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日本の歴史からしてみても、ここ半世紀の東京都は特に目まぐるしく変化したらしい。かつて市町村各所に点在していた東京都の人口はとりわけ23区の旧山ノ手側に密集している。
この山ノ手地区は、今やニューヨークと並ぶ第二の摩天楼と呼ばれていた。超高層のビルが大小に乱立し、地上ゼロメートル地点には人も建物の入り口すらも存在しない始末だ。人々が出入りするのはビルの二十階よりも高層区で、建物の間にかけられている空中連絡通路が『ご近所』への交通手段だ。
だが、生まれた時から山ノ手の摩天楼に慣れ親しんでいるミラ=クオーツからしてみれば、年長者がしきりに言う“変化”というものの実感はあまりない。
遠く百年前のことであれば、その時代が歴史的にどういう価値と意義があったかを客観的に語ることもできる。教科書はいつだって数行の文章で時代を教えてくれるだろうが、今を生きているこの時代がどういう趨勢を辿るかなど誰もわかりはしない。自分たちにとってはまだ現在進行形の時間の流れの中にいるのだ。
ミラがいま乗っているホバーカーにしてもそうだ。ミラたちの祖父母時代からすれば「車が空を飛ぶ」など空想でも笑われてしまうようなものだったらしい。空を飛ぶのは飛行機かヘリコプター、軍用機、あるいは軽量のラジコンドローンだった。
だが、いま空を飛んでいる鉄の箱は翼もプロペラもない。旧時代の地上車のような流線形ボディは受け継ぎつつ、タイヤも排除され、かわりに後輪部分にはジェットターボが付いている。機体の推進と方向転換のためのものだ。ほんの微量な電気とガソリンで半永久的に動く、個人で持てる夢の乗り物、それがホバーカーだ。
「しかし毎日平和だねぇ」
助手席に座るマイン=クロフトがあくびを一つしながらぼやいた。彼は『交通課』と書かれた腕章の留めボタンをなんとなくいじくる。
「山ノ手エリアは青少年が一度は夢見た科学の街になった。だったらよ、ブレードランナーやターミネーターみたいに、警察の出ばるようなことが一つや二つあってもいいと思わないか?」
「私はアシモフが好きです」
「いや、そういうことじゃなくてだな……アシモフ?」
「兄が好きな作家です」
「え、お前、兄貴いるの?」
マインはミラの三年上の先輩で、いまは随分と人員が減った警視庁の人間であり、ミラの所属する交通課の上司だった。彼は東京都の半数を占める日本国籍外国人の一人だった。西洋人特有の肌の色が目立つ。
不満そうにビル群を窓から見ていたマインは、運転中のミラの方へ向いた。
「なぁ、このままずっと、ずうっと、定年まで、毎日事件も何もない山ノ手でパトロールしながら生きていくって、どうよ?」
もともと彼は、身内である元警察官の武勇伝に触発されて仕官したらしい。だが、いま警視庁で唯一残っている交通課に必要とされているのは、ホバーカーのたしかな運転技術のみだ。体術も、射撃も、今の警察官の必要条件に入っていない。マインの方は知らないが、少なくともミラは体術を会得していなかった。
ミラは、顔の横幅をはみ出そうな大きな丸メガネを押し上げて、曖昧に笑う。
「どうよ、と言われましても……平和なのはよいことですよ、先輩」
「昔の警察は交通課だけじゃなくて、強行犯とか組織犯罪対策とか色々な課があったらしいぜ。体術に優れて、銃の携帯もできたらしい」
「はぁ」
「たとえ事件が起きたとしても、犯人捕まえるのも捜査も全部フェライトコアに取られちまう。それに比べて今の俺たちはどうだ? 国家権力が一企業にしっぽ振って骨抜きにされてるって、どうよ? お前はそれでいいのかよ?」
「どうよ、と言われましても」ミラは苦笑いするしかなかった。
「まあ、とにかく少し休憩でも取りましょう」
ミラはホバーカーを手短なビルの屋上広場に停車させた。天然の芝生に石段がいくつか置かれていて、それらに溶け込むように据え置きの案内表示用オブジェが鎮座している。一般向けに屋上が解放されている、フェライトコア社所有ビルのようだ。
「先輩、ここではあんまり滅多なことを言ってはいけませんよ」
「ふん」マインはそっぽを向いて自販機に向かって歩き出した。
ミラがなんとなく辺りを見回すと、外国人観光客がちらほらと目立って見える。この摩天楼は確かに観光に向いているが、近年では訪問率も横ばいだ、というニュースを少し前に見かけた。ビルの高層化で居住区はそれなりに確保はできている。移住したい者はさっさと移住をしてくる一方で、下町側の治安を恐れて東京23区に近づかない者も多いという。
ミラは山ノ手から出たことがないので、それが事実かどうかはわからなかった。
観光客の数人が、オブジェ型の案内表示の前に立つ。興味津々といった様子で画面をタッチすると、合成音声が案内を開始した。なんとなくミラは視線を彼らに向ける。
『ようこそ、東京都山ノ手エリアへ』
音声の開始とともに、オブジェから女性のホログラムが映し出された。客が口々に「オゥ」と感嘆を漏らす。
『山ノ手地区は、旧23区の南側半分の区で構成された超高層都市です』
『ねえ、どうしてこの地区の人たちはこんなに高いビル群で暮らしているの?』
女性ホログラムの反対側に現れた、小学生ほどの男の子のホログラムが尋ねる。
『今から約五十年前に、日本が宇宙開発のために打ち上げた惑星探査機が、偶然未知の鉱石を持ち帰ってきたの』女性と子供の間に、赤く光る多角目の赤い宝石のような結晶が現れた。
『これが、惑星探査機が持ち帰った鉱石よ。なんとこの鉱石は重力に逆らう、つまり自分ひとりで浮かぶ未知の力が備わっていたの。
『すごいや!』
『「浮遊鉱石」と名付けられたそれを、宇宙開発に資金を出していた「フェライトコア社」が引き取って、研究・量産して責任を持って流通させているよの』
『その会社があるのが、あのビルだね!』
子供が指をさした方角を、観光客もミラも思わず目で追った。高層ビルの間からでも嫌に目立つ建物。全てのビルよりもはるかに高い位置にある、黒光りする超弩級ビルディングだ。
『フェライトコア社、つまり私たちの会社は、「浮遊鉱石」が少しの電気で周りのものも一緒に浮かせる性質があることを使って、研究を重ねて空飛ぶ車をつくった。それがホバーカーね』
ホログラムが赤く光る水晶から、スティールボディのホバーカーに代わる。
『かっこいい! でもこれってすごく操縦が難しいって、ぼく聞いたんだけど……』
『そうよ。だから最初はとても沢山の事故が起こってしまったの。ホバーカーはすごい速度を出す分、周りの建物を傷つけたり、人が亡くなったりすることが多くあった』
『だからみんな、ホバーカーの事故を避けるためにビルを高くして、そこに住み始めたんだね』
『それが摩天楼の原点ね。でも、我が会社は事故の数を克服するために、全く新しい道路の建設を始めたわ!』
『見て! その新しい道路が「オート・ルート」だよ!』
少年が指さした先には、ジェットコースターのレールのごとく、高低入り混じる複雑なバイパスがビルを取り囲んでいた。指さした場所ばかりではなく、ミラたちがいるこのビルのそばにも、この山ノ手を囲むように伸びている。
『オート・ルートは、ホバーカーとAIの完全自動運転技術を使って、山ノ手のどこに行くにも同じ所用時間でたどり着くように設計されているわ! このバイパスのおかげで事故も激減して、ホバーカーは安全でエコな乗り物としてあらゆるところに輸出されていくことになったの!』
『世界一豊かな町は、こうして出来上がっていったんだね!』
『フェライトコア社は、これからも山ノ手とそこに住む人々の幸福のために、浮遊鉱石とホバーカーを作り続けていきます!』
ホログラムがプログラムを終了すると、観光客は顔と顔を見合わせて、今まで一度も聞いた覚えがない抜き打ちテストの存在を知った時のような、煮え切らない顔になった。
ミラは彼らの表情に少しだけ笑って、オブジェに近づき案内表示のボタンをいくつか操作する。
先ほどと全く同じホログラムの女性が、今度は流暢な英語でアナウンスを開始する。観光客は、ミラに向かって「オーウ」と口々に礼を言った。




