてこいつら下町の連中みたいになりたいと?」
下町の男の両手を背中から掴んで拘束していた黒服が、男をミラに少し突き出して言う。下町の男は、殴られて頬や目元が腫れ上がり、顔の形がほとんど変わりかけている。何かを訴える目でミラを見ていた。
「抵抗の意思はないはずです。これ以上彼に危害を加えないと約束してください」
「する、する。しますとも。それはもう絶対加えないと」
先ほどから口調が一番砕けた黒服の男が、こんどは明確にミラを嘲笑するために唇を歪ませながら、軽い声で即答した。
「て、てめぇ」マインがミラの後ろから肩で割り込もうとする。だが、その前にミラが声を上げた。
「本当ですね?」
ミラはサングラスで隠れている男の瞳を見据えようと睨みつけた。
「ああ、誓うよ」
「わかりました。あなたの言葉を信じます」
「く、クオーツ!」
ミラは、最初のすごみなど初めから無かったかのようにあっさりと引き下がった。マインは慌てて声を上げるが、フィーファイはすでに屋内に引き上げようと男を引きずるように自動ドアへ向かっている。下町の男の腫れたまぶたの間から、失望の色をした瞳が見える。
だが彼らが踏んだ自動ドアからは、また一人黒服の男が現れた。
「貴様ら、男一人捕まえるのにどれだけ時間をかけている!」新たに現れた黒服は、開口一番男たちに叫んだ。
「警察とやりとりをした影響で、行動が遅れました。たった今片付いたところです」フィーファイの一人が答える。
彼らの上官と思しき黒服の男は、顔が腫れ上がり、誰かの支えなしには歩くことも困難な標的の男を見て、開きかけていた口を結んだ。
「……恥知らずどもが」
低い声だった。びく、と男四人が体をこわばらせた。
「少しの綻びも社に影響を与える。少しの乱れがやがて社の乱れとなる。帰ったら貴様らを教育し直す必要があるようだな。……連行しろ」
上官の声とともに、フィーファイたちは自動ドアの向こう側に消えた。




